新年おめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
さて、新年初めての紹介は、「色絵 岩に鳥文菱形小皿」となります。
表面
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;15.8×13.8cm 底径;8.3cm
これも、昭和60年に(今から36年前に)(あれっ! 昨日までは「35年前に」と書いていたんですが、今日からは「36年前に」となりました。時差でしょうか、、(笑))買ってきたものです。
ここのところ、出生不明の、いかがわしい焼物の紹介が続きましたが、今回は、今では出自の明らとなった焼物の紹介となります(^_^)
この「色絵 岩に鳥文菱形小皿」につきましては、今ではやめてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、それを再度ここで紹介することで、この菱形小皿の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー121 古九谷様式色絵岩に鳥文菱形小皿 (平成20年5月1日登載)
かなり古い手で時代はばっちりである。
私はこれを昭和60年に購入したが、当時は、古いことだけは認められていたが、何時頃、何処で作られたのかははっきりしていなかった。
でも、私は、これは伊万里の初期の頃の色絵にちがいないと確信して購入したものである。
今では、いろんな本や図録に類品が載っているので、伊万里の早い時期に作られたものだということは万人が認めるところであろう。
この小皿は、菱形の変形皿であるが、変形皿については、「世界をときめかした 伊万里焼」(矢部良明著 角川書店 平成12年刊)にやや詳しい記述があるので、ちょっと長いが、次に引用してみたい。(同書P.126~127)
そもそも、この変形皿の原点をなしたのは、慶長初年の1600年前後に美濃焼が始めた志野の向付であった。円形をたわめて撫で四方形につくったがその嚆矢とされる。慶長10年(1605)あたりに登場した美濃焼の織部向付は、この思想を大胆に推し進めて、ますます複雑な混沌とした形の純抽象造形をつくりあげたのであった。 伊万里焼が変形皿を考案したのも、こうした茶の湯道具の先達があってこそであり、その先駆けをなすものは、寛永16年(1639)の年号が記された共箱に収まっていた染付松皮菱皿5枚であろう。以後、変形皿はとくに17世紀後半になると、重要な作風となって定着していく。もちろん、その形が暗示するように、日本人の趣向、とくに茶人が主な購買の対象となったのであろう。 この変形皿をつくるにあたって、伊万里焼の陶工は一工夫をめぐらしていく。初めは変形皿であっても、高台を円形に削っていたのだが、やがて、その変形に従って、高台も概略同じ形をつくるようになる。こうなると、轆轤にのせて削り出すことはできなくなり、別途、糸切高台という高台づくりを考案して対応していくことになる。糸切高台とは、付け高台のことであり、粘土をあたかも豆腐のように立方体に固め、これを糸をもって薄く帯に切り出しておき、この帯を皿の底にあてがって、変形の器形に合わせて自在に形をつくり、高台とする手法であり、このつくり方を土地の人たちは糸切と呼んでいる。茶入づくりにいうところの糸目を残した糸切づくりとは、同名別種の底づくりなのである。この糸切高台を伊万里焼がいつごろから開始したか、定かにはしにくいが、1650年代あたりからと漠然と考えている。 |
この記述に従うと、この変形小皿は、高台が円形になっているから、1650年代よりは前に作られたのかもしれないとの推定が成り立つ。
もっとも、円形の高台の小皿と糸切高台の小皿とは、並行して作られたのであろうから、円形の高台の小皿の方が糸切高台の小皿よりは古いとは一概には言えないが、この小皿に限っては、糸切高台の小皿の出現よりは前のように思われるのである。
江戸時代前期 長径:15.8cm 高台径:8.3cm
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*古伊万里バカ日誌59 古伊万里との対話(菱形小皿)(平成20年4月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
菱 子 (古九谷様式色絵岩に鳥文菱形小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、先月アップした桜文の飯茶碗を押入れの所定の場所に戻す際、その近くに、「アレッ!」というものを見つけ出した。
見つけ出したのはいいが、もう既にアップ済みなのか、まだアップしていないのかわからなくなった。どうも、記憶力が弱いようで、アップ数が百を越えたあたりから、アップ済みなのかどうかがわからなくなったようである。
さっそくホームページで確認を行ったところ、まだアップしていないことがわかったので、対話をはじめた。
主人: もうとっくにお前とは対話済みかと思っていたらまだだったんだね。
菱子: そうなんです。無視されちゃったんです。どうせ、私なんか、アップするに値しないからなんでしょう(涙)。
主人: いや、そんなつもりでは・・・・・(汗)。
確かに、「こんな物までアップしては、世間様から笑われるかな?」と思ってアップしていない物はあるにはあるけど、お前のことを故意にアップしなかったわけではないんだ・・・・・。
菱子: そんなことは言い訳でしょう。私のことを無視したにきまってます!
だいたい、どういう基準でアップするかしないかを決めているんですか!
主人: 特に基準はないけどね・・・・・。なるべく、我が家に古く来た順番に登場してもらってるかな・・・・・。
菱子: それなら、私は昭和60年にここに来ていますから、十分にその基準を満たしているはずです。言ってはなんですが、こうして、アップするに値するかどうかまで判断して選別していては、ご主人のコレクション数は貧弱ですから、ほどなく行き詰ってしまうんではないですか! アップする材料がなくなったらホームページは閉鎖ですか!
