何とも初々しい「二十歳の微熱」(1993年)は橋口亮輔30歳のデビュー作でした。当時キネマ旬報に掲載された淀川長治さんとの対談において、あの普段はお優しい淀川さんがその演出の稚拙さを手厳しく批判されました。もはや対談というより橋口監督が一方的につるし上げられているような緊迫した雰囲気でしたが、ただ対談の最後に80代半ばだった淀川さんが「最後まで映画をやんなさい。あんたはやれるから」とひとこと励ましの言葉を添えたのはせめてもの親心に思えました。たぶん淀川さんは美青年然とした橋口監督のことを本心では憎からず思っていたのでしょう。
そうして、あれから30年以上の歳月がたち、橋口監督の精進は著しく、今は亡き淀川さんの期待に応え得たのだと私は申し上げたい。いや、いまや堂々たる大家の風情さえ感じさせるではありませんか。
もともと戯曲として書かれた物語を連続テレビドラマ化し、それを再編集して劇場版としたのがこの映画だということです。この戯曲の最大の趣向は、タイトルロールである「お母さん」の姿どころかその声さえ一切見せない(聞かせない)というところにあります。戯曲や小説だと「お母さん」と叙述しただけで表現されたことになりますが、視覚芸術であるドラマや映画においては映像に描かれてなんぼの世界です。つまり、視覚的に表現することなく本来の主人公である「お母さん」を表現してしまったところに最大の手柄があるということです。
お母さんの誕生日を祝うために三姉妹が温泉旅行を企画します。ところが、鄙びた温泉郷の旅館に着いたあと、まず長女が部屋のかび臭さに文句をつけ、女性浴場の狭いことに難癖を着け始めます。もともと折り合いが悪い次女が幹事を務め旅館を決めたこともあって長女と次女の間で口論となるのですが、年の離れた三女は長女、次女とも等距離で、しかも愛されキャラという設定です。端からこの調子ですから、先が思いやられます。しかもそこへ招かれざる客として登場するのが三女の婚約者です。ほぼこの四人の登場人物だけで演じられるドラマの展開は優れた舞台劇の様相を呈してくる。とりわけ近年著しい成長ぶりを見せる江口のりこの、何かが乗り移ったとしか見えない常軌を逸した怪演には眼を瞠るものがあります。
ストーリーや脚本の出来不出来は登場人物が実際にあり得なくとも観客に「あるある」と思わせる手腕だというのが私見です。その点、この台本がよくできていると思うのは、三姉妹と三女の婚約者のキャラが実に巧く書けていることでしょう。
加えて、橋口監督も原作者も長崎県出身だという。長女と次女は東京に出ており、三女が地元(長崎でしょうか)で母親と一緒に暮らしているという設定になっていて、三女の婚約者は地元で酒屋を営んでいる。したがって、この四人が気を許したり興奮して激昂すると地元の方言が出るというのもひとつの趣向です。これがまたドラマをおもしろくしているのです。
いわゆるシットコム(シチュエーション・コメディ)・・・わが国でいうホームドラマの秀作として映画史に名を刻まれるであろうこの映画は、橋口亮輔の新たな到達点となるでしょう。
わが尊敬してやまない淀川さん、あなたが危なっかしく危ぶんだ新人監督がここまで大成した存在となったことをぜひ言祝いでください。そう思うと、私は胸がいっぱいにならざるを得ません。(健)
監督:橋口亮輔
原作:ペヤンヌマキ
脚本:ペヤンヌマキ、橋口亮輔
撮影:上野彰吾
出演:江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち
そうして、あれから30年以上の歳月がたち、橋口監督の精進は著しく、今は亡き淀川さんの期待に応え得たのだと私は申し上げたい。いや、いまや堂々たる大家の風情さえ感じさせるではありませんか。
もともと戯曲として書かれた物語を連続テレビドラマ化し、それを再編集して劇場版としたのがこの映画だということです。この戯曲の最大の趣向は、タイトルロールである「お母さん」の姿どころかその声さえ一切見せない(聞かせない)というところにあります。戯曲や小説だと「お母さん」と叙述しただけで表現されたことになりますが、視覚芸術であるドラマや映画においては映像に描かれてなんぼの世界です。つまり、視覚的に表現することなく本来の主人公である「お母さん」を表現してしまったところに最大の手柄があるということです。
お母さんの誕生日を祝うために三姉妹が温泉旅行を企画します。ところが、鄙びた温泉郷の旅館に着いたあと、まず長女が部屋のかび臭さに文句をつけ、女性浴場の狭いことに難癖を着け始めます。もともと折り合いが悪い次女が幹事を務め旅館を決めたこともあって長女と次女の間で口論となるのですが、年の離れた三女は長女、次女とも等距離で、しかも愛されキャラという設定です。端からこの調子ですから、先が思いやられます。しかもそこへ招かれざる客として登場するのが三女の婚約者です。ほぼこの四人の登場人物だけで演じられるドラマの展開は優れた舞台劇の様相を呈してくる。とりわけ近年著しい成長ぶりを見せる江口のりこの、何かが乗り移ったとしか見えない常軌を逸した怪演には眼を瞠るものがあります。
ストーリーや脚本の出来不出来は登場人物が実際にあり得なくとも観客に「あるある」と思わせる手腕だというのが私見です。その点、この台本がよくできていると思うのは、三姉妹と三女の婚約者のキャラが実に巧く書けていることでしょう。
加えて、橋口監督も原作者も長崎県出身だという。長女と次女は東京に出ており、三女が地元(長崎でしょうか)で母親と一緒に暮らしているという設定になっていて、三女の婚約者は地元で酒屋を営んでいる。したがって、この四人が気を許したり興奮して激昂すると地元の方言が出るというのもひとつの趣向です。これがまたドラマをおもしろくしているのです。
いわゆるシットコム(シチュエーション・コメディ)・・・わが国でいうホームドラマの秀作として映画史に名を刻まれるであろうこの映画は、橋口亮輔の新たな到達点となるでしょう。
わが尊敬してやまない淀川さん、あなたが危なっかしく危ぶんだ新人監督がここまで大成した存在となったことをぜひ言祝いでください。そう思うと、私は胸がいっぱいにならざるを得ません。(健)
監督:橋口亮輔
原作:ペヤンヌマキ
脚本:ペヤンヌマキ、橋口亮輔
撮影:上野彰吾
出演:江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち