沖縄サバニと出会う旅

2006年10月13日 | 風の旅人日乗
10月13日

西村さんは、スロベニアのポルトロッシュから、本日、お昼過ぎに帰国。
明日、14日午前中は、葉山町の広報誌からの取材。
8月の葉山セーリングキャンプの様子を広報誌に載せてくれるそうです。
14日の午後は浦賀でヨットの仕事。
15日のお昼から19日夜まで、家族サービスを兼ねて、沖縄・慶良間でサバニ合宿。
その後、再びヨーロッパへ向かって、ヨットレースと、ほぼ毎日、セーリングの日々が続きます。

さて、今晩から、何回かに分けて、KAZI(舵)2003年9月号に掲載された、沖縄の伝統帆装船・サバニ「海の系図を求めて」を紹介しようと思います。
サバ二帆漕レースの様子については、こちらのフォトギャラリーに沢山写真が掲載されていますので、併せてご覧になると、イメージし易いかと思います。(text by Compass3号)

沖縄の伝統帆装船・サバニ
 「海の系図を求めて」

文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura

陸上を移動していて突然目の前に海や水平線が見えたとき、心は何故ざわめき立つのだろう?
海に出て、船首を沖に向けて波を乗り越えるとき、心は何故昂ぶるのだろう?
自分の体の中に、海とともに生きてきた民族の血が流れているせいではないのだろうか?
そんな予感の手掛かりに会うために沖縄に行く。サバニという帆装舟に乗りに行く。

サバニに会える海、沖縄

台風6号が宮古島に接近していた。強い南東風が時折の激しい雨とともに吹きつける沖縄本島・那覇空港に、シーカヤックの内田正洋と共に降り立つ。
今年もサバニに乗るために沖縄を訪れた。慶良間諸島の座間味村から那覇まで約18マイルの海を走る。第4回サバニ帆漕レースである。昨年はソウル・オリンピック470級代表の野上敬子さんと一緒に乗って楽しんだが、今年は内田、そしてハワイからやって来るナイノア・トンプソンたちと一緒に乗る。
沖縄屈指のシーカヤッカー大城敏が空港まで迎えに来てくれ、彼が経営するカヤックガイド店「漕店」に立ち寄ってキリリと冷えた泡盛で再会を祝した後、首里にある山城洋祐の自宅に向かう。山城は今回の我々『まいふなー(八重山言葉で、「お利口さんだねえ」の意)チーム』のボスであり、何週間も前からこのレースのためにサバニを用意し整備してくれている生粋の沖縄人。外洋ヨットを所有するベテラン・セーラーでもある。
自宅の庭に生えていたイヌマキの木からレースに使うアウトリガーを削り出す作業をしていた山城を、内田と大城が手伝う。私は、途中まで終わっているセールの仕上げ作業を引き継ぐことにする。神奈川県の三浦半島にあるセール屋さんが特別なコットン製オックスフォード織りの生地で作った帆を、山城が久米島まで船で持って行き、久米島紬の染めにも使われる車輪梅(しゃりんばい)の木で染めた。車輪梅で布を染めると織りの目が詰まるだけでなく、防水性も加わるのだという。そのセールにはフーカケ(帆かけ)サバニの伝統通りに竹製の横桁が渡されている。各横桁にシートとなるロープを付け、端止めをする。このロープは山城が芭蕉(琉球名産の芭蕉布の材料となる植物)の繊維を使って自分の手で綯(な)ったものだ。仕上げに縮帆用のハトメをセールに打つ。作業を終えて皆でオリオン・ビールを飲みつつ上空を見上げると、台風に吹き込んでいく風が雲をびゅんびゅん飛ばしている。少し考えてビールを置き、3段めのリーフ用ハトメを打ち加えた。
それにしても、サバニのセールは帆(フー)であり、メインシートはティンナーであり、マストはハッサ、メインハリヤードはミンナーで、マストステップをダブ、マスト・カラーをカンダンというのである。常々ヨットレースでも通常のセーリングでも、自分の国の単語がないのを淋しく思っていたが、サバニはその形だけでなく、言葉においてもサバニ・オリジナルを持っている。我が日本国にも、独自の帆走文化があり、独自の言葉があったのである。一般の日本人に知られることがないまま、20世紀の終わりと共にほとんど途絶えかけていたこの文化が、サバニ保存会が年に一度開催する「サバニ帆漕レース」という催しのおかげで、再び息を吹き返そうとしている。伝統の天然染料で染めた帆を揚げ、芭蕉の葉から作った縄を操って風に乗る。自分たちの祖先が使っていた道具、言葉をそのまま使って美しい沖縄の海を帆走するのである。自分が日本人であることを意識するセーラーならだれでも、最高の幸せだと感じるのではないだろうか。少なくとも私は、サバニに乗って帆走しているとき、説明しがたい誇らしい気持ちが高まってしまい、西洋人たちに威張りたくなって仕方がない。

(続く)