3月10日 金曜日。
昨日、9日の木曜日は一日東京だった。
主な目的は、4月発売のヨット専門誌に掲載する『ラッセル・クーツ44』の記事に使う写真を編集者と一緒に選ぶことだったが、それ以外にも、いろんなヨット関係者に会って、面白かった。
その編集部の近くの、1970年代にタイムスリップしたような、ちょっとシュールな喫茶店で、エ○メラルダのU松オーナーにお茶を御馳走になり、氏の今シーズンと来シーズンのヨットレース計画を聞いたり、最新の2006年ジャパンカップ裏事情情報などを仕入れさせていただいた。
浜松町にあるその雑誌の編集部での仕事が終わると、山手線で品川に行き、3人の優秀な学者たちと酒を飲んだ。
一人は、2000年のニッポンチャレンジ開発チームの若親分で、現在はヨットデザイナーの金井亮浩氏。
もう一人は、2000年のニッポンチャレンジの建造チームのボスで、現在は東京大学助手の鵜沢氏。
さらにもう一人は、大阪府大の田原教授。田原先生は、1987年のアメリカズカップに勝ったデニス・コナーの『スターズ&ストライプス87』の開発にアメリカの組織で携わったこともあり、2000年のニッポンチャレンジ艇では、キールバルブの抵抗の評価などにも携わっている。
席に着くなり、3人はいきなり、なんだか秘密らしい、現在日米間で進められている、太平洋を舞台にした国家プロジェクトの話とか、落下傘の性能をどう評価するかとか、光ファイバーを使って物性がどうして、抵抗の検出がこうして、そして研究費をどうひねり出すかとか、などについて熱い議論を始めた。
その会話が唐突に始まったこともあり、また、その会話に使われている単語のほとんどが分らないこともあり、ぼくには外国語か音楽を聞いているようだったが、酒のつまみとしては、決して耳障りなものではなかった。
セーリングを、セーリングボートを、科学と物理学の目で見ることができるこれらの人たちと話すことは、とても面白いし、すごい勉強になる。ヨットレースの時とは別の方法でセーリングのことに夢中になれる、非常に楽しい時間だった。
話に熱中して、2本目の焼酎のボトルを飲みきれなかったので、みんなを代表して、ぼくが、いつも持ち歩いているスターバックスのマイ・マグカップ(スタバに行ってこれにコーヒーを入れてもらうと、20円安くしてくれるのだ。資源節約にも気持ち貢献できるしね)に移して持ち帰った。2年程前、このマグカップを買うときに大きいのにするか小さいのにするか、とても迷ったが、大きいのを選んだことが、2年後になって、思わぬところで報われた。焼酎は、ほんのりコーヒー・フレーバーになったけど。
今日は、かつてぼくが書いた『歴史に挑む、風の旅人たち』というアメリカズカップ本の中に、昨日一緒に飲んだ金井氏のことについて書いた部分があるので、金井氏の紹介も兼ねて、抜粋してみましょうね。
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テクニカルチームのディレクターである宮田秀明教授の片腕とも言える金井亮浩は、今回のアメリカズカップをきっかけに、東京大学の研究室を離れて株式会社ニッポンチャレンジに入社し、ニュージーランドでニッポンチャレンジの活動が一段落した後、2000年に自らの会社を設立した。自身の研究テーマと仕事を、船舶一般からセールボートに絞ってきたわけだ。
ニッポンチャレンジの新艇開発に取り組み始めたころはセーリングの素人だったが、今では自分自身による勉強、世界一流のセーラーたちとの会話や実際のセーリングを通して、セーリングの本質、セールボートの本質を理解しつつある。他のレースボートデザイナーに比べて自分の弱点がどこにあるかを分析し、その弱点を補うための努力を続けている。
〈阿修羅〉と〈韋駄天〉の2ボートテストによる性能解析、性能アッププログラムを通して彼がセーリングチームに提出する分析値は、セーラーが担当する仕事に関する部分で多くのヒントを与えている。そのうちのいくつかは、確実に2隻の性能を向上させた。
ニッポンチャレンジ内部では、流体力学という科学とセーラーの経験と感覚とが、金井の能力によってひとつに結び付けられつつあった。ぼくは個人的には、そこの部分に深い感動を覚えた。
現在のところ世界トップのレースヨット・デザイナーだと評価されているブルース・ファーは、中学生のときに自分が乗るディンギーを設計することからボートデザイナーとしてのキャリアをスタートした。
金井は、造波抵抗を研究する分野では世界最高峰の研究室で、セールボートデザインを進化させる作業を始めた。今では、ときどき自分で自分が開発したボートのステアリングもする。
ジャイブ、下マーク回航では、ニコニコと笑顔を浮かべたままグラインダーのハンドルを離さない。
高校生のときにボート部だった金井は朝のトレーニングにも毎日参加する。サッカーでは、ボールに体ごと食らいつき、勢い余って転倒して手首を骨折したが、それに気づかず、ただの捻挫だと思い込んだまま、骨折した手首でクルーのグラインディングテストに参加し、驚くべき好成績を収めた。その無理がたたってオークランドに移動した後もしばらく手首のギプスが取れないままだった。
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面白い人でしょ、金井さんって。これからの日本のヨット設計という分野を支えていくべき人です。