コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

会話や行動に「間」をとる

2018-07-13 06:55:50 | Weblog
会話や行動に「間」があれば考えて、
創造性や価値観を働かせることができます。

お母さんが
「早く食べなさい」と言われたとき、
間があれば子どもも
「今日は体操があるから、しっかり食べておこう」
「どうすれば早く食べられるだろうか??」などと考えます。

ところが最近の子どもには、
「間」が与えられません。
「早く食べなさい」と指示されたらすぐに食べないと、
叱られてしまいます。
そこで、
食べることの目的や意味、意図、価値観などを何も考えずに、
食べ物を口に運んでいきます。

こうして子どもは、
どんどん物事を考えなくなっていくのです。

そういう育てられ方をした子どもは、
あまり考えずに物事を決定するようになります。

何に基づいて決定するかといえば、
「気分」です。

「腹が減ったから食べる」
「勉強は面倒くさいからやらない」
「朝起きるのはだるいから昼まで寝ている」

このようにして、快楽主義者が生まれます。

今の若い人は刹那主義的だとか、
快楽主義的だとか、
自分さえよければいいと考えている、
と非難する大人がいますが、
「間」のない生活の中で判断を迫られることによって、
彼らはそう教育されてしまっているのです。

「間」をもたないコミュニケーションは、
人から考える力を奪っていきます。

相手に「間」を与えることで、
「あなたは自分のペースを守っていいよ。
「言いたいことがまとまるまで、こちらは待っていますよ」
というメッセージを送ることができます。

人には回転の早い人も遅い人もいます。
あるテーマに対したとき、
熟考したほうがよいと感じる人もいるし、
早く結論を出したほうがよいと考える人もいます。

直感で判断する人もいるし、
論理的に手順を追って判断を下す人もいます。

その人がそのテーマをどう見るかによって、
テーマへの対し方も変わってきます。
その対し方そのものが、
その人を知るうえでのひとつの情報になるのです。


疲れがたまる状態とは?

2018-07-12 06:23:12 | Weblog
最近妻は「疲れた、疲れた」と言っています。
そこで、
疲れがたまる状態について考えてみたいと思います。

台所に、
汚れた食器や鍋が山のようになっているとします。

その気になってとりかかれば、
洗うのに数分で終わります。
しかし、
洗い物の山を見ただけでうんざりで疲れてしまいます。

ただしこれは、
本当に疲れたわけではありません。
実際に行動したわけではありませんから、
エネルギーは減っていないからです。

さらに、
「見ただけで疲れたから、後にしよう」と思ってやらないでいると、
洗い物がもっとたまります。
すると、
本当は始めてしまえば数分で終わるのに、
行動できなくなってしまいます。
もうやらなくていけない状態になって始めると
猛烈なエネルギーを使うことになってしまいます。

皿洗いの始まりはちょっとしたきっかけです。
たとえば、
何となく台所に形たとします。
そのとき「ええと、何をしに来たんだっけ」と思いました。
「あっ、水を飲みに来たんだ・・・」
ところがシンクにはコップがいくつか置いてあったとします。
そのとき、
「とりあえず、今水を飲むためのコップを洗おう。
それだけやってしまおう」と考えます。

それで、ジャブジャブとコップを洗うと、
コップがきれいになりました。

行動したので、エネルギーは減りました。
しかし自分の行動に対して、
結果を出せたので、
「ああ、気持ちよかった」となります。

そのときにもう一歩踏み込んで、
「せっかく洗剤をつけたのだから、
コップだけでも洗ってしまおう」と考えます。

洗えば、
食器が次々にきれいになっていくと、
気持ちがどんどんアップしていきます。

ついでにお皿も鍋もとなって、
最後はすべて綺麗になりました。

すっかりきれいになった後は、
エネルギーは減りましたが心地のよい疲れが残りました。

「痛み」を受け止める

2018-07-11 05:28:42 | Weblog
コミュニケーションの第一歩は
「一緒にいる」です。

そんなこと当たり前じゃないかと
批判を受けそうですが、
これが大切です。

多くのコーチングでは
「聴き方のスキル」だとか
「ペーシング」などとこだわります。
しかし前提がいるのです。

この「一緒にいる」とは、
「空間を共有する」ことです。

ただし空間を共有するとは、
必ずしも物理的に相手と同じ場所にいるだけではありません。

互いに相手を意識している状態でなければ、
空間を共有している、
とはいえないのです。

向かい合っていても、
上の空だったり、
全く別のことを考えていたりすると、
一緒にいるとはいえないのです。

逆に電話で話していて、
身体は別のところにあっても、
相手にしっかりと意識を向けていれば、
空間を共有していることになります。

空間を共有していれば、
相手が「聞こえて」きます。

言葉だけでなく、
相手がどんなふうに感じているか、
緊張しているのかいないのか、
相手がどこに立っているのか、
相手に何が起きているのか、
聴くべきことが自然と「聞こえて」くるのです。

相手のことが聞こえてくれば、
こちらはそれに対して言いたいことも出てきます。
そこにコミュニケーションが沸いてくるのです。

「痛み」を受け止める

2018-07-10 06:14:32 | Weblog
紙で指先を切った経験はありますか?

