DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

意見番(02‐19‐16)

2016年02月19日 01時20分32秒 | ボクシングネタ、その他雑談
2016年2月19日ごろの意見番です。

*今回は当然の如く両誌揃ってMVP内山が表紙を飾っています。



内山の次戦ですが、レギュラー王者ハビエル フォルトゥナ(ドミニカ)となりそうです。内山本人は本場米国のリングに立ちたいようですが、個人的には日本国内で名声を高めていって貰いたいです。内山の試合のテレビ視聴率が常に20%になるぐらいに。

話が雑誌の話から逸れてしまいましたが次号が発売される頃、ようやくボクシング界の新年が本格的に始まりますね。
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クルーザー級、ロシア熱(色々:02‐18‐16)

2016年02月18日 00時16分57秒 | 世界ボクシング
最近(2016年2月18日ごろ)のニュースです。

1)まだ正式発表に至っていませんが、WBAクルーザー級王者デニス レベデフ(露)と、IBF同級王者ビクトル ラミレス(亜)が4月30日にお互いの王座を賭け対決する可能性があるようです。

2)WBCクルーザー級王者のグレゴリー ドローズド(露)が4月8日、指名挑戦者のイルンガ マカブ(コンゴ/南ア)を迎え2度目の防衛戦を行う予定です。マカブの戦績は19勝1敗。唯一の敗戦はデビュー戦に喫したもので、これは現在のマカブの戦力を分析するには参考にならないでしょう。マカブは19勝中18のKO/TKO勝利を収めています。それらの勝利は前半戦に偏っておらず、一つの12回判定勝利、2度の11回TKO勝利も含まれています。王座交代も十分ありえるでしょう。

3)この数ヶ月、延期、対戦者変更を繰り返し昨年9月以来試合を行っていないWBAライトヘビー級王者のユルゲン ブレーマー(独)。3月12日に予定している6度目の防衛戦の相手が、同国人のライバルであるエドゥアルド グツクネクトに決定しています。両選手は2013年2月にブレーマーが当時の欧州王者グツクネクトに挑戦し判定勝利。欧州王座を獲得すると共に、当時空位だったWBOインターナショナル王座も獲得しています。

4)ブレーマー同様試合が決定しても、中止、延期を繰り返しているのがザブ ジュダー(米)。どうやらブレーマーの防衛戦と同日に、ラスベガスでジョシュ トーレス(米)と対戦するようです。ジュダーは2013年師走にポール マリナッジ(米)に敗れて以来試合を行っていません。

5)噂で終わると予想していたのですが、WBCバンタム級王者山中 慎介(帝拳)への挑戦者決定戦、元WBA王者アンセルモ モレノ(パナマ)対元WBCスーパーフライ級王者スリヤン ソー ルンビサイ(タイ)が4月30日、パナマで決行。この試合には空位のWBC同級シルバー王座が争われます。WBAが同一階級内での王座単一への動きを見せているようですが、WBCもシルバー王座を廃止し、インターナショナル王座に併合すればいいと思うのですが。

6)当初今週末20日・土曜日に予定されていたIBFスーパーフライ級王者マクジョー アローヨ(プエルトリコ)対ジェルウィン アンカハス(比)戦は、4月16日に比国で決行のようです。

7)現地時間の明日19日、元WBOフライ級、スーパーフライ級王者オマール ナルバエス(亜)が試合に出場。ベネズエラのヘスス バスガスと空位のIBFラテン・バンタム級王座を争います。日本でもお馴染みのベテラン・ナルバエス。今後バンタム級に進出をするのか。それともスーパーフライ級で王座返り咲きを狙うのか。その辺が気になります。
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プンルアン、2度目の王座で念願の初防衛に成功(WBOバンタム級)

2016年02月17日 02時40分46秒 | 世界ボクシング
先週12日・金曜日、タイで行われた試合結果です。
WBOバンタム級戦:
王者プンルアン ソー シンユー(タイ)負傷判定3対0(70-63x3)挑戦者ジェスロ パブスタン(比)

