ラッセル・クーツがいた瀬戸内海 その3

2006年03月05日 | 風の旅人日乗
3月5日 日曜日。

きょうは、20代前半からお世話になっているヨットの大先輩のクルージングヨットに乗せていただき、葉山マリーナの月例レース。
結局まだ原稿の大半が終わってないため、レース後の夕食も途中で抜けてしまい、申し訳ないことをしたが、楽しいセーリングだった。

さて、本日のエッセイは、『ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003-その3』です。

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ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003
(その3)


文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura

【ラッセルの真情を知る、「ニュージーランドから」という言葉】
7月24日 淡路島~小豆島~高松

朝ホテルの周囲をジョギング。
淡路島を出港し、給油を兼ねて小豆島・土庄へ。
タクシーで銚子渓まで登って撮影。

昼食に小豆島そうめん。隣で食べていた西洋人女性2人に、ラッセルが「どこから?」と話しかける。
「イングランドから。あなたは?」。
一瞬の間を置いて、ラッセル「ニュージーランドから」。

今回の来日中も、アメリカズカップ公けの場では常に「スイスのラッセル・クーツ」をアピールするラッセルが、プライベートの場で答えた「ニュージーランドから」。ラッセルの心の中を垣間見た。

銚子渓からの帰路、撮影をしながら船に戻る。土庄出港、高松へ。
高松入港前、夏休み合宿練習中のFJ、レーザーの高校生の群に突入。48ftのセーリング・クルーザーで、FJのすぐ後ろをマッチレースなみの距離でケツなめ。
そのままタッキングマッチを仕掛ける。四国の海洋少年少女たちが狂喜する。

16時高松港入港。
香川県警楽団の演奏の中を上陸。歓迎セレモニー。答礼スピーチ。記念撮影。サイン。
16時50分セレモニー終了。すぐに高松市内の栗林公園に行き撮影。

撮影終了後17時30分市内のうどん屋さんに急行し、讃岐うどんを食べるシーン撮影。「旨い旨い」と冷・温それぞれを啜りこむ。
18時15分全日空ホテルクレメント高松にチェックイン。
走って部屋に行きシャワー、ネクタイに着替え、18時30分同ホテル宴会場でパーティー開始。

スピーチ。乾杯。記念撮影。サイン。アトラクション参加。
21時前、パーティー終了。ニコニコと笑いながらパーティー会場を出てエレベーターに乗りドアが閉まって、やっと「フー」と深いため息。
おやすみなさい。


【生ビール「大」に、ラッセル驚愕】
7月25日 高松~瀬戸大橋~粟島~大三島~能島~しまなみ海道~今治 

朝、ラッセルは高松港防波堤、ぼくは高松城跡公園周囲と別々のコースをジョギング。
9時高松港出港、鬼が島伝説の女木島を過ぎ、瀬戸大橋をくぐるシーンを撮影開始するも、豪雨降り出し撮影不能。全員びしょ濡れ。

11時30分、浦島太郎伝説の香川県詫間町の粟島に上陸。
雲が切れて太陽が照り付け、正しい夏の瀬戸内海。
日本最古の商船学校の校舎跡と敷地で地元の子供たちと交流会。子供たちと接するときのラッセルはことのほか嬉しそう。子供たちとの握手やサインには自然熱意がこもる。

小豆島に続いてここでも嬉しいそうめん流し。
ツユに生姜をたっぷり入れるのが今回自身で発見したラッセルの好み。
来島記念植樹をして、子供たちに見送られて粟島出港。
「どこの国も子供はいいね」。

しまなみ海道のすぐ東側、伯方島、岩城島、赤穂根島、津波島で囲まれた狭い水面でセーリングシーン撮影。
岸ギリギリまで行ってタック、岩の横でジェネカー・ホイスト。細い水道をジャイブ、ジャイブ。
撮影そっちのけで熱いセーリング。
仕事を忘れてセーリングを楽しんでいる様子。

大三島の井口港に入港し、車で隣の大島、宮窪町へ。
ここから小舟に乗り換え、村上水軍ゆかりの島、能島へ渡り、激流の中のような潮流の中で撮影。当時の海賊たちの歴史との関わりや生活ぶりを説明する。

再び車に乗ってしまなみ海道で来島海峡を渡って四国へ入国。本日の宿、今治国際ホテルにチェックイン。
ラッセルを含む取材部隊の最大の懸案事項となっていた洗濯物問題を解決すべく、コインランドリーに直行。
洗濯中ホテルのスポーツ・ジムで汗。

夕食のときに出た生ビール「大」の大きさに、ラッセル驚く。
「日本人がこんなにビールを飲むの今まで知らなかったぞ」。

テレビの野球中継合間のコマーシャルで、翌日松山での「ラッセル・クーツ氏歓迎パーティー」の告知が流れる。みんなで顔を見合わせる。

(続く)