ラッセル・クーツがいた瀬戸内海 その2

2006年03月04日 | 風の旅人日乗
3月4日 土曜日。

葉山は、3月に入って初めて、穏やかな晴天の朝。
霞んではいるが、富士山もよく見える。

今日中に原稿を、少なくとも一本は仕上げるぞ。
なので、日記はここで切り上げて、本日のエッセイは、昨日に続いて『ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003-その2』です。

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ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記2003
(その2)


文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura


【ワイン博士ラッセルに学ぶ】
7月22日 白浜~田辺~和歌山マリーナシティー

さあ、今日も忙しいぞ。
7時朝食。その前に白良浜までジョギング。
朝食後、昨夜からホテル前で待機のバスで千畳敷、三段壁、白良浜、円月島、と和歌山県の海の名所を回り撮影。

白良浜では靴を脱いで波打ち際に行き子供と遊ぶ。
ラッセルが何気なく脱ぎ捨てていったサルバトーレ・フェラガモのデッキシューズを放っておくのが不安で、その横に座って波打ち際での撮影風景を遠くから見守る。「下足番」という言葉をフト思い出す。

戻ってきたラッセルと、靴の番をしていたことから日本の治安についての話題になる。
スイスでは、国民はとても管理された状態に置かれ、事件らしい事件はほとんど起きないらしい。

昼前、田辺市に着き、市内のマリーナから島精機所有のモーター・クルーザーに乗って、石灰岩が美しい白崎へと向かう。
船中熟睡。時差ボケに苦しんでいる様子。
13時前、白崎沖で撮影用のモーター・クルーザーとセーリング・クルーザーと合流。
ラッセルとぼくはセーリング・クルーザーに乗り移る。

打ち合わせ通り、TVのヘリが飛来してセーリング撮影開始。
撮影終了後、海路和歌山マリーナシティーへ。

和歌山マリーナシティー到着後すぐ16時半から地元ラジオ番組の収録。
それが終わるとそのまま17時からヨットの艇上でテレビ和歌山のトークショー出演。終了後小走りでホテルの自室に戻り、18時からの島精機訪問に備えてスーツに着替える。暑いぞ。

工業編み機とCGソフトで世界水準をリードする島精機本社(和歌山市内)を見学した後、本社最上階にあるプライベート・レストランにて島社長主催の晩餐会。
木村県知事、大橋和歌山市市長などのお歴々が出席。
ここでもラッセル見事なスピーチ。

島社長が御自身専属のソムリエに指示して、ラッセルのために彼の誕生年である1962年のシャトー・ラトゥールを手配。1962年は島精機創業の年でもある。ワインの知識乏しいせいであまり熱心に飲んでないぼくを、隣のラッセルが肘でつつき、小声でアドバイス。「このワインだけは、真剣に飲んどいたほうがいいぞ」。

お金の話はお品がよろしくないのでしたくないが、あとでラッセルからそのワインの推定値段を聞き、言葉と思考を失った。
島社長、ありがとうございました。島社長夫妻の温かいおもてなしで、ラッセル日本滞在3日め、忙しいながらも幸せに暮れる。


【ラッセル、鳴門の渦潮に目を瞠る】
7月23日 和歌山~徳島~淡路島

朝、マリーナシティーの周りをジョギング。
午前中ラッセルは電話&メールでスイスとお仕事。
120通も溜め込んだ山のようなメールと格闘している模様。

午後、和歌山県を離れ、いよいよ瀬戸内海のクルージングへと出発。
この日は徳島までの行程。
淡路島の深浦側からの鳴門海峡と鳴門大橋が、太平洋側から見たゴールデンゲートそっくりだと、ラッセルが感想を述べる。
この日は小潮だったが、ラッセル、鳴門のうず潮に驚き、喜ぶ。

荒れる鳴門海峡を抜け、大塚製薬の御好意で徳島の亀浦港に入港。
着岸後、ラッセルとぼく、カメラマンでゴムボートに乗って小鳴門海峡探検へ。
落差のある潮を目の当たりにして、ラッセル大はしゃぎ。ただし、海岸に打ち上げられた発泡スチロール、プラスチック系のゴミを悲しむ。「次の世代にきれいな海を残すのは俺たちの世代の使命だぞ。」

車で鳴門大橋を渡って淡路島西淡町にあるホテル阿那賀へ向かう。
車中、世界の海のゴミ政策の話が続く。日本の海もきれいにしなければならぬ。

ホテル到着と同時にラッセル、スタッフを巻き込んでインターネットと格闘。
その間に地元紙から電話インタビュー。パソコンで忙しいラッセルに代わって、鳴門の印象について彼の言葉を伝える。
「世界に類を見ない素晴らしい景観の海。でもゴミが多いことに心が痛む」。
翌日の新聞、残念ながらゴミについてのコメントは削除されていた。

来日後初めて、夜の公式行事なく、ホテルで和食のくつろいだ夕食。
現役スポーツマンとして肉体管理に厳しいラッセル、魚と野菜、油の少ない日本料理を好む。

今年2003年のアメリカズカップの話題。
チーム・ニュージーランドの秘密兵器"HURA"についてはNZL-81が進水した2日後にはアリンギは知っていた。
今回のアリンギ・チームは、相手艇のセールの写真から、そのセールのサイズを5ミリ単位の精度で知り、そのデザイン・シェイプを読み取るソフトを開発していた。
恐るべし。

セールがそこまで分析できるのだから船体、リグに至っては推して知るべしで、次回から艇を覆うスカートを廃止するという決定は、そういう科学的背景があるから。つまり隠しても無駄なんだから、意味のないことはやめようよ、ということ。

(続く。無断転載はしないでおくれ)