なぜ?
人だけは「人間」と言う表現を使うのか?
不思議に思ったことはありませんか。
犬は「犬間」、猫は「猫間」と
聞いたことがありません。
まず、
語源を考えてみます。
もともと「人間」という語は日本語ではなく、
中国から入ってきた仏教用語です。
インド仏教では、
人の心を境地を
「地獄界・餓鬼界・畜生界・人界・天界…」などの10個に分類しました。
この人界を表すサンスクリット語で
manusya-loka(マヌシャ・ローカ)と表現されます。
manusyaは「考える」という意味で、
中国の僧侶が漢字を当てはめて『人間界』と漢訳したもののようです。
つまり日本に伝来当初は人間という語には
「ヒト(human)」の意味はありませんでした。
つまり、
人間というのは社会的な生物なので
単独では生きていけません。
他者との関わり合い、
社会との関わり合いによって初めて人間であるわけです。
同様に、
私たちはよく「自分」という言葉もなにげなく使います。
もともと「自分」というような「もの」、
「もの」としての「自分」、などというものは存在しません。
もちろん体は、
あるいは脳は個体として存在しますが、
体や脳が「自分」の存在にとっていかに不可欠であっても、
それがそのまま「自分」だとは考えられません。
自分というのは、
むしろ体を使い、
脳を使ってものを考えたり、
感じたりしている働き、
すなわち「魂」のことです。
人が生きていく上で、
コミュニケーションが必要と言われますが、
結局は人が生きていくには、
この「魂と魂の関わり合い」がとっても重要なことです。
それを「人間」という言葉で、
日本語が生まれた時代から大切にされてきたのでしょう。
人だけは「人間」と言う表現を使うのか?
不思議に思ったことはありませんか。
犬は「犬間」、猫は「猫間」と
聞いたことがありません。
まず、
語源を考えてみます。
もともと「人間」という語は日本語ではなく、
中国から入ってきた仏教用語です。
インド仏教では、
人の心を境地を
「地獄界・餓鬼界・畜生界・人界・天界…」などの10個に分類しました。
この人界を表すサンスクリット語で
manusya-loka(マヌシャ・ローカ)と表現されます。
manusyaは「考える」という意味で、
中国の僧侶が漢字を当てはめて『人間界』と漢訳したもののようです。
つまり日本に伝来当初は人間という語には
「ヒト(human)」の意味はありませんでした。
つまり、
人間というのは社会的な生物なので
単独では生きていけません。
他者との関わり合い、
社会との関わり合いによって初めて人間であるわけです。
同様に、
私たちはよく「自分」という言葉もなにげなく使います。
もともと「自分」というような「もの」、
「もの」としての「自分」、などというものは存在しません。
もちろん体は、
あるいは脳は個体として存在しますが、
体や脳が「自分」の存在にとっていかに不可欠であっても、
それがそのまま「自分」だとは考えられません。
自分というのは、
むしろ体を使い、
脳を使ってものを考えたり、
感じたりしている働き、
すなわち「魂」のことです。
人が生きていく上で、
コミュニケーションが必要と言われますが、
結局は人が生きていくには、
この「魂と魂の関わり合い」がとっても重要なことです。
それを「人間」という言葉で、
日本語が生まれた時代から大切にされてきたのでしょう。