*半年前に赤穂 亮(横浜光)を予想外の速攻勝利で下し、2013年3月に失った王座の返り咲きに成功しているプンルアン。初回に偶然のバッティングで負傷しますが、試合自体はほぼワンサイドだった様子。結局は初回の負傷のため試合続行が不能となったために負傷判定に。消化不良の形となりましたが、プンルアンが前回の王者時代に果たせなかった初防衛に成功しています。

まだ27歳の王者ですがすでに50戦以上のキャリアの持ち主。戦績を52勝(35KO)3敗(1KO)負けに伸ばしています。
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この階級、この選手(ウィルフレド バスケス:スーパーバンタム級②)

2016年02月16日 02時41分22秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。

今回登場するのはウィルフレド バスケス(プエルトリコ)。先日お届けしたダニエル サラゴサ(メキシコ)に続き、スーパーバンタム級(当時はジュニアフェザー級)で日本人選手たちの大きな壁となった選手です。サラゴサ同様日本で猛威を振るったのは20年も前になります。サラゴサ同様、私(Corleone)に悪夢のどん底に陥れたのは1994年3月。当時の日本で最大のホープと期待されていた葛西 裕一(帝拳)を僅か初回125秒でTKOに下した一戦でした。この試合、葛西が弱かったというよりバスケスの動きが見事すぎました。得意の右クロスでダウンを奪い、その後すり足で距離を潰しあっという間にダウンを2つ追加。まさに強豪のボクシングでした。この葛西戦より4ヶ月前、後楽園ホールで横田 広明(大川)の挑戦を受けていたバスケス。体調不良によるためか、横田の変則的なボクシングに戸惑ってか。兎にも角にもその試合ではさえないパフォーマンスを披露。しかし横田戦のバスケスを見れば誰だって挑戦したくなりますよ。



自分(Corleone)の過去話になりますが、あの時代、1990年代半ばの日本ボクシング界を牽引していくのは、辰吉と葛西だと確信を持っていました。しかし残念ながらそれはあくまで希望と期待で終わってしまいました。



サラゴサ同様、このバスケスに対するボクサーとしての印象も大きく変わりました。初めて見たバスケスの試合は1992年3月、敵地メキシコに乗り込んで当時のWBAジュニアフェザー級王者ラウル ペレス(メキシコ)に挑戦した試合。その試合でバスケスは素晴らしいパフォーマンスを見せました。しかしボクシングを見始めたばかりの自分にとり、「こんな選手もいるんだな」程度にしか映りませんでした。その後比較的頻繁にバスケスの試合は見てはいましたが、体自体が硬いせいでしょうか、それほど好印象を持つことは出来ませんでした。

最終的にはその強打で試合を自分のものにする。それがバスケスのボクシング。しかしそんな試合運びの上手さという高等技術を理解出来なかった自分にとってバスケスは綱渡り防衛の名選手程度にしか見えませんでした。しかもそこに横田戦が加わるのですからね。



バスケスの全盛期はまさに葛西戦を含めた辺りだったのではないでしょうか。葛西を退けた後2度の防衛後、IBFバンタム級王座を16度防衛したあのオーランド カニザレス(米)との技術戦を制したのですから。カニザレス戦は競った試合内容でした。しかしこの実力者に競り勝つのですからたいしたものです。

164センチとバンタム級としてはそこそこの身長の持ち主であるバスケスのプロデビューは1981年の1月。何と4回判定負けでその長いプロ生活を始めています。プロ第4戦目では6回引き分け、1984年6月に行ったプロ20戦目には無効試合を経験しますが、それ以外は順調に白星を重ねていったバスケス。そのほとんどをKOで勝利を挙げています。バスケス念願の世界初挑戦は1986年2月。その半年前にサラゴサから同王座を奪取したばかりのミゲル ロラ(コロンビア)に挑みます。両者がダウンする激戦。敗れたとはいえバスケスは評価を確実に上げました。3ヵ月後に元WBCフライ級王者だったアントニオ アベラル(メキシコ)に激戦の末敗れますが、そりゃ~負けますよ。その6日前に実戦を一試合行っているのですから。

