日本人の誰もが知っていると思っていた童謡「赤い靴」を「夏は来ぬ」と同様、若い人は知らないということを知った。
知らなくても恥ずかしいことでもなく、知っているからといって何か得するわけでもない。こんな哀しい歌は、今のご時世には似合わないのだろうか。
この歌の主人公の女の子は実在したといい、横浜の山下公園には「赤い靴を履いた女の子像」がある。
その子の名は、岩崎きみといい、明治35年、静岡県旧不二見村に私生児として生まれた。
山下公園の女の子(本文とは関係ありません)
後にきみがいることを承知で結婚した夫が北海道開拓の一員となり、娘の将来のため泣く泣くアメリカ人宣教師に託したが、幼いきみは当時不治の病といわれた結核に罹る。
帰国命令の出た宣教師夫妻は、仕方なく孤児院にきみを預けたが、きみは、よこはまの波止場から船に乗って異人さんのお国に行ったわけでもなく、母にも逢えず、育ての親からも離れ、9歳でひとり淋しくこの世を去ったという。
この話を聞いた野口雨情が詩を書き、本居長世の作曲で1921年(大正10年)「赤い靴」が発表された。
そして横浜港をながめる山下公園に像が建てられたのを皮切りに、孤児院のあった麻布十番の商店街や、母が入植した北海道留寿都(るすつ)村の赤い靴公園にもきみの像が建てられたそうだ。
この赤い靴公園には、きみと母かよの像が仲良く並び、やっと再会できた喜びに溢れているようだという。
★記事は、祥伝社「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎」を参考にしました。
この、切なくも哀しい歌を、もう一度きみちゃんの気持ちになって歌ってみてください。
2006.06.04
知らなくても恥ずかしいことでもなく、知っているからといって何か得するわけでもない。こんな哀しい歌は、今のご時世には似合わないのだろうか。
この歌の主人公の女の子は実在したといい、横浜の山下公園には「赤い靴を履いた女の子像」がある。
その子の名は、岩崎きみといい、明治35年、静岡県旧不二見村に私生児として生まれた。
山下公園の女の子(本文とは関係ありません)
後にきみがいることを承知で結婚した夫が北海道開拓の一員となり、娘の将来のため泣く泣くアメリカ人宣教師に託したが、幼いきみは当時不治の病といわれた結核に罹る。
帰国命令の出た宣教師夫妻は、仕方なく孤児院にきみを預けたが、きみは、よこはまの波止場から船に乗って異人さんのお国に行ったわけでもなく、母にも逢えず、育ての親からも離れ、9歳でひとり淋しくこの世を去ったという。
この話を聞いた野口雨情が詩を書き、本居長世の作曲で1921年(大正10年)「赤い靴」が発表された。
そして横浜港をながめる山下公園に像が建てられたのを皮切りに、孤児院のあった麻布十番の商店街や、母が入植した北海道留寿都(るすつ)村の赤い靴公園にもきみの像が建てられたそうだ。
この赤い靴公園には、きみと母かよの像が仲良く並び、やっと再会できた喜びに溢れているようだという。
★記事は、祥伝社「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎」を参考にしました。
この、切なくも哀しい歌を、もう一度きみちゃんの気持ちになって歌ってみてください。
2006.06.04
横浜生まれ、横浜育ち「ハマっ子」の私にはなつかしい場所です。
小学校の時には遠足、若かりし頃はデート で何度も行った場所です。
一人で歩くのも好きでした。
赤い靴を履いた女の子像も実物を見ました。
母娘像があったとは知りませんでした。
また、この歌にそのような悲しい出来事があったことも知りませんでした。
お土産屋さんには、「赤い靴」関連の商品も置いてあると思います。
詳しく教えて頂き有難うございます
波浮の港も確か、亡き母がお勝手しながら歌ってました
それと、
うさぎのダンス も
この言葉が思い浮かびました
流行る歌は
世の中の動きにつれて変わってきているのでしょうか
でも夏は来ぬ、は知らないのです。(意味は分かります。今の子でも古典文法は学校で習いますから、タイトルの訳は即答できるはずです。←私って厳しいなぁ。)
そういえば勿忘草さんがパイプをくわえて、マッカーサー元帥と肩組んで写っている写真がありましたね!
戦中、戦争直後の話は、リアルタイムで知っている人と知らない人では随分印象が異なることですから、心のご負担にならないようでしたら、是非記事にしてくださればと思います。普段の生活でそういう話を聞くチャンスがないので、残念に思っているのです。
しりませんでした。歌詞はよくしっていますが、このようなお話の真髄にふれ今度歌う時は「きみちゃん」の気持ちを思い起こすでしょう。がこぼれそ~う。
この歌を聞くと、
赤い靴を履いた小さな女の子が、異人さんに手をひかれて、後を何度も振り向きながら、連れられて行く、そんな場面を想像して、
いつも哀しい気持ちになりましたが、
本当のお話は、私が想像していたよりも、
もっと哀しい。
昨日、山下公園に行ってきました。
日曜日だったので、たくさんの人出でしたよ。
マリンシャトルにも乗って湾を一周しましたが、時間の都合で5時半~6時15分までの便でしたので、海からの夜景が見られずちょっと残念でした。
またゆっくり行きたいと思います。
◆陽子さん
悲しい話ですが、異人さんには可愛がられたようです。
でも、結核で体力的にも船に乗せることができなかったそうです。
◆コスモスさん
歌には想い出があって、その頃に還ることができますね。
波浮の港や、ウサギのダンス、みんな雨情の作詞ですね。
◆雲さん
≫”歌は世に連れ世は歌に連れ”
時代と共に歌われる歌も変るのは仕方ないこと。
年寄りの郷愁ですよね。
「翼をください」も聞けばわかりますが、歌えません。
これも世代の相違ですね。
◆chocotoroさん
雨情の歌はいい歌がたくさんあります。
これもこれも、というくらい多いんですよ。
本居長世は僕のお父さんです。
なんてわけありません。
「夏は来ぬ」の「きぬ」はカ行変格活用で
「こ・き・く・くる・くれ・こよ」なんて習いましたね。
フフッ、厳しいぃ~!
≫そういえば勿忘草さんがパイプをくわえて、
≫マッカーサー元帥と肩組んで写っている写真がありましたね!
見られちゃいました?
隣りに陛下がいたでしょう。
戦後すぐの話はたくさんありますよ。
でもそんな話をするとみんな引いちゃいますよ。
知らないことにしておきます。(ニッコリ♪)
◆uragojpさん
「赤い靴」も良く歌われるでしょうね。
哀しい事実がある歌ですが、僕は好きな歌です。
子供の頃、この歌を歌うと哀しい気持ちになりました。
「青い目の人形」という歌もありましたね。
◆momobeさん
実話であり、こんな哀しい結末なのがやりきれないですね。
北海道では、おかあさんのそばで、きっと幸せに暮らしているでしょう。
悲しい歌だということさえも、恥ずかしながら、知りませんでした。
“歌は世に連れ、世は歌に連れ”
雲さんに、教えてもらったコトバ響きます。
「童謡はココロにどうよ!」っと処方してもらって、ジーンときました。
この歌は知ってました?
こんなに悲しい歌なんですよ。
動揺してませんかぁ。
童謡はとても情操教育にいいと思います。
快君にも歌ってあげて下さいね。
心豊かになりますよ。