3月19日。
18日の午前3時に、砂嵐が続く砂漠の国ドバイを出て、18日の深夜、桜の花がほころび始めた葉山に帰り着いた。
出発前、ギリギリまでドバイでワインを飲み続け、記憶喪失の状態のまま、関空経由で羽田まで運ばれてきた。
翌日19日は、母校の東京海洋大学ヨット部の合宿所に、彼らの夕食が終わった後にお邪魔した。
チームニシムラの構想、自分自身の夢を語り、これからの葉山を中心にした活動計画に協力をお願いした。
青年たちが、こちらの拙い説明を、真剣なまなざしで非常に熱心に聞いてくれるので、ワタクシは少し緊張してしまった。
しかし、青年たちというのは、気持ちいいなあ。礼儀正しく、未来に夢を持っている。未来の日本を担う、大切な人たちだ。
これから、こういう人物たちと今後同じ目標に向った活動をして行けるとなると、自分の人生も、結構捨てたモンじゃないじゃん、という気持ちになってくる。
ドバイ疲れがジンワリと癒される夜になった。
18日の午前3時に、砂嵐が続く砂漠の国ドバイを出て、18日の深夜、桜の花がほころび始めた葉山に帰り着いた。
出発前、ギリギリまでドバイでワインを飲み続け、記憶喪失の状態のまま、関空経由で羽田まで運ばれてきた。
翌日19日は、母校の東京海洋大学ヨット部の合宿所に、彼らの夕食が終わった後にお邪魔した。
チームニシムラの構想、自分自身の夢を語り、これからの葉山を中心にした活動計画に協力をお願いした。
青年たちが、こちらの拙い説明を、真剣なまなざしで非常に熱心に聞いてくれるので、ワタクシは少し緊張してしまった。
しかし、青年たちというのは、気持ちいいなあ。礼儀正しく、未来に夢を持っている。未来の日本を担う、大切な人たちだ。
これから、こういう人物たちと今後同じ目標に向った活動をして行けるとなると、自分の人生も、結構捨てたモンじゃないじゃん、という気持ちになってくる。
ドバイ疲れがジンワリと癒される夜になった。