結構痛いですね。

この時、
「あっ、痛い。痛いなぁ。この痛みを消したいなぁ」と、
痛みをいつまでも気にしていると、
痛みはいつまでも続きます。

おしゃべりしたい人の、
口をふさいでしまっているようなもので、
ますます痛みを増幅してしまいます。

ではどうすればよいのか?

その痛みをただ受け止めればよいのです。
「ああ、指先がズキズキ言っているなあ」と味わえば、
不思議なことにだんだんと痛みが引いていきます。

これはアメリカの歯科医などが麻酔を使わずに痛みを軽減する、
「ペイン・コントロール」

頭痛もちの人が、
「頭が痛いなぁ。何とかこの頭痛をなくしたいなぁ」と思うと、
痛みはさらに気になり、強くなったりします。
その場合は、
頭のどのへんが痛いのか、
探して、味わってみることです。

肩凝りも同じで、
人には自分の身体をほぐす力があります。
よほど部分的に長い間乳酸がたまってしまっている状態はありますが、
通常の肩凝りであれば、
その肩こりを受けて止めれば
治まります。

精神的な苦しみも同じです。

無意識に受け入れないで何とかしようとするため、
かえって苦しみを大きく、
長く感じてしまっているのです。

ですから
さまざまな不快感や痛みの感覚を徹底的に受け止め、
コミュニケーションすることによって軽減します。

心の痛みと上手く付き合うことです。

「あり方」を聴く

2018-07-09 06:10:44 | Weblog
ふつう人は、
どうしても相手の話の内容を聴いてしまいます。

相手が「イヤだ」と言えば、
「イヤだ」というその言葉の意味内容から、
その人を判断します。

しかしそれでは、
その人の話を本当に聴いたことにはなりません。
言葉の意味ではなく、
その人の「あり方」を聴かなければならないのです。

「イヤだ」という言葉を受けとった場合には、
相手が自分を否定するために言っているのか、
自分を守るために言っているのか、
実はイヤではないのだが、
たまたま怒りが出てきて言わざるをえない気持ちになっているのかを
「聴く」必要があります。

それによって、
相手への対応が変わってきます。

例えば、
研修会でよく質問を受けます。

わたしを困らせようとして質問してくるケース、
自分を主張しようとして質問してくるケース、
単に目立ちたいために質問してくるケース、
理解できないために質問してくるケースなど、
様々です。

それら質問してくる人の「あり方」を聴いて、
その質問に答えるときもあるし、
答えない場合さえあります。

質問してくる人が理解できていないようなら、
すぐに答えを言わず、
自分で探るようにさせ、
相手に発見してもらうことで身につけさせます。

目立ちたいために質問してきた人には、
会話の中でみんなの役に立つような情報を提供し、
その人の質問のおかげでこの情報が生まれてきたのだと承認することで、
質問者に満足してもらいます。

また、
わたしを困らせようと考えて質問してくる人には、
戦う場合も、
やり過ごす場合も、
あえて質問にていねいに答えて議論を深める場合もあります。

相手がどこに立っているか、
どの方向を見ているかをつかめば、
それに応じた対応ができるのです。

日常会話でも、
「こんなことはできません」と言ったとき、
本当にできそうもないからそう言っているのか、
反抗したいために言っているのかによって、
当然、対応の仕方も違ってきます。

反抗しているのなら、
どこに本当の不満があるのかを探るコミュニケーションを
とらなければなりません。

ところが多くの人は、
相手がどういう状態にあるかを「聴けない」のが実際のところです。
だから、
問題がこじれていくのです。


任せないと人は育たない

2018-07-06 06:14:37 | Weblog
任せないと人は育たちません。

「人は誰でも無限の可能性を持っている」
というのがコーチングの基本的な哲学です。

「誰でも」です。

すなわち、
あなたの周囲の人も、
無限の可能性を持っているということです。

その可能性を開花させるかどうかは、
コーチの責任です。

では、
相手の可能性は何によって開花するのか?

