架空のアメリカ内戦の話。独裁主義的な大統領に反発して19の州が分離独立を表明し、内戦が勃発したアメリカ合衆国。「西部勢力(WF)」と「フロリダ連合」は政府軍を次々と撃退してワシントンD.C.に迫り、首都は陥落寸前の状態となっていた。戦場カメラマンのリーと記者のジョエルは、大統領に直撃インタビューを行うために、老記者サミーと駆け出し写真家ジェシーを連れてニューヨークからワシントンD.Cに向かう。一行は幾多の困難を乗り越えてワシントンD.Cに到着し、銃撃戦の中、大統領にインタビューすることに成功するのだが・・・
アメリカ大統領選でトランプが勝利し、分断の危機に瀕しているアメリカを世界は固唾を呑んで見守っている。これからのアメリカはどうなるのか、ウクライナ戦争やガザの虐殺は終息するのか、パリ協定は? NATOは? 人々がトランプの一挙手一投足に注視している今日この頃、この映画に現在のアメリカ社会を見ようとすると期待は外れるかもしれない。良い意味でも悪い意味でも予想を裏切られる映画だった。この作品の構図はアメリカで実際に進みつつある保守VSリベラルという対決ではなく、専制君主のような大統領率いる政府軍VS州連合の反乱軍というもので、両者の対立軸がいま一つはっきりしない。南北戦争(The Civil War)のときは奴隷制度と自由貿易に対する北部と南部の認識の違いが背景にあったが、本作では何が争いの原因になっているのかがわかりにくい。大統領の横暴に反旗を翻しただけなら、必ずしも分断とは言えない。人種的、民族的、社会的、宗教的対立が根底にあるのかどうか。大統領側に黒人がたくさんいることを考えると、白人VS黒人、白人VS有色人種の闘いではないようだし、保守VSリベラルの対立とも言い切れない。アメリカ公開は大統領選の真っ只中である2014年3月14日なので、さすがに現在をリアルに描くことは問題があったのであろうか。対立軸をあやふやにしてリアリティを追求しなかったおかげで、一般公開できたのかもしれない。
それでも現代のアメリカを描写しているシーンはあった。無政府状態となっている街や村を通過する時、リー達は死体の山や私刑を受けた兵士たちを目撃する。ある村で赤いサングラスをかけた白人の兵士と遭遇する。「What kind of American?(どんな種類のアメリカ人か?)」と詰問され、リー達はそれぞれ出身地であるミズリーやフロリダと答えるが、途中で合流したアジア系のトニーが「香港」と答えると即座に射殺された。ここには中国に対する嫌悪、敵意が露骨に表れていると同時に、白人の有色人種に対する差別感情があるように思う。特に近年増加するヒスパニック系やアジア系に対する嫌悪感が表れている。ミズリーやフロリダ出身のアメリカ人も元々は移民の子孫なのだが、先に来た移民が後から来た移民を締め出そうとする。ヒスパニックの間でも先に来た人たちが後から来た人たちを差別する。アメリカ社会のダークサイドがこのシーンには映し出されている。
この映画は見方を変えると、駆け出しカメラマンのジェシーの成長物語とも言える。ジェシーは尊敬するリーの後について銃弾が飛び交う戦場に入っていく。興味深いことにジェシーはフィルムカメラを使っていて、現場で現像できるように工夫している。リーは最初から現像の必要がないデジダルカメラを使っている。陰影がより豊かに表現できるフィルムを使っているということは、元々ジェシーは芸術的な写真家を目指していたのだろう。そんなジェシーにリーは現場での自分の姿を見せることにより、戦場カメラマンとは何であるかを無言で教えていく。ジェーシは何度も死ぬような目にあいながらホワイトハウスに突入し、大統領が殺される現場に立ち会うことができた。しかしジェシーの命を守ろうとしたリーは命を落とした。戦場カメラマンの苛酷な現実を端的に描いている。
この作品は兵士たちがジェシーの構えるカメラに向かって笑うカットで終わる。監督・脚本はイギリス人のアレックス・ガーランドで、ガーランドはアメリカ人が自国の大統領が殺されるストーリーに反感を抱くのを恐れたのではないか。特に外国人が作った映画の場合はなおさらだ。アメリカが見くびられているという反発があるだろう。それ故ラストカットでは「この映画はフィクションです」と言わんばかりに大統領を殺した兵士たちが記念撮影のようにカメラに向かって笑う。劇中で使われている音楽もカントリー&ウェスタンのようなポピュラーソングで悲壮感はまったくない。リアリティを追求しすぎない配慮がここにも施されている。(KOICHI)
