2月28日 火曜日。
沖縄・座間味島サバニ合宿8日目。
8日間のサバニ合宿打ち上げの日。
3人で、向かい風を突いて、古座間味の浜を越えて阿佐の浜の近くまで漕ぎあがる。それからセーリングで座間味港を経由して、阿真港へと戻り、『まいふな』を艇庫に入れる。
すごくいい東南東の風に乗って、『まいふな』は今までで最高のセーリングを見せた。我々はもう、舵がなくても、伝統のセーリング技術で『まいふな』でのセーリングができる基礎を身に付けた。うっれしいなあ。
さてさて、本日のエッセイは、昨日の『太平洋の航海文化を辿る心の旅』前編に続く、後編です。
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太平洋の航海文化を辿る心の旅 (後編)
取材・文 西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
二百年前、キャプテン・クックが初めて西洋社会に伝えた太平洋文化圏。それからの長い年月、我々は太平洋の航海文化の本当の意味を知らずに過ごしてきた。しかし、我々日本人のルーツを辿るとき、太平洋とその大海原に展開する文化が、重要な意味を持つことに気付く
【日本人と太平洋】
さらに時代を遡ろう。
ポリネシア人の祖先とされているのは、現在のニューギニア辺りから舟に乗って太平洋に乗り出したラピタ人である。
ラピタ人の故郷とされる海域には、二万年ほど前まで『スンダランド』と呼ばれる古代大陸があり、その大陸は現在のスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島を含めマレー半島と繋がり、ユーラシア大陸とも陸続きだった。
その後の地殻変動と海面の上昇でその大陸が沈み始めると、そこに住んでいた人々は舟を造り、海を渡り、島々の間を行き来するようになった。そうしてそのまま太平洋へと乗り出していったのだ。
彼らは南だけではなく、黒潮に乗って北にも向かった。そして当時大陸と繋がっていた琉球に達し、その北にある大きな一つの島だった奄美群島にも到達し、そして九州、本州にも到達した。
その長い道程で、彼らの航海術と舟作り技術は格段に進歩していったことだろう。
鹿児島県の栫ノ原遺跡からは一万二千年前の丸木舟制作のための石器が発見されている。これは造船用の道具としては世界最古のものである。
その事実からすれば、我々日本人の祖先は、世界最古の造船民、海洋民だと言うこともできそうだ。そして、そんなふうに海からこの国にやってきた祖先から受け継がれた我々日本人の血の一部は、南太平洋へ向かった航海民族、ポリネシアの人々とも深く繋がっているはずなのだ。
【サバニがつなぐもの】
西暦2002年、ナイノア・トンプソンが沖縄を訪れた。
サバニに乗って座間味島から那覇までの海を走るためだ。
サバニとは、少なくとも数百年前まで歴史を遡ることができる琉球古来の帆装小舟である。主として漁業に使われてきたが、その船型は非常に洗練されていて、現代の西洋型ヨットをまったく相手にしないほど高速でセーリングすることができる。
しかし、サバニが伝える祖先の海洋文化を、操船法も含めて保存しようという有志が立ち上がらなければ、その存在は二十一世紀を待たずして日本の海洋文化の歴史から忘れ去られていたはずだ。
有志たちは「帆装サバニ保存会」という組織を立ち上げ、毎年梅雨明けに慶良間諸島の座間味島から那覇までのレースを行なうことで、サバニとその帆走技術を次世代に伝えていくことを企画した。
そのサバニ・レースは年を追う毎に規模を拡大し、最近では新しい木造サバニが続々と進水するようになった。サバニをきっかけに、沖縄の人たちが、海の民である自分たちの祖先とその誇りを思い出すようになったのだ。沖縄の海のルネッサンスである。
日本列島の南端に古い伝統をもつサバニという舟があることを、『帆装サバニ保存会』の活動を通してハワイ人たちが知るところとなる。そして彼らを代表するナイノアが、深い敬意を持ってそのサバニという舟に乗りに来ることになったのだ。
サバニに触れ、実際にそれに乗って航海したことで、ナイノアは日本とそこに住む人々が、自分たちポリネシア民族と深く繋がっていることを確信した。
「我々は太平洋の島々に住む同じ家族だ」。
ナイノアは2007年、今度は自分たちハワイ人の舟『ホクレア』で、沖縄と日本列島を再訪することを計画している。
サバニという小舟が、広大な太平洋に拡散していった航海民族の大きな輪を、数千年の時を経てつなぐ役割りを果たそうとしている。
ナイノアの確信によれば、二百年前、キャプテン・クックを驚かせた太平洋の航海文化は、実は我々日本人とも密接な関係を持っていることになるのだ。
このエッセイを書くときに参考にした本
『青い地図 キャプテンクックを追いかけて㊤㊦』
トニー・ホルヴィッツ 著
山本 光伸 訳
バジリコ株式会社
著者のトニー・ホルヴィッツはピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト。キャプテン・クックの航海を西洋文化と太平洋文化の両方の側から詳しく取材し、三度に渡るクックの太平洋周航を、斬新な切り口で説き明かしてゆく。
(完。無断転載はやめてくだされ)
