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「草の響き」(2021年 日本映画)

2021年10月20日 | 映画の感想・批評


 函館市出身の作家、佐藤泰志原作による5度目の映画化作品である。この10年間に「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス」「きみの鳥はうたえる」とコンスタントに作品が生まれている。今回京都みなみ会館で上映と並行して過去の作品の特集上映があり、未見の作品も観ることが叶った。ミニシアターならではの企画が嬉しい。
 原作は60ページ程の短編小説。主人公は単身者の若者で、登場人物も友人1人と暴走族の少年達数人だけだが緊迫感のある作品である。映画では妻を登場させ、後半は作家の実人生を投影したような展開になっている。
 東京で出版社に勤めていた和雄(東出昌大)は心身のバランスを崩し、妻の純子(奈緒)と共に故郷の函館に戻ってくる。友人の研二(大東駿介)に付き添われ受診した精神科で自律神経失調症と診断され、医師(室井滋)の勧めで治療のために毎日ランニングを始めることになる。来る日も来る日もひたすら同じ道を走り続け、やがて少しずつ生活リズムを取り戻していく。そして、このランニングの途中で3人の若者と出会い、不思議な交流をもつようになる。
 和雄と研二の関係は単なる友人の間柄をこえて興味深い。研二は高校の英語教師で屈託のない健康的な人物として描かれている。大東駿介がさわやかに、かつ魅力的に演じている。彼の整然と並んだ白い大きな歯がその健康度を表していて、役柄にぴったりだ。和雄は病院への付き添いを妻にではなく研二に頼む。純子といる時より研二と一緒の時のほうが和雄の心の綻びが見えやすく、研二に、より心を許しているようだ。知らない土地で友達もいないと訴える純子は「研二がいるじゃないか」と答える和雄に返す言葉もない。研二は和雄にとっての『影』のような存在といえる。もう一人の自分なのだが、和雄には死の予感がつきまとう。東出昌大の語尾に甘ったるさが残る喋り方に、振れ幅の大きな心の内がかいま見える。
 和雄のランニングに伴走するようになった若者達も、各々に事情を抱えていた。ある日、和雄の高校時代を思わせる彰(Kaya)が岬の大岩から飛びこみ亡くなる。泳げなかった彰の度胸試しだったのか真相はわからないが、和雄の心を大きく揺さぶったのは確かだ。この後、もうすぐ子どもが産まれるという和雄と純子の間にも、夫婦としての決断が待っていた。
 公園の土手を走る和雄を捉えた映像が気持ちがいい。スクリーンに余白が一杯あり、思わず深呼吸をしたくなるほどだ。修行僧のようにひたすら走り続けていた和雄の顔が、ラストで突然晴れやかな表情になる。和雄の、東出昌大の、希望を感じさせる一瞬だ。
 「草の響き」、すてきなタイトルである。(春雷)

監督:斎藤久志
脚本:加瀬仁美
原作:佐藤泰志
撮影:石井勲
出演:東出昌大、奈緒、大東駿介、Kaya、林裕太、三根有葵、利重剛、クノ真季子、室井滋