シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ティル」(2022年 アメリカ)

2023年12月20日 | 映画の感想・批評
 実話の映画化です。カー・ラジオから流れるポピュラー・ソングに合わせて運転席の黒人女性と助手席の息子が楽しそうにハミングする。この軽やかな出だしが、のちの深刻な事態を予兆させます。
 和やかで平穏なムードが少し険悪になるのは続くデパートのシーンです。商品を抱えた彼女に警備員の男が「特売場は地階です」と神経を逆なでるお節介をいう。「同じ台詞を白人客にもいえるの?」と痛烈な一撃を加えるところは、彼女がただ者ではない証拠です。
 ときは1955年8月。ところはイリノイ州シカゴ。米国北部でもこの調子だから、この時代の人種差別がいかほどであったか想像できるでしょう。メイミー・ティルというこの女性は夫を第二次世界大戦で亡くしており、14歳の息子エメットとそこそこ大きな家で暮らしています。陸軍の機関でタイピストとして働いているので収入もいいのでしょう。もとはミシシッピーの出で、今は離婚したらしい両親ともそれぞれシカゴに暮らしている。親戚の牧師やいとこが故郷からシカゴに遊びに来ていて、メイミーの母親がエメットを「夏休みに1週間ほど向こうへ行っておいで」と一緒に帰らせるのです。メイミーは母親の勧めだから仕方なく受け入れますが、実際はもやもやとした不安を拭えない。
 列車が南部の州境にさしかかったあたりでしょうか、黒人たちが全員うしろの車両に移動する場面があります。州によって人種隔離政策がまだ行われていた時代です。
 エメットは田舎の綿花畑でいとこたちと一緒に綿花摘みを手伝ったあと、近所の雑貨店の前でのんびりくつろいでいるうちに、ふらっと店の中に入り、店番をする若い白人女性にちょっかいを出します。飴玉を買って金を払い、映画の一場面をまねるように口笛を軽く吹いて見せる。黒人が白人に対して誘うような仕草をするのは、ここではご法度です。血相を変えた女は突然銃をとって来ます。驚いた少年たちは一目散に逃げだします。
 一両日たった深更、牧師の家に商店主ら数人が押し寄せてきてエメットを引き渡せと脅す。銃を突きつけられた牧師は少年が男たちに無理やり連れ去られるのをどうしようもなく見守るほかありません。息子が白人たちに拉致されたとの知らせを受けた母親は半狂乱となりますが、ほどなく遺体が発見されるのです。
 むかし小林多喜二の憲兵隊による凄絶な拷問後の遺体写真を目にしたことがあります。それを上回るような苛酷をきわめるリンチを受けた無惨な遺体をメイミーはあえてマスコミにさらし、会葬者にも見せるのです。
 商店主の兄弟が拉致と殺人の疑いで起訴されますが、陪審員を見れば無罪放免が目に見えるようなメンバーです。1957年のシドニー・ルメット監督の民主主義とは何かをわかりやすく説いた傑作「十二人の怒れる男」に登場する陪審員は全員白人で男性でした。いまでは考えられない選任ですが、当時はそういうものだったのです。
 ミシシッピーといえば、アラン・パーカー監督の「ミシシッピー・バーニング」(88)を思い出します。これも実話を元にした作品で、1964年に公民権運動家の黒人3人が行方不明になる事件が発生し、FBIの捜査官が現地に乗り込んでレイシストたちを前に果敢に闘う姿を描いて秀逸でした。つまり、「ティル」の私刑殺人事件で容疑者が証拠不十分による無罪となったあと10年近く経っても、まだ同様の事件が後を絶たなかったことにこそ、アメリカの根深い人種差別の暗部が潜んでいるのです。さらに、ロバート・マリガン監督の名作「アラバマ物語」(62年)では黒人青年が白人女性を強姦した罪(冤罪)で起訴されます。原作者のハーパー・リーはエメット・ティルの事件をヒントにしたといわれているそうです。
 この映画を見てショックを受けられたかたに最後に断っておくことがあります。それは、さすがに映画の中では事件の概要をかなり和らげて表現していますが、実際にはもっとむごいリンチで殺されたという事実です。人間がそこまで残酷になれるのかと身の毛のよだつような方法で殺されたという真実を知ってください。(健)

原題:Till
監督:シノニエ・チュクウ
脚本:シノニエ・チュクウ、マイケル・ライリー、キース・ボーチャンプ
撮影:ボビー・ブコウスキー
出演:ダニエル・デッドワイラー、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェイリン・ホール