「お母さんおしっこ」
カズちゃんはいつものようにお母さんを起こしました。お母さんにお便所へ連れていってもらうためです。いつものお母さんだとすぐカズちゃんの手を引いて便所へ行ってくれるのですが、今夜のお母さんは動きません。
「そう、カズちゃん、男の子でしょう。もうそろそろ一人で行けるでしょう。今夜から一人で行ってごらん」
と、やさしく言いました。カズちゃんは、
「ボク一人ではこわい」
と、ダダをこねました。
カズちゃんの家はお寺です。だから便所の位置が、カズちゃんの寝ている部屋からはかなり遠いところにあります。幼いカズちゃんが「こわい」といやがるのは当然です。それでもカズちゃんのお母さんはいっしょに行ってくれる様子がありません。お母さんは布団の上に坐り直してまた言いました。
「お母さんがここで見ていてあげるからね、一人で行ってごらんなさい」
それはやさしい声でしたが、いつもとは違うきびしいものがありました。カズちゃんは幼な心にも「今夜はいつものお母さんとは違う、どんなにダダこねてもだめだ」と観念しました。そこでカズちゃんは、お母さんに念を押すように言いました。
「ほんとに見ていてくれるネ、約束だよ」
するとお母さんは、正座した膝の上に両手をキチンと置いて、
「ハイ、ハイ約束しましょうね。お母さんがここで、ちゃんと見ていてあげますからね。さ、一人で行ってごらん」
カズちゃんは覚悟をして部屋をでました。そして、暗くて長い廊下をトコトコと一人で歩いて便所へ行きました。その時、カズちゃんはもうこわくはありませんでした。
「お母さんが見ていてくれる」
ただそれだけで、カズちゃんの背中があったかかったのです。お母さんが見ていてくれる、という絶対の安心感、それで背中があったかかったわけです。この絶対の安心感の中にいる時、子供は最高の勇気とやる気が出るんです。
お母さんは約束通り布団の上に正座してカズちゃんを待っていてくれました。そして
「カズちゃん、えらかったわねぇ。やっぱり男の子だね、お父さんに似てしっかりしていること。お便所へ一人でゆけたわね」
と、うれしそうに声をかけてくれました。カズちゃんは得意満面です。その日を契機として夜中の便所へ一人で行けるようになりました。
カズちゃんは成人して東大に進み、学徒動員で戦争に行きます。帰ってくると、やさしかったお母さんも頼もしかったお父さんも、可愛かった妹も原爆で亡くなっていました。カズちゃんの家は広島でした。
-相田みつをさん 「一生感動 一生青春」から-
わが子を暴行の末、用水路に捨てて殺した母親。
自分が辞めれば、あとは野となれ山となれ、無責任な使い捨てチルドレン生みの親。人生いろいろ、親もいろいろ。
明治生まれの父親からはいつも殴られていた生意気な僕。母に叱られた記憶は一度もない。
2006.11.13
僕が生きているのは
親から殺されなかったからかなぁ、、、
今
僕が生きているのは
自殺することを考えたことがないからかなぁ、、、
親に感謝しなくちゃ♪
子供の寝顔は、すべてを忘れさせてくれます
遠い昔、我が息子も一人でトイレに行けず
(2階が寝室、トイレが2階)
毎晩夜中の1時ごろ目覚ましかけては
起し、トイレの前で待っていたのを思い出しました
その、息子も今は2児の父親
勿忘草さんと逆に
私は、いつも母親に叱られていました
父親に叱られた記憶はありません
心強いものですよねぇ~
私にとって 亡母はそんな存在でした、
辛い事や悩みがある時は
必ず 亡母に電話をして 亡母の声を聞くだけで
悩みも辛い事も 半減したものです。
亡母は お墓にはいないと思います、
私の心の中にいますが
もう 声を聞く事が出来ない事は 寂しいものです。
小学生までは、母にはよく叱れましたが
その後は 私の良き理解者でした。
父親よ!一緒に子育てしようよ。
子供ごころに甘い両親ダナ・・・と
思っていました
でも、その分、学校や会社で100倍怒られて
性根を叩きなおされて、(まだ足りないかも)今の私がいます
人との係わり合いが、一番のしつけかもしれません
子供を捨てる親・殺す親・・
彼らも、しつけが足りなかったのでしょうね
≫今
≫僕が生きているのは
≫親から殺されなかったからかなぁ、、、
親があって、自分がいる。
その親に殺されては・・・
≫今
≫僕が生きているのは
≫自殺することを考えたことがないからかな
ぁ、、、
幸せな人生を歩いていますねぇ
≫親に感謝しなくちゃ♪
お父さん、天国から見守っているでしょうね
◆抱きしめたい (コスモスさん)
僕のことですかぁ?
≫夏に遊びに来た坊やちゃん
≫子供の寝顔は、すべてを忘れさせてくれます
この子は似ていますけど
実家の甥の子供です
法事で帰ったとき僕が帰るといったら
送りの車から降りないのです
仕方なく一回りしてから降ろしました
この子のママが、びっくりしていました
≫毎晩夜中の1時ごろ目覚ましかけては起し、
≫トイレの前で待っていたのを思い出しました
≫その、息子も今は2児の父親
時はめぐる
そしてみな大きくなっていくのですね
≫私は、いつも母親に叱られていました
≫父親に叱られた記憶はありません
どちらかが叱る役目
それでバランスが取れるのでしょうね
◆親に感謝の (陽子さん)
≫父と母の組み合わせでなければ
≫私はいないから・・・・
そう考えると不思議ですね
◆やさしいお母さんの (momobeさん)
≫だれかに見守られていると思うと
≫心強いものですよねぇ~
それが母の温かさでしょうか?
≫私にとって 亡母はそんな存在でした、
そのDNAを引き継いでいるのですね
≫辛い事や悩みがある時は
≫必ず 亡母に電話をして 亡母の声を聞くだけで
≫悩みも辛い事も 半減したものです。
「おかあさん」というひびき、いいですね
≫亡母は お墓にはいないと思います、
≫私の心の中にいますが
≫もう 声を聞く事が出来ない事は
≫寂しいものです。
心の中にいても、声を聞きたいですよね
≫その後は 私の良き理解者でした。
母親が何よりの頼り、
お子さん達にも理解あるお母さんのようですね(ニッコリ♪)
◆父親よ! (ぱせりさん)
≫大正生まれの父に叱られた記憶はない。
≫母にもあんまり叱られたことがない。
叱られる悲しさは知らないのですか。
≫のに、なぜだ!私は子供を叱って・・・・?
≫怒鳴ってばかり。・・・反省
褒めることも子供には勇気が出ますよ
≫父親よ!一緒に子育てしようよ。
今は育児休暇もあるそうですね
◆両親 (K先生)
≫実は、あまり叱られた記憶がありません
いい子だったのでしょう
≫でも、その分、学校や会社で100倍怒られて
≫性根を叩きなおされて、(まだ足りないかも)
≫今の私がいます
感謝ですね。
≫子供を捨てる親・殺す親・・
≫彼らも、しつけが足りなかったのでしょうね
無責任、誰のせいでしょう?
話せば長くなりますから(笑)
省略しましが・・・。
実の姉がとっても優しかったので
素直な私が出来上がったと思います(笑)