再起後3連勝を果たしたバスケスに2度目の世界挑戦の機会が訪れます。バスケス2度目の世界挑戦者1987年10月、韓国に渡り当時のWBAバンタム級王者朴 讃栄(韓国)に挑戦します。前半戦は朴がリードしますが、強打のバスケスが徐々にペースを把握。10回TKO勝利を飾り、プロデビュー31戦目にして念願の世界王座獲得に成功します。バンタム級でのWBA世界戦として出場した3戦をすべてをアジア圏で戦ったバスケス。韓国で王座を奪取し、翌年1月の初防衛戦は大阪のリングで六車 卓也(大阪帝拳)と死闘の末ドロー防衛。5月の2度目の防衛戦はタイで行い、カオコー ギャラクシー(タイ)に1対2の判定負けを喫し王座から陥落しています。

その後前記のペレスとの初戦に判定負け、WBOとWBAでバンタム級王座の座に就いたイスラエル コントレラス(ベネズエラ)にまさかの初回TKO負けを喫するなど停滞気味だったバスケス。逆にそれらの敗戦が結果として吉と出たのでしょうか?2階級制覇を達成したばかりのペレスに招聘され、戦前の予想を覆す勝利を収め2階級制覇を達成。結局この王座は葛西、カニザレス等強豪を破り防衛回数を9まで伸ばすことに成功。

それまでのすべての世界戦を敵地、または第3国で戦ってきたバスケスですが、1995年5月に遂に故郷プエルトリコのリングで世界戦を行う事が出来ました。しかしその試合、曲者アントニオ セルメニョ(ベネズエラ)の技巧の前に屈してし残念ながら故郷に錦を飾る事ならず。その後6度世界戦に出場するも、再びプエルトリコで世界戦を行う機会は訪れませんでした。

同じ時代、同じ階級でしぶとさを見せつけたサラゴサ。このバスケスもまだまだしぶとさを見せつけます。スーパーバンタム級王座から転落後僅か1年にして、今度はWBAフェザー級王者エロイ ロハス(ベネズエラ/帝拳)を大逆転の11回TKOで勝利。プエルトリコの大先輩、ウィルフレド ベニテス、ウィルフレド ゴメスに続いて3人目のプエルトリコ人ウィルフレド世界3階級制覇達成に成功。2人の先輩たちと比べると地味なウィルフレドですが、大偉業には変わりありません。



それまでの大半の試合を控えめなマッチメークに費やしていたバスケスですが、キャリアの後半になってビック・マッチに出場する機会に恵まれます。そう、1990年代後半のボクシング界に旋風を起こしたWBOフェザー級王者ナジーム ハメド(英)と対戦するチャンスを得たのです。1998年4月に行われたその試合。バスケスは事前に保持していたWBA王座を返上し、ハメドに挑戦。しかし当時の勢い、そして両選手の相性はバスケスに悪く完敗。善戦空しく英国の地でKO負けを喫してしまいました。

   

その後2002年10月まで戦い続けたバスケス。その長いキャリアの締めくくりに、無冠戦ながら母国のリングでKO勝利を収めることに成功しています。

バスケスの獲得した王座(獲得した順):
プエルトリコ・バンタム級:1984年3月17日獲得(防衛回数0)
WBAバンタム級:1987年10月7日(1)
IBFインターコンチネンタル・バンタム級:1989年10月26日(0)
IBCスーパーバンタム級:1990年9月10日(0)
WBAスーパーバンタム級:1992年3月27日(9)
WBAラテン・フェザー級:1995年12月9日(0)
WBAフェザー級:1996年5月18日(3)

通産戦績は56勝(41KO)9敗(4KO負け)2引き分け。KO率は60%。獲得した世界王座はWBAの3階級。主要世界団体が2つから3つに移行していた時代の世界3階級制覇は、現在よりずっと価値のあるものではないでしょうか。



バスケスは海外での試合経験が非常に豊富で、アメリカはもちろんの事日本とフランスのリングにそれぞれ4度、スペインに2度、韓国、タイ、メキシコ、イタリア、そして英国のリングにそれぞれ1度登場しています。

引退後はWBOスーパーバンタム級王座を獲得している実子バスケス・ジュニアのトレーナーなどを務めるなど、ボクシングに携わっているようです。同時代で戦った日本でもお馴染みのサラゴサとの王座統一戦話が出なかった事が不思議でなりません。その一戦が実現していたらどのような試合になっていたのでしょうね。両者の相性からするとサラゴサ。しかしそのパンチ力で最後までバスケスがライバルを脅し続ける。緊張感のあるフル・ラウンドで終始する。そんな感じがしますがどうでしょうか?

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岩渕、王座奪取ならず(OPBFスーパーライト級)

2016年02月15日 00時07分01秒 | 世界ボクシング
先週11日・木曜日、後楽園ホールで行われた試合結果です。
OPBF(東洋太平洋)スーパーライト級王座決定戦:
アル リベラ(比)TKO7回1分25秒 岩渕 真也(草加有沢)

*前王者となる小原 佳太(三迫)が王座を返上したために行われた後釜争い。今回が3度目の同王座挑戦となった元日本王座保持者の岩渕ですが、試合開始から22歳の強打の新鋭リベラの前に苦戦。都合2度のダウンを喫し、最終的にはレフィリー・ストップ。手痛い敗戦を喫してしまいました。

今回が初の比国外での試合となったリベラ。戦績を15勝(13KO)2敗(2KO負け)としています。戦績だけ見ると、今後に期待が持てそうな選手ですね。
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スタン、再び2対0の判定勝利(WBAフライ級:暫定王座)

2016年02月14日 00時05分31秒 | 世界ボクシング
先週10日・水曜日、タイで行われた試合結果です。
WBAフライ級戦(暫定王座):
王者スタン クラティンデーンジム(タイ)判定2対0(115-113、115-114、114-114)挑戦者グレゴリオ レブロン(ドミニカ)

*昨年の真夏に王座決定戦で対戦した両選手。その時も2対0(113-113、116-112、117-109)の判定で地元のタイ人が勝利を収めています。今回の再戦も同じくタイで行われ、結果は前戦に続いて2対0。判定の数字だけ見ると挑戦者の勝利もあったのではないでしょうか。

当初5日に予定されていたこの試合。前日計量はその当初の予定通り4日に行われています。不思議なことに実際に試合が行われた前日にも2度目の前日計量が行われ、その2度目の前日計量のリミットは2階級上のバンタム級リミットを僅か1ポンド下回る117に設けられていたそうです。何でもありのようですね、WBAの世界戦って。

現在のWBAフライ級にはスーパー王者でWBO王座も保持するファン フランシスコ エストラーダ(メキシコ)とレギュラー王者として井岡 一翔(井岡)も君臨しています。
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今週末の試合予定

2016年02月13日 00時51分52秒 | 世界ボクシング
2016年2月第2週末の試合予定です。

*今週末、2月の半ばには世界戦を中心とした大きな興行は予定されていません。

BoxRecを見てみると、以前よりWBAのインターナショナル王座や地域戦が行われることが多くなってきているようです。これは同団体が無意味な暫定王座戦を差し控えている兆し、と見ていいのでしょうか?そうあってもらいたいものですね。出来ればこの辺りで「暫定王座」の明確な定義を発表して貰いたいですね。それがしっかり出来ていれば暫定王座自体は不必要ではないと思います。ただやはり同団体の「スーパー王座」は無用でしょう。以前のように「スーパーベルト」を与えるのみなら別の話ですが。
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ケビン ミッチェルが引退を表明(色々:02‐12‐16)

