「古来の海文化を子孫に伝える」

2006年10月18日 | 風の旅人日乗
10月18日

さて、今晩は、KAZI(舵)2004年10月号に掲載された、サバニ帆漕レース2004「古来の海文化を子孫に伝える」の前半から。
(text by Compass3号)

古来の海文化を子孫に伝える
サバニ帆漕レース2004

文/西村一広
Text by Kazu Nishimura

サバニの過去と新事実

かつて(1988年)NHKが、『海の群星(むりぶし)』というタイトルのドラマを制作した。舞台は、第二時世界大戦が終わって間もない頃の石垣島、主人公のサバニ漁師を緒方 拳が演じている。
このドラマのビデオを入手して鑑賞した。ストーリー自体から離れた目で見ると、細くて不安定で、乗りこなすのに熟練を要するサバニを、緒方 拳以下の出演者たちが、物の見事に操ってセーリングしていることに舌を巻く。慣れない人間にとっては、転覆させないためには立ち上がることすら躊躇するサバニの上を、役者たちは何の不安もなく歩き、そのうえ主演の緒方 拳は、サバニの伝統通りに、脇に挟んだエーク(櫂)を使って、セーリング中のサバニの舵を自在に取っている。現在の沖縄漁師にも、エークで舵を取ることができる人はそれほどいないはずだ。「フー(帆)降ろせー」という命令で、素早くスルスルと帆を降ろす子役たちも、熟練の技を見せる。このドラマの制作当時の十数年前、役者たちにサバニの帆走技術やそこで使う言葉を指導する、バリバリのサバニ漁師たちがまだ存在したのだろう。
しかしドラマの主題は、サバニ操船法ではない。ドラマは、当時の沖縄の酷烈な漁業労働環境を軸に展開する。第二次世界大戦争後に、それまでこの地域に伝統的に受け継がれてきた労働環境が急激に変化し、いい意味であれ悪い意味であれ、伝統の帆走サバニと、それを使った漁法が消えていかざるを得なかった背景が描かれている。
ドラマでは、人買い同然に周辺の島々から子供たちが集められ、サバニに乗せられ、海に潜らされる。そうして親方の家の納屋に数人単位で寝泊りしながら、彼らは厳しく漁を仕込まれていく。サバニの帆走技術もそういった生活の中で学んでいく。中には、あまりに過酷な生活から逃れようとして脱走を試みる子供たちもいる。
2年前、初めてサバニ・レースに参加したときの、島の老人の「遊びでサバニに乗るんか?」という言葉と、驚いていた表情の本当の意味が、このドラマを観て初めて分かったような気がした。昔の過酷なサバニ漁を知る人にとって、サバニという舟は、決してロマンという言葉で簡単に括れるものではないのだろう。
縁があってサバニに関わるようになって以来、サバニを勉強すればするほど、後から後から新しい事実、歴史を知ることになる。TVドラマを観るまでは、サバニを単純に、沖縄海文化のロマンの対象として見ていた。しかしもうそういう単細胞的な観察眼で見ることはできない。
また、今回の沖縄取材で、糸満に住む熟練のサバニ乗りと話していて、ひとつ新しい事実を教わった。かつて、糸満の漁師はサバニに乗って八丈島やパラオまで遠征していた、と書いた文献や人の言葉を鵜呑みにして、そう思っていたし、そういう文章を自分でも書いたことがある。
しかしそれは間違っていた。その糸満のサバニ乗りの話では、サバニは自力でそんな遠征ができる舟ではないという。自力で南太平洋の島々に行ったのではなく、やんばる船という、やはり沖縄古来の船で、サバニよりももっと大きな大型船に載せられて現地まで行き、そこで海に降ろして現地行動舟として漁をし、その漁が終わるとまたやんばる船に載せて糸満に帰ってきたのだという。確かに、あんな小舟のどこに食糧や水を積んで長期航海をしていたのだろうと、不思議に思わないこともなかったが、深く考えることをしないままそれらの文章や言葉を鵜呑みにしていた。速い、という特長があるとは言え、サバニとて、沖縄-八丈島を水や食糧を積まずに行き来できる魔法の舟ではなかったのだ。

(続く)