ラッセル・クーツがいた瀬戸内海 最終回

2006年03月08日 | 風の旅人日乗
3月8日 水曜日。

4月第2週発売のターザン原稿が7日火曜日の午前中に完成。
5日日曜日のレースが終わって以来、あまり寝てないような気がするが、まあ、長距離外洋レースの、フィニッシュ直前のラストスパートの練習をしていると思えば、楽なもんだ。濡れないしね。

ターザンの原稿は、ボルボ・オーシャンレースのトップをひた走る『ABN AMRO1』を中心にした話。この艇のスキッパーとは、16年来の付き合い。じっくり話をし、クルーと話し、実際のセーリングでステアリングをさせてもらってからの原稿書きなので、楽しく書くことができた。眠かったけど。
4月12日発売なので、ぜひ読んでください。よろしくお願いします。

午前中に原稿をメールで送った後、記事に使う写真とレイアウトの打ち合わせで、夕方、東銀座の編集部へ。
東京に向う横須賀線で、前後不覚に眠る。

約束の時間よりも早く着き、小腹が空いたので、東銀座から築地まで歩いて、お気に入りの蕎麦屋さんで時間調整。蕎麦って、本当においしいなあ。日本人に生まれてよかった。
2時間ほどの打ち合わせのあと、再び新橋から横須賀線に乗って逗子経由で葉山に帰る。
東銀座から京浜急行で新逗子まで帰るって手もあるが、京浜急行の殺人的ラッシュ、しかもほとんど酔っている人たちばかりのカタマリの中で耐える体力・気力ともなしと判断して、夜の銀座通りをブラブラと新橋まで歩いた。
ああ、早くセーリングの仕事に戻りたいなあ。

さて、本日のエッセイ、行きます。
『ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003-最終回』です。

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ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003
(最終回)


文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura


【瀬戸内牛窓の夜、寿司屋で一杯】
7月30日 尾道~鞆~直島~牛窓 

瀬戸内海の旅もあと2日。朝、尾道の急斜面を上り下りして汗をかく。おいしい和食の朝食後、千光寺に登って撮影。港へ帰る途中、尾道海技学院に立ち寄って職員の方々と記念撮影。

9時尾道出港。阿伏兎ノ瀬戸で撮影のため、しまなみ海道以来の激しいセーリングを楽しんだ後、撮影艇に乗り移り鞆に入港。古い街並みが残る鞆の町を歩き、澤村船具店前などで撮影。
鞆を出港後、直島へ向う。直島文化村の笠原支配人の案内でベネッセ美術館を見学し、美術館内のレストランで昼食。

直島を出て、この日の目的地、牛窓へ。牛窓入港前にPクラスで練習する子供たちの群に、乗ってきたセーリング・クルーザーで激励攻撃をかけようとしたが、水深が浅くて接近できず。
無念のまま、16時過ぎ、牛窓港のホテル・リマーニ前の桟橋に着岸。

ここでは岡山放送のテレビ番組に生出演。ホテルのプール前でアリンギTシャツを着てその番組をこなした後、すぐに部屋に走って帰ってネクタイ、スーツに着替え、18時30分パーティー会場へ入場。スピーチ。記念撮影。サイン。くじ引き賞品プレゼンテーター。
パーティーも残るは明日のサヨナラ・パーティーを入れてあと2つ。ラストスパート。

パーティー後、地元の寿司屋さんへ。お客さんが他に一人だけだったこともあり、ゆっくりしみじみと岡山の海の幸、瀬戸内海の食材を、おいしい料理で味わう。


【〆の大阪で、日本代表の天麩羅に圧倒される】
7月31日 牛窓~明石海峡~新西宮ヨットハーバー 

さあいよいよ、「ラッセル・クーツ紀州・瀬戸内の旅」最終日。
朝、牛窓神社までジョギング。地元の大学ヨット部の学生たちに見送られて出航。この旅の最終ゴール地、新西宮へと向かう。

明石海峡をセーリングでくぐるシーンの撮影をするも、残念ながら風なし。海から神戸の街を見ながら、阪神大震災の話。6千人の方々が犠牲になったことを知り、非常に残念がる。

新西宮ヨットハーバーにセーリングで入港。
今回のクルージング実行委員会主催の「サヨナラ・パーティー」。
関西のヨット関係のお歴々、今回の企画を支えてくれた各スポンサーの方々が多数参加。

ラッセルは心からの感謝と、今回見た瀬戸内海がどんなに素晴らしく印象的だったかを出席者に伝える素晴らしいスピーチを披露。
夜、主催者代表の方と一緒に大阪の天麩羅屋さんで食事。
日本一とも言われる天麩羅を、極上のシャルドネで。今回のクルージングの思い出を関係者の人たちに感謝しながら静かに語るラッセル。


【激務の待つスイスへ。また来いよラッセル】
8月1日 大阪 

朝9時過ぎ、大阪中之島のリーガロイヤルホテルを出発。
やっと梅雨が明けた空の下、関西国際空港に向う。2人だけで乗った車の中で、本を書くための詳細打ち合わせ。今後の原稿の進め方などについて連絡を取り合う段取りなどを決める。

スイスに帰れば9月開催のサンフランシスコでのモエ・カップの段取り手配、新人のリクルートから次回アメリカズカップ全体にまつわることまで、アリンギ全体を統括するディレクターとしてチーム内部のことだけでなくアメリカズカップ運営にも深く関わる激務が待っている。

もちろんこの13日間も、日本の海の魅力を海外に知らしめるという大事な仕事ではあったが、今回のクルージングが、ラッセルにとってこれからの忙しい日々に立ち向かう前のいいリフレッシュになればと祈りつつ、見慣れたスマイルで手を振りながら出国ゲートに消えるラッセルにさよならを言った。

(完。無断転載はしないでおくれ)