2016年02月12日 01時10分52秒 | 世界ボクシング
最近(2016年2月12日ごろ)のニュースです。

1)2度の暫定王座を含め、合計4回世界ライト級王座に挑戦したケビン ミッチェル(英)が現役からの引退を表明しています。同国のライバルであったアミア カーンと同時期に頭角を現したミッチェル。国内、地域、そしてインター王座を順当に獲得していくも肝心の世界戦では負け続けてしまいました。プロモーションにも恵まれたのですが、結局は予想外の打たれ脆さが仇となったようです。最終的なプロ戦績は39勝(29KO)4敗。敗れた試合はすべてKO/TKOで屈しています。

2)4月9日に予定されているティモシー ブラッドリー(米)対マニー パッキャオ(比)の第3戦目を前に、ブラッドリーが保持していたWBOウェルター級王座を返上しています。無冠戦になるか、分けの解らない王座が争われるかは不明ですが、試合自体は決行のようです。

3)その空位となった王座決定戦が来月5日、米国の首都・ワシントンDCで行われます。この試合に出場するのは長らく1位にランキングされていたサダム アリ(米)と、昨年6月、その王座(当時は暫定王座)をブラッドリーと争ったジェシー バルガス(米)になります。

4)昨年10月にWBAスーパーライト級王座を獲得し、4階級制覇達成を遂げているエイドリアン ブローナー(米)。4月1日にアシュレイ セオペーン(Theophane)を相手に初防衛戦を行います。当初ブローナーは王座獲得後に「スーパー王座」に昇格していました。しかし現在の所、Boxrecにはこの一戦は「レギュラー」王座戦として行われるような記載となっています。

5)IBFスーパーフライ級王者のマクジョー アローヨ(プエルトリコ)が今月20日、ジェルウィン アンカハス(比)を相手に初防衛戦を行うようです。しかし現在までに試合開催地は発表されていません。

6)元日本、OPBF(東洋太平洋)ライト級王者加藤 善孝(角海老宝石)が今月5日、インドネシアに乗り込み実力者ダウド ヨルダンの持つWBOアジア・太平洋王座に挑戦。善戦空しく9回負傷判定負けを喫しています。クリス ジョン引退後同国を牽引するヨルダン。以前はジョンと同じくフェザー級を主戦場にしていましたが、2013年に保持していたIBO王座転落後ライト級に転向。以降同級でIBO、WBOアジア・太平洋、同アフリカ王座を獲得していますが、試合間隔が空きがちになっています。
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この階級、この選手(ダニエル サラゴサ:スーパーバンタム級①)

2016年02月11日 00時12分50秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。

前回お届けしたのが11月18日。その時は「浪速のジョー」こと辰吉 丈一郎(大阪帝拳)でした。今回登場するのが、辰吉のリング生活で一番の苦杯生活を味あわせた選手であるダニエル サラゴサ(メキシコ)。もう20年も前になりますが、1996年3月に行われた両選手の第一戦では辰吉を子ども扱いに。当時辰吉の大ファン(今もそうですが)であった自分にとってあのワンサイド・マッチは悪夢以外の何者でもありませんでした。その後数日、学校では口を開けることすら出来ないほど落ち込んでいました。

   

自分(Corleone)の過去話が続きますが、あの敗北したリングで辰吉はファンに対し土下座をしていましたよね。同級生が「あそこまでやらなくていいのに」と同情してくれました。

サラゴサほど印象が変わる選手も珍しいのではないでしょうか。初めて見たサラゴサの試合は1991年6月に名古屋で行われた畑中 清詞(松田)。その試合は畑中が2月に獲得したWBCジュニア・フェザー級(現スーパーバンタム級)の初防衛戦として行われました。それまでにバンタムとジュニア・フェザーで2階級制覇を達成していたサラゴサですが、勢いに乗る畑中にとって比較的危険の少ない挑戦者と見られていました。試合後明らかになるのですが、畑中は既に目に異常があり防衛戦どころではなかったそうです。そのようなマイナス要素が畑中陣営にあったとはいえ、試合は五分五分の展開に。案の定結果は2対1と割れました。しかも畑中の再戦要求が通ったほど敗者には少々酷なないようでした。しかし現実には畑中がその試合後即現役を引退したため、両者の再戦は行われませんでした。