沖縄・座間味島サバニ合宿8日目。
8日間のサバニ合宿打ち上げの日。
3人で、向かい風を突いて、古座間味の浜を越えて阿佐の浜の近くまで漕ぎあがる。それからセーリングで座間味港を経由して、阿真港へと戻り、『まいふな』を艇庫に入れる。
すごくいい東南東の風に乗って、『まいふな』は今までで最高のセーリングを見せた。我々はもう、舵がなくても、伝統のセーリング技術で『まいふな』でのセーリングができる基礎を身に付けた。うっれしいなあ。
さてさて、本日のエッセイは、昨日の『太平洋の航海文化を辿る心の旅』前編に続く、後編です。
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太平洋の航海文化を辿る心の旅 (後編)
取材・文 西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
二百年前、キャプテン・クックが初めて西洋社会に伝えた太平洋文化圏。それからの長い年月、我々は太平洋の航海文化の本当の意味を知らずに過ごしてきた。しかし、我々日本人のルーツを辿るとき、太平洋とその大海原に展開する文化が、重要な意味を持つことに気付く
【日本人と太平洋】
さらに時代を遡ろう。
ポリネシア人の祖先とされているのは、現在のニューギニア辺りから舟に乗って太平洋に乗り出したラピタ人である。
ラピタ人の故郷とされる海域には、二万年ほど前まで『スンダランド』と呼ばれる古代大陸があり、その大陸は現在のスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島を含めマレー半島と繋がり、ユーラシア大陸とも陸続きだった。
その後の地殻変動と海面の上昇でその大陸が沈み始めると、そこに住んでいた人々は舟を造り、海を渡り、島々の間を行き来するようになった。そうしてそのまま太平洋へと乗り出していったのだ。
彼らは南だけではなく、黒潮に乗って北にも向かった。そして当時大陸と繋がっていた琉球に達し、その北にある大きな一つの島だった奄美群島にも到達し、そして九州、本州にも到達した。
その長い道程で、彼らの航海術と舟作り技術は格段に進歩していったことだろう。
鹿児島県の栫ノ原遺跡からは一万二千年前の丸木舟制作のための石器が発見されている。これは造船用の道具としては世界最古のものである。
その事実からすれば、我々日本人の祖先は、世界最古の造船民、海洋民だと言うこともできそうだ。そして、そんなふうに海からこの国にやってきた祖先から受け継がれた我々日本人の血の一部は、南太平洋へ向かった航海民族、ポリネシアの人々とも深く繋がっているはずなのだ。
【サバニがつなぐもの】
西暦2002年、ナイノア・トンプソンが沖縄を訪れた。
サバニに乗って座間味島から那覇までの海を走るためだ。
サバニとは、少なくとも数百年前まで歴史を遡ることができる琉球古来の帆装小舟である。主として漁業に使われてきたが、その船型は非常に洗練されていて、現代の西洋型ヨットをまったく相手にしないほど高速でセーリングすることができる。
しかし、サバニが伝える祖先の海洋文化を、操船法も含めて保存しようという有志が立ち上がらなければ、その存在は二十一世紀を待たずして日本の海洋文化の歴史から忘れ去られていたはずだ。
有志たちは「帆装サバニ保存会」という組織を立ち上げ、毎年梅雨明けに慶良間諸島の座間味島から那覇までのレースを行なうことで、サバニとその帆走技術を次世代に伝えていくことを企画した。
そのサバニ・レースは年を追う毎に規模を拡大し、最近では新しい木造サバニが続々と進水するようになった。サバニをきっかけに、沖縄の人たちが、海の民である自分たちの祖先とその誇りを思い出すようになったのだ。沖縄の海のルネッサンスである。
日本列島の南端に古い伝統をもつサバニという舟があることを、『帆装サバニ保存会』の活動を通してハワイ人たちが知るところとなる。そして彼らを代表するナイノアが、深い敬意を持ってそのサバニという舟に乗りに来ることになったのだ。
サバニに触れ、実際にそれに乗って航海したことで、ナイノアは日本とそこに住む人々が、自分たちポリネシア民族と深く繋がっていることを確信した。
「我々は太平洋の島々に住む同じ家族だ」。
ナイノアは2007年、今度は自分たちハワイ人の舟『ホクレア』で、沖縄と日本列島を再訪することを計画している。
サバニという小舟が、広大な太平洋に拡散していった航海民族の大きな輪を、数千年の時を経てつなぐ役割りを果たそうとしている。
ナイノアの確信によれば、二百年前、キャプテン・クックを驚かせた太平洋の航海文化は、実は我々日本人とも密接な関係を持っていることになるのだ。
このエッセイを書くときに参考にした本
『青い地図 キャプテンクックを追いかけて㊤㊦』
トニー・ホルヴィッツ 著
山本 光伸 訳
バジリコ株式会社
著者のトニー・ホルヴィッツはピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト。キャプテン・クックの航海を西洋文化と太平洋文化の両方の側から詳しく取材し、三度に渡るクックの太平洋周航を、斬新な切り口で説き明かしてゆく。
(完。無断転載はやめてくだされ)