farm note 農便り

農業をしながら生活を楽しくをモットーに

由良ケ岳?

2020-11-23 14:39:40 | Weblog
連日の老人会、長生会の活動は、小高い丘の植樹のための伐採等の作業でした。
昨日は15名のシニアが参加。
この機会を捉えて、ずっとどこのなんという名前の山々なのかと思っていた質問、あの山何という山?
皆不確かです。
皆あの山が何なのか知りたいと思わないのか不思議でした。
ユータンーんして以来、奥の村から下がって歩くのですが、雪で白い山がなになのか、ずっと気になっていました。丹後の太鼓山じゃないかと言われてもいましたが、不確か。
ずっと気になっていました。
谷筋上流に位置する福井県に隣接した谷の中央部に広がる山容。
立ちはだかって見えます。
それが漠然と宮津市の由良ケ岳じゃないかと確信した一昨日でした。
何故か、眼前を遮るものに関心が行きます。不思議です。
高校時代、京都に出た時にも、河原町荒神橋から眺めると遮る建物があり、後で京都大學の一部だと知りました。ずっと気になっていた京都大學。京都織物会社のレンガ作りの建物で、東南アジア研究所の図書室になっていました。
40才代になってまさかそこでお勤めするなんて夢にも思わなかった高校生時代でした。
退職するまで現地語の図書に囲まれて仕事をするなんて!
私、何故か立ちはだかる物に、興味がわきます。
不思議です。
機会を見つけて立ちはだかるあの山に登りたいとひそかに考えます。
元気な内に。
家付近からは大きくみえ、下方に畑があるので通勤途上、いつも眺めて何かしらと思っていた山。
畑付近は下っていくので、はっきり見えませんが、上からは谷筋に立ちはだかっています。
気になっていた山で、名前が由良ケ岳。
登ってどんな風にみえるのか見てみたい好奇心が湧きます。
ちょっと疑問が解けて次へ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大スペクタクル!

2020-11-23 07:13:20 | Weblog
きのうは、老人会の再度の集まりで、丘の見通し悪い、妨害の木々伐採日。
私達、女子、二人は燃やし役に徹して火遊びとしてぱちぱちはぜる生木を観察してきました。
金閣寺の話になり、三島由紀夫の話になり、美しいものを燃やす気持ちの複雑さを反芻してきました。
金閣寺を燃やしたのは、舞鶴出身の方と聞いていましたから、裏日本の複雑な心理を思い浮かべながらでした。我が家の燃えるような古い大木のモミジの木もみかんの木、レモンの木、大切にしていたイカリソウの鉢が何故か枯れたのを思い出していました。
嫌な思いが降って来たのですが、場面展開です。
見下ろす反田んぼでの生き生きしたスペクタクルです。
白い二匹の猟犬が大きな鹿を追って疾走して、鹿の臀部を齧ったようで、赤い。
犬の口は赤いとのことでしたので、勇敢な犬の追跡でした。
我々シニア、手を休め、その様を目撃しました。
まるで活劇を見ているようでした。
あの鹿は私の田んぼにも何度も飛び込んだかもしれません。
あの鹿、その後どうなったのか、草の中に倒れたのか?
猟犬は知り合いの方のものらしく、いつか、主人のあっちゃんに聞いてみなくっちゃ。
あっちゃんは、私達が子供の頃、この近辺の山を紹介してくださった幼馴染のお兄さんなんです。
猟師をされていて、頼もしい存在で、この間もイノシシが暴れているからお願いしたところでした。
いつもムラの事を気にしてくださっている方なんです。
所謂昔のガキ大将さんなんですが、今尚、本領を発揮してくださっています。
嫌な思い出と元気の出る思い出の交錯する楽しいひと時で、交流して共同作業、楽しかったです。
小字の異なる昔の男の子達とのスモールトークも楽し。
忙しい時は話している間がないので、晩秋はいい時期です。
皆子供時代に簡単に戻れます。年をとるのも悪くない!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症初期発症?

2020-11-23 06:39:02 | Weblog
探しもの得意の私を母は、よく笑って、馬鹿にしていた。
携帯どこ?財布どこ?が私の数年前の口癖だったような、娘を馬鹿にしてよく笑っていた母でした。
他人にもそんな言葉を吐くものだから入院中は蔵の側にずっと集荷場に放置されていた古いパイプが
置かれていたこともありました。多分母の言葉を信じて、私も認知症なのかと思われていたのでしょう。

一昨日、やっと息子達に送る荷物の内容物がそろったので、母に見せながら、あれこれ詰めていました。
何度も母が聞くのは、柿詰めたか?でした。
数分もたたないのに、また同じことを聞きます。
三度くらい同じことを聞きます。
こんなことは初めてでした。連続的に同じ言葉です。
うすうす感じていたけれど、そろそろあの年齢に達したのだと、実感しました。
認知能力が衰える?
台所のスプーンなんて何度ゴミとして処理してきたことでしょう。
またか?またか?と思ったものでした。
柿、入れたかは、象徴的な繰り返し言葉でした。
もうそんな年齢なのだと思い入れました。
そのように接していかねばと自尊心を傷つけないように,最晩年の過ごし方を考えます。
私達皆が迎えるだろうと時を考えます。
他人事でなく、己の事、切実です。
母のこだわりの柿、玄関先の柿も葉を落とし、丸裸状態なので、採りました。
母の為の柿、一番熟れた、おいしそうなのを剥いてやると、おいしい!でした。
100年を超した老木に実る柿、おいしい柿をいっぱい実らせます。
なんだか、母と重なってしまいます。
今朝ちらっと読んだ図書館の本、年齢は財産、納得です。
大事にしたい年齢という宝物です。
母、少しずつわすれるのかな?
この冬はまた昔話聞き取り再開です。
もう聞いた!とは言わずにね。
これからの農閑期、ゆっくり話を聴いてやりたいです。
一人時間を多く過ごす母、台所で侍る犬のこころは良き友としていてくれるので。
有難い存在です。
いつもお留守番と母の見守りを言葉にして出かける私です。
母もこころも今、夢の中、ぐっすりらしい。
イタリアでは、年齢が増えることは、財産が増えることですって!
ならば、せっかく頂いて命、長らえて、財産をふやしましょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする