コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

『いのちの理由』(さだまさし)に感動しています

2014-10-15 06:38:50 | Weblog
私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
春来れば 花自ずから咲くように
秋来れば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため
夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちてくるように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため 愛しいあなたを護るため

苦しさの中の楽しさ

2014-10-15 06:35:47 | Weblog
初代若乃花は
「土俵の中に銭が埋まっている」と名セリフを残しました。

もちろんこれを聞いて土俵を掘り返しに行く
そそっかしい人はいないでしょう。

しかし
「苦しみの中に楽しさが潜んでいる」と言ったら
「本当かね」と疑問に思う人もいるでしょう。

楽しさとは何だろうか?

はっきりいって、
味わっているときは何とも思わないかもしれません。
それどころか、
苦しくて仕方がない。
少なくても私の経験ではそういうものである。

たとえば「宝くじに当たったらいいよなぁ」と思う。
一億円当たったら「あれも買おう」「これもしよう」と
想像しているときは楽しい。
だが実際に当たったら、
泥棒が怖かったり、
使い道で揉めたり、
その他いろいろあって、
かえって新たな苦労をしょいこむようです。

私は当たったことがないけれど、
そんな気持ちになるのではないかと思います。

ここからもわかるのは、
人間は想像の世界で愉しんだほど
現実の世界では愉しめないということです。

もう一つの楽しみは、
それは過ぎてしまったことを思い起こして
「あのときは良かったよね」と実感する場合です。

お金持ちになった夫婦が昔の苦労時代を回想して
「ねえ、あなた。いまよりあの頃の方が人生楽しかったんじゃない」
「そうかもしれないな」なんてこともあるようです。

苦しみの中に楽しさが潜んでいるというのは、
本当は楽しいことなのに、
それが苦しみのように感じられることがあるからなのです。

人は一片の楽しさも味わえないことに努力はしないものです。

苦しいかもしれないがどこかで楽しい部分がある。
プロといわれる人間が必死の努力をするのは、
苦しさの中に愉しさをみつけているからです。