今回は、「染付 四方割花文 蓋物 」と「色絵 花文 蓋物」の紹介です。
「染付 四方割花文 蓋物 」
立面
上から見たところ
蓋を外したところ
蓋を外し、蓋を裏返したところ
本体も蓋も裏返したところ
底面(1)
底面(2)
底面(1)を右に45度回転させた面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 蓋径;9.5cm 高さ(蓋共);6.3cm 底径;4.2cm
「色絵 花文 蓋物」
立面
上から見たところ
残念ながら、青色と緑色は、後生になって追加の後絵がなされたのか、或いは、特殊な塗料で追加の加彩がなされたのではないかと思われます。
ボデーが経年劣化等でかなり風化して見えるのに対し、鮮やか過ぎるからです。
ただ、赤色は元の色のままなように思われます。
蓋を外したところ
蓋を外し、蓋を裏返したところ
本体を裏返し、蓋を外したところ
本体も蓋も裏返したところ
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 蓋径;11.2cm 高さ(蓋共);6.4cm 底径;4.9cm
なお、これらの「染付 四方割花文 蓋物 」と「色絵 花文 蓋物」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しておりますので、それを次に再掲いたします。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里バカ日誌46 蓋物二題 (平成19年2月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
染 子 (古九谷様式染付四方割花文蓋物)
花 子 (柿右衛門様式色絵花文蓋物)
染子 花子
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、押入れ帳をめくって、これから対話をしようとするものを物色しはじめた。ところが、「これよさそうかな!」と思っても、既に登場済みだったりして捜すのに苦労しているようである。ガラクタばかり集めているので、めぼしい物とは既に対話済みになっているからである。
アップするからには、やはり、少しはましな物を登場させねばならないし、一度登場させた物もはずさねばならない。それに、既にアップした物の数も多くなってきているので(ガラクタの中からめぼしい物を選んでアップするように努力しているわけではあっても、それとても、所詮ガラクタの域を出ない数々の物ではあるが・・・。)、最近では、そういう一度アップしたものを登場させないというようなチェック作業も大変になってきたようである。
それでも、なんとか、春らしい花文の物を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: 今年は異常なほどの暖冬で、もうすっかり春めいてしまった。そこで、今日は、春の香り漂う花文のお前達と対話をしたくなった。
まず染子だが、お前は昭和62年の3月に我が家に来ているから、ちょうど20年滞在していることになるな。その時も、春を感じさせる花文が気に入って連れ帰ったんだ。それに、その、トロリとした肌合いも気に入った。私は、どちらかというと、パキットした感じのものよりは柔らかい感じのものが好きだからね。
染子: 人によっては、キッカリとしてパリッとしていなければ駄目だとか、私みたいなのは生焼けで出来損ないではないかと言いますよね。
主人: 人それぞれ、好みもそれぞれだからね。ただ、そんなものの方がいいという人の方が多いんだろう。特に、現代の食器の感覚からいえば、カリット焼きあがっていたほうが丈夫そうだし、衛生的にも好ましく映るからだろうよね。でもね、そこには心を和らげるような味わいがないね。
ところで、お前の名誉のために言っておくが、お前は決して生焼けではない。十分に良く焼けているよ。甘手ではないな。
話は変わるんだが、私は、最近、お前のようなものをどういう様式に分類すればいいか迷ってるんだ。以前は、上手で味わいがあって生掛けの染付は藍古九谷、余白を十分に取った細かな描き込みのある上手の素焼きをした染付は藍柿右衛門と言っていた。そういう点では分類も比較的に簡単だった。
ところが、最近では、そんなに単純ではなくなったね。生掛けか素焼きされているかで藍古九谷か藍柿右衛門かを区分しなくなった。もっとも、生掛けか素焼きされているかを見分けるのは極めて難しいものがあるからね。
「世界をときめかした伊万里焼」(矢部 良明著 角川書店 平成12年12月刊)の146ページには、
「・・・・・あたかも白地の上に浮かぶように、日本人の好む余白の効果は抜群である。 こうした染付磁器は、比較的よく日本国内に伝世している。概して作は小品が多く、鉢では一尺を超える大作はまず見ない。轆轤成形のものと型抜き成形のものとがあり、造形の技が利いていて、ぴーんと張りつめた緊張感がその器全体から漂っている。 この種の染付を、柿右衛門様式の染付版という人もいたし、現在もいる。ただその染付は輸出用ではなかったので、語弊も生じるからここではその日本での名は避けておこう。・・・・・」 |
という記述もある。著者は、国内向け製品を古九谷様式、輸出向け製品を柿右衛門様式とするようなので、その分類では、色絵の分類と染付の分類とでは矛盾してしまうからだろう。
そういうことで、染付の分類については悩んでいるのだが、当面は、従来の分類を踏襲しようと思っている。今まで使っていた用語にはなじみもあり、なんとなく今までの用語の方がわかるような気がするものね。それに、最近では理解力も低下してきていて、新しいことがなかなか理解できなくて、頭が混乱してしまうんだ。年だな~。
染子: なかなか難しいものなのですね。
主人: 学問の発達とともに用語も違ってくるね。もっとも、学問が発達しようが、用語が変更になろうが、出生地が変わろうが、物自体には何の変化もないんだけれども、私の場合は、明確な根拠に裏打ちされた新たな体系のもとにきちんと整理されると、なんとなくありがたく感じてしまうんだよ。理屈っぽい性格なのかな~。
そういう点では花子も同じだな。
花子: どういう意味でしょうか?
主人: 色絵ものの分類にあっても、以前は、上手で味わい深く力強い生掛けの色絵ものは古九谷、余白を十分に取った繊細な針描きのようなもののある素焼きをした色絵ものは柿右衛門といっていた。それは、ま、基本的には現在も同じだが、初期の頃の色絵ものの分類が難しくなったね。
輸出された物で、従来古九谷様式と言われていたもののうちのいくつかは、(初期)柿右衛門様式と言われるようになってきている。国内向けを古九谷様式、輸出向けを柿右衛門様式と分類すれば当然だろうけれどね。もっとも、お前のような物は、以前から、古九谷とは言わずに初期柿右衛門と言っていたな~(笑)。
花子: そうでしょうよ! どうせ私なんか初期の色絵ではないからでしょうよ(プンプン)。
主人: いや~、初期は初期なんじゃないの(汗)。でも、ちょと見た目にも余白が多いから、いかにも柿右衛門というように見えるからじゃないの・・・・・。(言い訳に大汗)
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*古伊万里ギャラリー107 古九谷様式染付四方割花文蓋物 (平成19年3月1日登載)
「古伊万里バカ日誌46」にも記したように、この蓋物は、昭和62年3月に我が家に来ているから、ちょうど20年になる。
磁器であるのに、テカテカ、ツルツルせず、しっとりとした肌合いのところを気に入っている。ただ、食器としては、カキットして照りもあったほうが衛生的に見えるであろう。この蓋物の腰の辺りなんか薄汚れた感じで汚らしい。とても衛生的とは映らないだろう(^^;)
ただ、当時としては、磁器は珍しく、また、陶器などに比べたら、はるかに綺麗で清潔感に溢れていたから、当時は、この蓋物だって、極めて衛生的に見えたにちがいない。
でも、現代においては、磁器は珍しくもなんともなく、磁器の食器などは使い捨て感覚で扱われ、粗末にされている。
その意味では、このような蓋物は、かつての食器としての使命を終え、私達に潤いを与える工芸品としての存在となったのではないだろうか。今では、鑑賞陶磁器といわれるゆえんであろう。
江戸時代前期 蓋径:9.5cm 高さ(蓋共):6.3cm
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*古伊万里ギャラリー108 柿右衛門様式色絵花文蓋物 (平成19年3月1日登載)
この蓋物は、東南アジア方面に輸出されたもののようである。
「古伊万里ギャラリー107 古九谷様式染付四方割花文蓋物」を手に入れてから、今度は、是非、色絵の蓋物も欲しいと思ったが、なかなかその思いにまかせないでいた。5年後の平成4年になって、やっと気に入った色絵の蓋物を見つけることが出来たのである。
資金が潤沢ならば、すぐにでも手に入るのであろうが、わずかばかりのお金で気に入った物を求めるとなるとなかなか思うようにならないものである。
もっとも、やっと見つけたこの色絵の蓋物ではあるが、蓋に描かれた花文が、時の経過のわりには鮮やか過ぎるなと思っている。後世になってから追加の後絵がなされたのか、或いは特殊な塗料で追加の加彩がなされているのかもしれない。仮にそうであったにしても、当時の面影を比較的に忠実に再現しようとしてやった行為なのであろう、いわば修復行為なのであろうと善意に解釈している。
江戸時代前期 蓋径:11.2cm 高さ(蓋共):6.4cm
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<追記>
「染付 四方割花文 蓋物 」と「色絵 花文 蓋物」の紹介は以上のとおりですが、上の「古伊万里バカ日誌46 蓋物二題」の中の文章の中にありますように、柿右衛門様式と古九谷様式の区分には難しいものがあります。
かつては、「古伊万里」と「柿右衛門」と「古九谷」は、それぞれ別物として扱われ、研究が進むにつれ、「柿右衛門」も「古九谷」も「古伊万里」の中に組み込まれるようになりました。
その過程で、混乱を避ける意味もあって、従来の「柿右衛門」は「柿右衛門様式」の古伊万里と呼び、従来の「古九谷」は「古九谷様式」の古伊万里と呼んで区分するようになったわけです。
しかし、現実には、上記しましたように、柿右衛門様式と古九谷様式の区分には難しいものがあるわけです。
それで、私としては、もう、柿右衛門も古九谷も、古伊万里の中に組み入れられて久しいわけですから、今更、様式区分をする必要はないのではないかと考えるようになりました。
そのため、年が改まったこの1月から、基本的には様式区分をしないことといたしました。