前回も取り上げたばかりだが、言葉は進化し若者は次々と新しい言葉を作り出す。大人はそれに眉をひそめ日本語の乱れと苦言を呈す。そのときに必ず取り上げられるのが「ら抜き言葉」である。
今回取り上げたYouTubeからの音楽は、石原裕次郎さんが歌い、浅丘ルリ子さんの台詞入りの「地獄花」である。僕の好きな曲であるが、その理由のひとつに彼女の台詞の良さがある。流石に言葉を大切にするトップ女優である。
この「地獄花」と、表題の「ら抜き言葉」の関係であるが、台詞の一節に「誰も二人の世界には入って“来れない”んですよ」とある。このとき既に作詞家の萩原四郎氏は「ら抜き言葉」を使っていた。この曲の発売が1971年であるから、今から40年前のことである。「天声人語」によると、川端康成氏も「雪国」で、芸者の駒子に「来れないわ」「来れやしない」と、何度も言わせているという。
ら抜き言葉には利点もあると、以前ある言語学者(金田一春彦氏だったと思うが)が言っていた。「来られる」や「見られる」などは、可能の他に尊敬や受身を意味することもあり、「来れる」「見れる」は「来ることができる」「見ることが出来る」などのように可能だけの意味として使われ、誤解を招かない便利な言葉だと。。。
言葉は生き物、近い将来「ら抜き言葉」は立派な日本語としてアナウンサーにも使われる言葉になるかもしれない。ただ、今は僕は使いたくない言葉ではあるが。。。
今回取り上げたYouTubeからの音楽は、石原裕次郎さんが歌い、浅丘ルリ子さんの台詞入りの「地獄花」である。僕の好きな曲であるが、その理由のひとつに彼女の台詞の良さがある。流石に言葉を大切にするトップ女優である。
地獄花 石原裕次郎・浅丘ルリ子
この「地獄花」と、表題の「ら抜き言葉」の関係であるが、台詞の一節に「誰も二人の世界には入って“来れない”んですよ」とある。このとき既に作詞家の萩原四郎氏は「ら抜き言葉」を使っていた。この曲の発売が1971年であるから、今から40年前のことである。「天声人語」によると、川端康成氏も「雪国」で、芸者の駒子に「来れないわ」「来れやしない」と、何度も言わせているという。
ら抜き言葉には利点もあると、以前ある言語学者(金田一春彦氏だったと思うが)が言っていた。「来られる」や「見られる」などは、可能の他に尊敬や受身を意味することもあり、「来れる」「見れる」は「来ることができる」「見ることが出来る」などのように可能だけの意味として使われ、誤解を招かない便利な言葉だと。。。
言葉は生き物、近い将来「ら抜き言葉」は立派な日本語としてアナウンサーにも使われる言葉になるかもしれない。ただ、今は僕は使いたくない言葉ではあるが。。。
割とすんなり受け入れられるのは、どうしてかしら?孫の話す言葉、ときどき判りません。
「られる」が可能か尊敬かはそのときの状態で解ります。
偉い人の説明であっても、何か納得できません。
もちろん私も使いません。
浅丘ルリ子さん
みどりはるかに~
ニューフェース可愛かったです。
若者言葉はそれなりに楽しいですね。
友人同士ならそれもいいと思います。
「地獄花」の中の台詞は
違和感がないのが不思議です。
◆言葉(ippuさん)
金田一春彦さんは
「言葉は時代とともに絶えず動いて変化する」
が持論のようです。
ら抜き言葉に違和感を覚える我々は
古いのでしょうか。
◆日本語(コスモスさん)
美しい日本語を話す女性は
より美しさがましますね。
浅丘ルリ子さんもその一人ですね♪
わからない時は素直に尋ねます。
私は言葉ってその時代に即応して変わって行っていいのだと思うのです。
携帯が出来、それに合わせて簡素化した言葉も有ります。
かと言って娘達は、丁寧語も尊敬語もお相手によってキチンと使ってるようです。
私も娘達とは、簡素化した言葉で会話したりしていて、その方が解かりよいと感じる事も有ります。
言葉もTPOで使い分けが出来れば
正しいか間違いかにこだわらず
自由でいいと思います。
ただ、使う言葉によって
その人のレベルがわかってしまうのが怖いですね。
娘さんたちのような若者言葉
大いに参考にしたいです。
◆変化(陽子さん)
時代と共に変化していくのが言葉だと思います。
平安時代の言葉が今は通用しないように。。。
言葉は生き物、上手に使い分けが出来たら
会話も楽しくなるでしょうね♪