原題:Civil War
監督:アレックス・ガーランド
脚本:アレックス・ガーランド
撮影:ロブ・ハーディ
出演:キルスティン・ダンスト ヴァグネル・モウラ ケイリー・スピーニー
アメリカ大統領選でトランプが勝利し、分断の危機に瀕しているアメリカを世界は固唾を呑んで見守っている。これからのアメリカはどうなるのか、ウクライナ戦争やガザの虐殺は終息するのか、パリ協定は? NATOは? 人々がトランプの一挙手一投足に注視している今日この頃、この映画に現在のアメリカ社会を見ようとすると期待は外れるかもしれない。良い意味でも悪い意味でも予想を裏切られる映画だった。この作品の構図はアメリカで実際に進みつつある保守VSリベラルという対決ではなく、専制君主のような大統領率いる政府軍VS州連合の反乱軍というもので、両者の対立軸がいま一つはっきりしない。南北戦争(The Civil War)のときは奴隷制度と自由貿易に対する北部と南部の認識の違いが背景にあったが、本作では何が争いの原因になっているのかがわかりにくい。大統領の横暴に反旗を翻しただけなら、必ずしも分断とは言えない。人種的、民族的、社会的、宗教的対立が根底にあるのかどうか。大統領側に黒人がたくさんいることを考えると、白人VS黒人、白人VS有色人種の闘いではないようだし、保守VSリベラルの対立とも言い切れない。アメリカ公開は大統領選の真っ只中である2014年3月14日なので、さすがに現在をリアルに描くことは問題があったのであろうか。対立軸をあやふやにしてリアリティを追求しなかったおかげで、一般公開できたのかもしれない。
それでも現代のアメリカを描写しているシーンはあった。無政府状態となっている街や村を通過する時、リー達は死体の山や私刑を受けた兵士たちを目撃する。ある村で赤いサングラスをかけた白人の兵士と遭遇する。「What kind of American?(どんな種類のアメリカ人か?)」と詰問され、リー達はそれぞれ出身地であるミズリーやフロリダと答えるが、途中で合流したアジア系のトニーが「香港」と答えると即座に射殺された。ここには中国に対する嫌悪、敵意が露骨に表れていると同時に、白人の有色人種に対する差別感情があるように思う。特に近年増加するヒスパニック系やアジア系に対する嫌悪感が表れている。ミズリーやフロリダ出身のアメリカ人も元々は移民の子孫なのだが、先に来た移民が後から来た移民を締め出そうとする。ヒスパニックの間でも先に来た人たちが後から来た人たちを差別する。アメリカ社会のダークサイドがこのシーンには映し出されている。
この映画は見方を変えると、駆け出しカメラマンのジェシーの成長物語とも言える。ジェシーは尊敬するリーの後について銃弾が飛び交う戦場に入っていく。興味深いことにジェシーはフィルムカメラを使っていて、現場で現像できるように工夫している。リーは最初から現像の必要がないデジダルカメラを使っている。陰影がより豊かに表現できるフィルムを使っているということは、元々ジェシーは芸術的な写真家を目指していたのだろう。そんなジェシーにリーは現場での自分の姿を見せることにより、戦場カメラマンとは何であるかを無言で教えていく。ジェーシは何度も死ぬような目にあいながらホワイトハウスに突入し、大統領が殺される現場に立ち会うことができた。しかしジェシーの命を守ろうとしたリーは命を落とした。戦場カメラマンの苛酷な現実を端的に描いている。
この作品は兵士たちがジェシーの構えるカメラに向かって笑うカットで終わる。監督・脚本はイギリス人のアレックス・ガーランドで、ガーランドはアメリカ人が自国の大統領が殺されるストーリーに反感を抱くのを恐れたのではないか。特に外国人が作った映画の場合はなおさらだ。アメリカが見くびられているという反発があるだろう。それ故ラストカットでは「この映画はフィクションです」と言わんばかりに大統領を殺した兵士たちが記念撮影のようにカメラに向かって笑う。劇中で使われている音楽もカントリー&ウェスタンのようなポピュラーソングで悲壮感はまったくない。リアリティを追求しすぎない配慮がここにも施されている。(KOICHI)
原題:Civil War
監督:アレックス・ガーランド
脚本:アレックス・ガーランド
撮影:ロブ・ハーディ
出演:キルスティン・ダンスト ヴァグネル・モウラ ケイリー・スピーニー
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