それは、
「任せられる」ことによってです。

任せられることにより、
相手は初めて当事者意識を持ち、
自らの責任で育つことができるのです。

相手はさまざまな経験をすることによって、
能力を伸ばす。

重要なことも。
できる人だけでこなしていると、
いつまでたってもその内容は経験できないし、
ましてや育つこともできません。

会社で言うと
上司は、
部下を会社から一時的に預かっているのです。

部下を一人前にして会社に返す責任と義務があります。

上司が仕事を抱え込んで、
部下に仕事を任せず、
育てないと、
さまざまな弊害が生じるでしょう。

「どうしたらよいか」と聞く

2018-07-05 06:15:54 | Weblog
コーチングの大原則に
「答え」は相手自身が持っている
というのがあります。

率直に
「どうしたらよいか」と、
相手の考えを聞いてみることです。

このとき、
「こうすればどうだろう?」とか
「こういうやり方のほうがいいのではないか?」
という聞き方をしてしまうと、
その例にとらわれてしまって、
相手の思考がそのことに限定されてしまいます。

そこで
「どうしたらよいか」
と質問されることによって、
相手の思考は解放されます。

「こうすれば」と聞かされては、
相手の思考は閉じこめられてしまうのです。

相手に自由に考えさせ、
思考の中に漂わせることが重要です。

自分の想像もしない
「正解」が導き出せるかもしれません。

ほめた時、ついでに命令しない

2018-07-04 06:11:01 | Weblog
ほめることのよさは言うまでもありません。
しかし、
ほめる時は、ほめるだけにしてください。

これを道具にして、
何かを命じてはいけません。

よくあることは、
ほめることを枕にして何かを命ずることです。

「よく頑張ってくれた。次は、これをやってくれ」

これでは、新しいことをさせるために、
ほめるという手段を使っているようなものです。

これが続くと
相手はほめられることにむしろ警戒感をもちます。

「また、何か、やらされるのではないか」というわけです。
これではほめられても、
それを素直に受けとることができなくなってしまいます。

ほめる目的は、
「正しい行為がさらに強化され、
より動機づけがなされること」にあります。

ほめる時には、ほめるだけ。
何かを命ずるときには、命ずるだけ。

下心を待ちながらほめるのでは、
本人のやる気も半減してしまいます。
さらに、
警戒されたり、
反発を招くことにもなりかねない。
ほめる時には、
ただほめることを目的として、
しっかりとほめることです。

失敗はすぐに忘れる

2018-07-03 05:21:57 | Weblog
人間関係において、
失敗はつきものである。

人間というのは不完全なものですから、
失敗が常に起こり得ます。

大きな失敗や許しがたい失敗もありますが、
いずれにせよ失敗を許し、
忘れ去ってしまうことが
お互いに大切です。

相手の失敗をいつまでも心にとどめておくのは、
自分自身にとっても
良い状態ではありません。

相手の失敗を許さないでいると、
相手はそれを察知し、
束縛された状態で箱の中に閉じ込められているような気分にります。

箱から逃げだすことに必死になり、
自分を守ることしか考えられなくなります。
これでは互いにとって時間のムダです。

失敗はすぐに忘れ、
許すことです。
相手に過ちを許すということを伝えることです。

その過ちが小さなことであれば、
今後そのようなことがないように、
やさしく教えてあげればいいのです。

大変な過ちであれば、
次に同じことが起きた場合どうなるかを
相手に伝えておくことです。

そして、
その過ちを許し、
通常の生活に戻りましょう。

失敗のイメージをパワーに変える

2018-07-02 06:31:04 | Weblog
重要な決断をするには、
「痛み」を利用することもあります。

頭の中に「成功したときのイメージ」はできあがっている。
だけども、
どうしても決断できなくて、
最初の一歩を踏み出せない。

そんなときは「痛み」を考えましょう。
「失敗したときのイメージ」をつくって、
自分に大きな痛みを与えてしまうんです。

あなたに「プロサッカー選手になる」という夢があったとします。

もしその夢を現実できなかったら、
あなたの人生はどうなるでしょうか?

あなたは何年も、
やりたくない仕事を続け、
お金のためだけに働いているかもしれません。
結婚している人なら、
奥さんはどんどんやつれていく。
貧乏暮らしを嫌っている子ども、
あなたに軽蔑の視線を向けているかもしれません。
まだ結婚していなければ、
両親について考えるのもいい。
すっかり年老いた両親が、
あなたを心配している姿を、
テレビのワンシーンのようにイメージしてみます。

「・・・・何とかしてくれ!・・・最悪だ!」
そんなふうに叫びたくなるくらい、
どんどん暗いイメージを考えることです。

そうすれば、
「こんなイメージを現実にしてはいけない!」と、
今の数倍もがんばれる。
すぐさま、
最初の一歩を踏み出せるでしょう。