昨日は午後から小休み。今日は大休で、ムラでは皆多忙な田植えを終え、一段落でお休み。でもみな忙しく、そうも言っておれず、相変わらず忙し。母に押されて二人でテレビを見ているのもどうかと畑へ3時頃出かけた。ついジャガイモ掘りに夢中になって、5時から開始のムラの草刈時間を20分も遅刻。
ごめんなさいねとお詫びはもちろんでした。焦ると、草刈機のエンジンもなかなかかからず汗の出る思いでした。つい夢中になってジャガイモと遊んでしまいました。
昨夜は何故か私自身にエンジンがかかってしまい深夜の掃除。
すっきりしました。何故夜にと思いましたが、多分昼食のガーリックたっぷりのミニトマト一杯のスパゲッティのせいだったでしょう。
朝、母も犬もグーグーと寝ています。しかし犬のこころはグーグー寝ているのに、レンジを開ける音を聞くと、機械的に起きてきます。暖かい牛乳を飲む為です。おかしいくらいきっちりと起き上がり飲めば、また寝息をたて寝ます。
おかしいと言うか、可愛いと言うか、高齢期の私達にとって、かけがえのない存在です。
こんな風に日々淡々と怒ったり、笑ったりしている内に、時間はどんどん過ぎていくが、老い時間はこんなものなのだろう。
親しい方が亡くなられ、いろいろ考えさせられます。
我が家のこころを可愛がってくれた方ももうおられない。
今睡眠中の母の声、今日はディーに行かなくていいなあと、聞いている。
もう止めたからいいのよ。ゆっくり寝ていてねと娘。
昨日は数の子も買わなあかんねと母。お正月の準備を考えているらしい。
もうこんな頓珍漢は会話にも慣れました。
認知症なのだと受け止め、適当に受け流し日はすぎる。
畑に行けば懸命に土を触る。
もうぎょっともせず、受け止め、極自然の母との会話。何度も同じことを言うのは、序ノ口、すべて自然の流れと受け止める私も少しは成長したのか?
人はこんな風に老いていくのだと、母は示して教えてくれますわ。
母の言うことはあまり聞かなかった私だが、背中から学んでいるのだと思う年頃に娘もなりました。安心させるように、聞けるようになりました。母、もうすぐ101才。いい日を見てちょっと遠出もしようか?バラを見にいこうか?