主人: これはまた厳しいことを・・・・・。確かに、だんだん残りが少なくなってきているから、極力補充してきてはいるんだけどね・・・・・。
でもね、最近はこんなことを考えているんだよ。アップする材料がなくなったら、同じ物に再登場してもらおうと! 美術館だって、展示替えで、同じ物を何度も登場させているものね。
菱子: そうですか。それでは、その時は私を真っ先に再登場させてくださいね。
主人: わかった、わかった。その時はそうするよ。(「知ったことか!」とうそぶく。)
ところで、お前を買った時のことは、古い話なんだけど、けっこう覚えているよ。
東京の神田に、「古民具骨董館」という五階建てほどの羊羹を縦にしたようなヒョロヒョロっとしたビルがあった。お前のことはそこで見つけたんだ。その後、そのビルは、バブルの到来とともに地上げにあって(?)取り壊され、「古民具骨董館」も池袋の方へ移転した。その池袋の「古民具骨董館」も今はない。今では、それに代わるのが、各地の神社の境内などで開かれている「古民具骨董祭」なんだろうかね。骨董の世界にも、ささやかながら、時代を反映した歴史があるもんだね。
まっ、話は脱線してしまったが、ともかく、お前のことは、そんな所でみつけたわけだ。でもね~、当時は、お前が、何時頃、何処で作られたのか、はっきりとはわからなかったんだ。もちろん、一部の者にはわかっていたんだろうけど、私を含めて、一般の者には曖昧だったね。
当時、「古九谷」の端皿というものは、今では名品といわれるようなものだけが「古九谷」の端皿と認められていたから、お前のように崩れているものは「古九谷」とは認められなかった・・・・・。
菱子: 「崩れている」はひどいでしょう(プンプン)。 それを言うなら、初期伊万里さんなんかもっとひどいじゃないですか。それなのに人気がありますよ!
主人: まあね。それは日本人、しかも現代の、ギスギス・トゲトゲした社会の中にあって、癒しを求めている現代日本人にのみ人気があるんじゃないのかな。普遍的に人気があるわけではないだろう。世界に通用する価値基準からみたら、やはり失格じゃないのかな・・・・・。
菱子: それはご主人の独断と偏見でしょう。(プンプン)
主人: そうかもしれないな。
それはそうと、お前が日本で作られた、しかも、かなり古い頃に作られたらしいということは一般に認められていたんだろうね。そんな大傷を負っても打ち捨てられるとこなく補修されて大事にされてきて残っているんだからね。
菱子: それはありがたいことです。日本人に感謝いたします。
ところで、今、「かなり古い頃に作られたらしいということは一般に認められていた」と言われましたが、何時頃、何処で作られたと思われていたんでしょうか。
主人: 漠然と、「「古九谷」が作られた頃、「伊万里」で作られたと考えられていたんじゃないかな。ところが、当時は、「伊万里」の一番古い色絵は「柿右衛門」ということになっていたから、「柿右衛門」ではないお前のことは、結局、「伊万里」で作られたものではないので、何処で作られたのかわからない、ということになってしまったんだよね。でも、なんとなく、「古九谷」が作られた頃、「伊万里」で作られたのではないかと思われていて、大切にされてきたわけだ。当時も、そんなブチ割れの大傷のあるお前でも、価格的にはけっこうなものだったもの。もちろん、「古九谷」様の値段には及びもつかなかったが、それでも、一般の伊万里に比べれば、傷物にしては破格の値段だったね。
菱子: ご主人はどう思って買われたんですか?
主人: やはり、皆んなが漠然と思っていたとおり、伊万里の早い頃のものと思って買ったね。ただ、はっきりとそのように評価されていたわけではないから、予想がハズレた場合には「偽物」をつかんだということになるわけだ。
菱子: 売る方もわからないで売っているんですし、不明な物を買ったわけですから、「偽物」をつかんだことにはならないんじゃないですか。
主人: ん? 菱子はなかなか理屈っぽいな。
そう言われればそうだけれども、売る方だって、「初期の頃の伊万里の色絵ではないだろうか?」と思って、それなりの高い値段で売っているんだし、それが、結果的に「出来の悪い幕末の伊万里だった」ということになれば、「偽物をつかませられた!」という感覚にはなるよな。もっとも、このようなケースでは、自己責任の比重は大きいんだろうけどね・・・・・。
菱子: ご主人は、「出来の悪い幕末の伊万里かもしれない。でも、ひょっとして初期の頃の伊万里かもしれない」と思い、それに賭けて私を買われたんですか。
主人: 冗談じゃない! 私の鑑識眼を甘くみちゃいけないよ! だてに骨董を、古伊万里蒐集を長くやってるんじゃないよ。それにな、勉強だってよくやってるんだ!
菱子: 長くやっていたり、勉強したりすれば鑑識眼は高まるんですか?
主人: こいつ、まださからう気か! アップすることを忘れられたことにまだ腹を立ててるんだな!
菱子: いえ、そういうことではありません。ただ単純に、「長くやっていたり、勉強しさえすれば鑑識眼は高まるのだろうか?」と思っただけです。私は単純で純粋な性格なんですよ。ひねくれてはいないんです。
主人: わかった、わかった。
確かにね、長くやっているんだけど、それに、それなりに勉強もしているんだけど、どうもあまり目の利かない骨董屋さんていうのもいるな。鑑識眼というのは、ある程度の天分というのも左右するのかな~。
菱子: それではご主人はどうなんですか? ご主人にはある程度の天分は備わっているんですか?
主人: いやなことをズバリ聞くね~。どうなんだかね~。アップした古伊万里たちを見ればわかるんだろうね。人様はどう評価しているんだろうかね~。アップするたびにテストを受けているようで、身が縮むよ。トホホ・・・・・。