サラゴサには失礼な言い方になりますが、実年齢より老けて見えてしまうサラゴサ。畑中との接戦。その後の綱渡り的防衛ロード。加えて試合毎に顔面の何所かを切るというハンディ。まさか再び世界王座に返り咲き、安定政権を築く名選手になるとは想像すら出来ませんでした。

1980年のモスクワ五輪にメキシコ代表として出場したサラゴサ。準々決勝で敗れた後その年の10月に早くもプロデビューしています。デビュー当時はアマチュア出身の選手らしく基本に忠実なボクシングをしていき白星を重ねていき1982年9月にはメキシコ国内バンタム級王座を獲得。それと同時に試合を重ねるにつれ持ち前の技術に加えて逞しさを増していきました。

しかしプロ15戦目、1982年7月にハロルド ペティー(米)に10回判定負け。プロ初黒星を喫してしまいます。天敵というのでしょうか、その相手ペティーと翌年8月にNABF(北米)王座を賭けて対戦しますがその時も判定負けを喫してしまいます。メキシコ王座獲得はペティーとの初戦後僅か2ヶ月目となります。

ペティーに喫した連敗以外は順調に勝ち続けたサラゴサ。デビューからちょうど30戦目、1985年5月に当時空位だったWBCバンタム級王座をフレディ ジャクソン(米)と争い、7回にジャクソンが頭突きによる反則を取られ失格となり世界王座獲得。この失格勝ちというのがいかにもそれ以降のサラゴサのキャリアがどのようなものだったかと示唆していますよね。ちなみにこの試合はカリブ海に浮かぶ孤島アルバで行われました。この島国はベネズエラから僅か数十キロ北に位置しています。

世界王座獲得後、リング場ではサラゴサに厳しい試練が待っていました。3ヵ月後の初防衛戦ではコロンビアの実力者ミゲル ロラの前に完敗。半年後には豪州に渡り当時のIBFバンタム級王者ジェフ フェネックとスーパーバンタム級での無冠戦で対戦。しぶとさを見せ付けるも、2戦続けて大差判定負けを喫してしまいます。その後のサラゴサの活躍を知っているだけに、いくら実力者が相手だったとはいえサラゴサが完敗を喫する姿は想像に苦慮してしまいます。

話がサラゴサから逸れますが、サラゴサから王座を奪取したロラは8度目の防衛戦でラウル ペレス(メキシコ)に破れています。そのペレスも8度目の防衛戦でこの王座と決別。ペレスを破ったのがグレグ リチャードソン(米)で、リチャードソンの2度目の防衛戦で勝利を収めたのが辰吉となります。

ロラが初防衛戦で対戦したのが後のWBA3階級制覇王のウィルフレド バスケス(プエルトリコ)で、バスケスの実子は数年前にWBOスーパーバンタム級王座を獲得しています。ペレスはリチャードソンに敗れた後すぐにWBAスーパーバンタム級で王座を獲得。しかし初防衛戦でバスケス父の強打の餌食となっています。

サラゴサに話を戻しましょう。フェネック戦がスーパーバンタム級転向第一戦目だったサラゴサ。その初陣に黒星を喫してしまいましたが、3ヵ月後には早くも再起に成功。その年の師走には同級のNABF王座を獲得。1988年2月にはフェネックが返上したWBCスーパーバンタム級王座を同胞の大先輩であるカルロス サラテと争い勝利を収めることに成功。2階級制覇達成を成し遂げました。合計3度獲得するWBCスーパーバンタム級王座ですが、この第一次政権では2度の渡韓、1度のイタリア遠征を含む5度の防衛に成功。1990年4月にキャリア中盤のライバルであるポール バンキ(米)との再戦に破れ王座から転落。しかし翌年6月に名古屋で畑中との接戦を制し2度目のスーパーバンタム級王座戴冠を果たしています。

