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幼い頃の夢と郷愁をのせて飛ぶしゃぼん玉。七色にひかり輝く美しさは、その命の儚さ故か・・・。
< ● ● ○ しゃぼん玉 とんだ ●やねまで とんだ やねまで とんで こわれて きえた ※ しゃぼん玉 きえた とばずに きえた うまれて すぐに こわれて きえた ☆ ● かぜ かぜ ふくな しゃぼん玉 とばそ かぜ かぜ ふくな ●しゃぼん玉 と ・ ば ・ そ ● ●♪ ● ♪ ♪ -しゃぼん玉- 作詩 野口雨情 作曲 中山晋平 ● |
「しゃぼん玉」の作詩者・野口雨情は、初めて授かった長女みどりを、生まれて8日で失った。満2歳で亡くしている二女と共に、その短い命をシャボン玉にダブらせてこの詩を書いたという。
♪
しゃぼん玉 とんだ
やねまで とんだ
やねまで とんで
こわれて きえた
しゃぼん玉 きえた
とばずに きえた
うまれて すぐに
こわれて きえた
しゃぼん玉 とんだ
やねまで とんだ
やねまで とんで
こわれて きえた
しゃぼん玉 きえた
とばずに きえた
うまれて すぐに
こわれて きえた
雨情にとってこの「しゃぼん玉」は、生まれた子供を成長させてあげられなかった鎮魂歌でもあったのだろうか?童謡には何故か悲しい秘話が多い。
雨情は他にも数多くの童謡を書いているが、あの「赤い靴」 も雨情の詩である。
-雨情の代表作-
☆
「十五夜お月さん」
「七つの子」
「青い目の人形」
「雨降りお月さん」
「兎のダンス」
「あの町この町」
「波浮の港」
「船頭小唄」
etc.
☆
「十五夜お月さん」
「七つの子」
「青い目の人形」
「雨降りお月さん」
「兎のダンス」
「あの町この町」
「波浮の港」
「船頭小唄」
etc.
2006.06.19
素晴らしい作品、好きな歌ばかりです
野口雨情
生い立ち、ちょっと覗かせていただいました
結婚、離婚、再婚
昔もあったんですね
雨降りお月さん、大好きでした。昔ウチにきれいな絵のかかれたレコードがあって、そこに入っていました。よく掛けては一緒に歌ってました。懐かしいなあ。
悲しいですなぁ。
知りませんでした・・・。
写真が、いいですなぁ。
涙で、くもってしまいます。
しばらくご無沙汰していたら、壁紙がワールドカップ仕様になりましたね。ブラジル戦なんとか勝利が欲しいですね。
子どもの時、水が入ったコップに洗剤を数滴垂らして、遊んでいました。
勿忘草さん!多くの人を泣かせていますよ!!今回の内容もそうだし、昨日の記事やコメントを見て、またウルウル
しゃぼん玉って夢がありますね。
途中で消えないで、空高く飛ぶしゃぼん玉をイメージしました。
雨情の詩には、子供に対する優しさが溢れています。
◆陽子さん
雨情にとって、しゃぼん玉には悲しい思いが隠されていたのですね。
「雨降りお月さん」これもちょっぴり悲しい歌ですね。
◆nao11さん
知らずに歌うと楽しい歌も、
背景を知ると悲しい歌になってしまいます。
子を持つ親にとっては、尚更悲しくなるのでしょうね。
写真お褒めくださってありがとうございます。
お嬢さん、運動会での一等賞おめでとうございます。
◆禰里吉さん
この話、ご存知でしたか。
悲しい歌だったんですね。
テンプレ、クロアチア戦の日に変えました。
勝利を願っての変更でしたが、もう一息でしたね。
ブラジル戦に期待しましょう。
◆coroさん
公園などで、しゃぼん玉を飛ばす姿をよく見ます。
僕の子供の頃は、石鹸を溶かして麦わらのストローで作りましたよ。
ウルウルでしたかぁ。
僕、いじめっ子なんです。
雨情さん、おとうちゃんブログで、はじめて知りましたが、人間味溢れる方だったんですね。
ブログの途中での編集が、グッときちゃいました。
童謡っていいですね。
おにぎりも、雨情さんのように人間味が溢れているよ。
しゃぼん玉に乗って、おにぎりまで届け、
おとうちゃんの思い。
おとうちゃんの話は古い話ばかりだけど、
古い話も知ってると役に立つよ。
おとうちゃんの知識はたいした事ないけど、
おにぎりにみんな残していくからね。
童謡はたくさん覚えて欲しいな。
おにぎりの編集中のブログ見てるよ。
勿忘草さんの説明を読んで、改めて想像すると
一番の歌詞は二女が遊んでいたシャボン玉を吹きながら、二番の歌詞は長女を思い出しながら唄ってそうで・・・本当に悲しいです。
小さい頃、ストローの先にハサミで切り込みを入れて、洗剤水でシャボン玉してました
ストローだから、たまに間違えて吸ってしまい
オエッ!ってなってました
背景を知ってこの詩を読むと、とても悲しい詩ですね。
1番の詩は二女を、2番の詩は長女を歌った詩のようですが、
合田道人さんの本によると、
この詩は長女を亡くした後に書き、
後に二女も亡くされたそうです。
当時は医療も今のように進んではいなかったので、周りにも幼くして命を落とす子供が多く、それを嘆いてもいたそうです。
いずれにしても、悲しい歌ですね。