原田眞人の代表作のひとつになるだろう。ただし、観客を選ぶ映画だいえるかもしれない。
原作は深町秋生のバイオレンス小説「地獄の犬たち」。酸鼻を極める原作の残酷描写をこれでもかなり抑えている。しかも、原作とは全く異なる結末にしてうまく端折った。キャラもそれぞれ若返ってヴィジュアル向きだ。とくに関東ヤクザ組織のトップ十朱(MIYAVI)の美形キャラは活字だとイメージしにくいが、映像的に映えていて爛漫たる色気を湛えている。
あえてジャンル分けすればバディものということになる。ハリウッドのジャンル映画として定着しているが、わが国でも「悪名」「兵隊やくざ」など、なぜか勝新太郎作品がすぐに思い浮かぶ。要するに、男同士が無邪気に騒いでつるむ映画である。のみならず、わが国のバディものの特徴は、擬制の恋人だか疑似兄弟だかわからない微妙な空気感の漂うプラトニックラヴが根底にあることを指摘しなければなるまい。
元警察官の兼高=偽名(岡田准一)が訳ありで暴力団に潜入捜査官として送り込まれるが、何しろ現代ヤクザとはいえ仁侠の世界だから、男同士の絆が強く、兄弟仁義でつながっている。兼高はすぐさま組織で頭角を現して狂犬のような若者=室岡(坂口健太郎)になつかれ、コンビで動くうちに室岡に情が移ってくる。室岡の兼高を慕う気持ちも半端でなく、その片想いじみた懸想がラストで暴発する仕組みになっていて、そこでハッとしない人はおそらくこの映画の本質を理解できないと思う。
岡田と坂口の関係はまるで前作「燃えよ剣」の岡田と山田涼介を彷彿とさせ、原田監督には、兄貴分の前で甘える素振りを見せる年少の男のかわいさを描くという才があるのか。たとえば、岡田と坂口が何気なく立ち話をしていると、キャメラがふたりの足下をとらえる。あたかも恋人同士の合図のように坂口が革靴のつま先で岡田の革靴を軽くとんとんとつついてくる。こういう細部に演出の神が宿るのである。
そういう妖しいエロティシズムが充満している場面をあげれば枚挙にいとまがない。周囲に女を寄せつけない優男だが冷酷な十朱がその秘書役であるマッチョな熊沢の遺体に取りすがるとか。幹部の土岐(北村一輝)直下のオシャレな若頭(金田哲)は十朱の寵愛が兼高に向くのを嫉妬しているとか。殺し殺される前に男同士が「死の接吻」をかわすとか。重要な登場人物の中でそうした関係と無縁であるのは土岐ただひとりだというのも意味深長だ。いっぽうで、土岐の情婦=エミリ(松岡茉優)とできてしまった兼高が、ラストで激昂した室岡から「俺と女(エミリ)とどっちをとるのか」と迫られて、どちらを選択したかは見てのお楽しみだが、呆気なくも切ない場面となっている。原田はこの場面を撮りたいために原作には登場しないエミリを創作したのではないか。
ひときわ圧巻なのは、高級クラブで女殺し屋が十朱を襲撃する場面。兼高と殺し屋の死闘がすごい。その背後で、関西の組長が「インターナショナル」をカラオケで熱唱する!そのシュールさに仰天した。
適材適所の配役のうまさも東映の伝統だ。とくに坂口とMIYAVIがいい。(健)
監督・脚本:原田眞人
原作:深町秋生
撮影:柴主高秀
出演:岡田准一、坂口健太郎、松岡茉優、北村一輝、大竹しのぶ、MIYAVI、金田哲