今回は、「色絵 梅文 向付」の紹介です。
正面
正面の裏面
見込み面
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;6.9cm 高さ;5.3cm 底径;4.2cm
<解説>
この手は、従来は、これぞ「ザ・柿右衛門!」と言われてきたものです。生地あくまでも白く、乳白色で、色絵を引き立て、また、造形も細やかで、いかにも繊細です。
ところが、この手のものは、むしろ、多くはヨーロッパに伝世していたことが分かってきました。それは、近年、多くが里帰りしてきたことから分かってきたことです。柿右衛門様式は、ヨーロッパ輸出向けの大ヒット商品だったわけです。当時、有田皿山が全山をあげて作った輸出用ヒット商品だったわけです。
しかし、ヨーロッパ輸出が不振となりますと、内需拡大に努めなければならなくなりました。でも、高級品であったため、当時でも国内の富裕層を対象としていたらしく、伝世品は少なかったものですから、私がコレクションを始めた頃は高価でした。近年、多くが里帰りしたため、その頃よりはだいぶ安くなったように思います。
ところで、「世界をときめかした 伊万里焼」(矢部良明著 角川書店 平成12年初版発行)の54ページには、「・・・日本に伝世した柿右衛門様式の色絵とは、結局どのようなものであったかというと、それは、昭和30年代までに蒐集されたものを見れば一見してわかることなのだが、1700年代の盛期を過ぎ、急速に作風が精彩を失っていった、後期の柿右衛門様式に属するもので主に構成されているのである。」と書いてあります。
それまでは、この向付のような物こそ典型的な柿右衛門とされ、これぞ「ザ・柿右衛門!」と思われてきたわけですが、そうでないことが書かれています。
また、前掲書の同じく54ページには、「一見、奇異に感じられるかもしれないが、古九谷様式と柿右衛門様式ともに1650年代には有田で焼造が開始されていた。それなのにまったく様式が違ったのも、国内と西欧という、その需要者の相違がそのまま反映したからにほかならない。」とも書かれています。
古九谷様式も柿右衛門様式もほぼ同じ頃に作られ始めたわけですね。古九谷様式は国内富裕層向けに、柿右衛門様式は西欧王侯貴族等向けにと、、。
ですので、本来の柿右衛門様式というものは、今までに考えられてきた柿右衛門様式よりは古九谷様式に近く、作られた時代も、従来考えられてきたものよりは古いということになります。
以上のことを前提に、では、この向付は、前掲書で言われている後期柿右衛門に属するのかどうかを考察してみたいと思います。
この向付は、生地あくまでも白く、乳白色で、色絵を引き立て、造形も細やかで繊細ですよね。いかにも、従来、典型的な柿右衛門と言われてきた所以です。しかし、やや「・・・精彩を失っていった、・・・」感は免れないようです(~_~;) また、こじんまりとまとまっている感じも免れません(~_~;)
とはいっても、この向付、なかなかのもので、それほど精彩を欠いていないことが分かります。たぶん、内需拡大に転じたばかりの頃に作られたものなのでしょう。
ということで、この向付は、前期柿右衛門様式の終り頃から後期柿右衛門様式の始め頃に作られたものではないかと思うわけです。
当時、こんな素晴らしい物を買うことが出来たのは国内の富裕層だったろうと思われます。したがいまして、前述しましたように、柿右衛門様式の物は、国内の伝世品も少なかったものですから、非常に高価だったわけですが、さかんに里帰りするようになってからはかなり安くなりました。