サラゴサのスーパーバンタム級での第二次政権は9ヶ月と短命。フランスでティリー ヤコブに敗れ去りました。当時のWBCスーパーバンタム級王座に常に絡んでいたサラゴサ。ヤコブから王座を奪ったトレーシー パターソン(米)に2度、パターソンから王座を奪取したエクトール サンチェス(ドミニカ)に1度挑戦。どの試合も勝利出来なかったサラゴサ。この間の3度の世界戦結果は1敗2引き分けに終わってしまいましたが、1995年11月、サンチェスとの再戦を制しようやく3度目のスーパーバンタム級王座獲得を成し遂げています。そしてこの王座の初防衛戦で2度目の来日。上記の辰吉を相手にワンサイド・マッチを演じることになります。

辰吉戦から4ヶ月、原田 剛志(ハラダ)の挑戦を受けるために再び大阪の地に。原田をまったく寄せ付けなかったサラゴサは1997年1月、米国・マサチューセッツのリングでウェイン マッカラー(アイルランド)と激闘を演じ白星を加えると共に米国での評価も上げていきます。次の防衛戦では再び辰吉と対戦。初戦ほどの差の試合ではありませんでしたが、又しても辰吉に試練を与えることになりました。



40歳を迎えようとしていたサラゴサ。年齢相応の衰えを見せつつありましたが、まだまだ現役として十分に戦える力を持っていました。しかしそれを上回る新鋭選手が同国から登場。1997年9月、後の4階級制覇王エリック モラレスとの激戦に破れ、王座から転落。同時に現役からの引退を表明しています。



サラゴサの獲得した王座(獲得した順):
メキシコ・バンタム級:1982年9月4日獲得(防衛回数10)
WBCバンタム級:1985年5月4日(0)
NABFスーパーバンタム級:1986年12月6日(2)
WBCスーパーバンタム級:1988年2月29日(5)
WBCスーパーバンタム級:1991年6月14日(2)
WBCスーパーバンタム級:19995年11月6日(4)

通産戦績は55勝(28KO)8敗(3KO負け)3引き分け。KO率はちょうど半分の42%。獲得した世界王座は2階級で4つの緑のベルト。素晴らしい戦績です。またサラゴサは海外での試合経験も豊富で、アメリカはもちろんの事日本のリングに4度、韓国に3度、フランスに2度、豪州とアルバにそれぞれ1度登場しています。

引退後はファン マヌエル マルケスの実弟ラファエルのトレーナーなどを務めるなど、常にボクシングに携わっています。個人的な印象としては名トレーナーになれそうだと思うのですが。将来、辰吉 寿以輝を指導する、何てことあるかもしれませんね。

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大平、タイで2度目の世界挑戦が決定(WBCミニマム級)

2016年02月10日 01時51分51秒 | 世界ボクシング
3月3日、タイで予定される試合です。
WBCミニマム級戦:
王者ワンヘン ミナヨーティン(タイ)対 挑戦者大平 剛(花形)

*2014年大晦日に当時空位だったIBFとWBOの2冠を高山 勝成(仲里)と争い、予想外の善戦を見せるも7回TKOに散った大平。その後昨年の3月に保持していた日本王座の防衛に成功し、以来実戦から遠ざかっています。

大平の世界初挑戦より2ヶ月ほど前に現在の王座に就いているワンヘン。王座獲得後は3度の防衛戦と無冠戦1試合に勝利しています。現在の勢いに加え、試合の開催地が開催地だけに王者有利はまず動きません。注目は大平がどのようなワンヘンを苦しめるか、に尽きるのではないでしょうか。
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