今回は、「色絵 桜文 小皿(一対)」の紹介です。
表面(一対)
裏面(一対)
表面(代表の1枚)
裏面(代表の1枚)
生 産 地: 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;15.7cm 高さ;3.3cm 底径;7.2cm
この小皿につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しておりますので、次に、その紹介文を引用し、この小皿の紹介に代えさせていただきます。
===============================
<古伊万里への誘い>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*古伊万里ギャラリー85 古伊万里様式色絵桜文小皿 (平成17年4月1日登載)
このお皿には、いろいろと感心させられたり、びっくりさせられたりする。
まず、この赤の色に驚かされる。古九谷様式の渋みのある重い赤でもなく、柿右衛門様式の明るい軽快な赤でもなく、後期の派手なペンキ赤でもない。むしろ、それらを全部混ぜ合わせたような赤である。それでいて、強烈なのである。外周の全面を塗らないで1/3 ぐらいを残してあるので余計にそう感じられるのだろうか。そうであるとするなら、なかなかの演出だ!
そして、赤の中に描かれているものにも驚かされる。私は、一瞬、唐辛子が描かれているのかと思ってしまった。赤が唐辛子みたいな色なので、目の錯覚でそう見えたのだ。よく見ると、どうやら桜の葉っぱが描いてあるらしい。このお皿の中心が桜の花だから、周りに葉っぱを描けばちょうど合う。よ~く考えれば、もっともであり、驚くにはあたらないのである。
それに、中心に桜の花を抽象化して描き、外周には葉っぱと花を散らし、口縁は輪花にしている。全体として見れば、なるほど、桜を意識して作ってるんだなと感心する。
ところで、このお皿は、口縁から中心に向かってだんだん厚くして作られているので、見た目よりも手取りは重くなっている。また、高台も高く削り出されていて、けっこうそこそこの貫禄を感じさせる。
江戸時代中期 口径:15.7cm
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*古伊万里バカ日誌25 古伊万里との対話(サクラ文の小皿)(平成17年3月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
サクラ (古伊万里様式色絵桜文小皿)
口径:15.7cm | (裏面) |
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今回のアップが4月1日であることに思いをいたし、4月ならば何をおいても「桜」であろうと考えたようである。
しかし、そうはいっても、主人のところはなにせ貧庫! 首尾よく「桜」を取り出せるだろうか。
主人:「桜」を描いた古伊万里なんか、いくらでもあると思ってたが、実際に捜してみると苦労したね。幔幕を張って花見でもしているところを描いた大皿でもあれば文句なしなんだが、あいにくと、そのようなものは持合せていなかったのでね。
改めて見てみると、実際には、「梅」を描いたものが多いね。「松・竹・梅」との関係で多いのだろう。それで、これは「桜」かなと思ってよく見ると「梅」みたいに見えるしね。「梅」と「桜」の違いは、意外に難しいよ。ちょっと苦労したな。結局はお前に出てもらうことにしたんだ。お前はどうやら「桜」に見えるようだし、お前を見れば、皆さん「桜」を思い浮かべてくれるだろうよ。
サクラ:あらっ、それじゃ私は、お客を騙す「サクラ」みたいなものじゃないですか!
主人:まあ、そういうな。「桜」を連想させる「サクラ」なんだ。立派な「サクラ」だろう。(どうも主人は、自分で何を言ってるのかわからなくなったようだ!)
ところで、お前は変わってるね~。中心に「桜」の花を抽象化して描いたかと思うと、周辺には葉っぱが具象化して描いてある。それも、葉っぱと思って見ないと葉っぱとは思えない。一見すると「唐辛子」でも描いてあるのかと思うよ。
サクラ:「唐辛子」はないでしょう! それじゃ、めちゃくちゃになってしまいますよ。
主人:いやいや、そうでもないな。伊万里の場合は、「色」なんか自由に選択してるものね。必ずしも現実の「色」を使っているわけではない。例えば、木の幹の色だって、紫色にしたり黄色にしたりと、自由自在さ。それに、物の取り合わせだって、あまり関連なく行っているね。だから、「桜」に「唐辛子」を取り合わせたって、ひとつもおかしくないのさ。
サクラ:そんなものですか。
でも、どうしてそんなに自由な発想で作られたんでしょうね。陶工さん達の感性が素晴らしかったからでしょうか。
主人:まあ、そうかもしれないな。
ところで、今まで、普通に「陶工」と言ってるんだけどね、理屈っぽいようだけど、最近、私は、「陶工」というのはどのような立場の者を言うのかな~と考えてるんだよ。
「陶工」は、あくまでも雇用された一(いち)職人にすぎないと思うんだよね。そのような立場の者にそれ程のリーダーシップがあったとは思えないんだよ。今でこそ、「陶工」というと独立した作家みたいなイメージを抱くけどね。私は、むしろ、窯の経営にたずさわっていた者やそこのブレーンの感性、また、その窯の製品を取次ぐ商人の感性が製品製作に大きく左右していたと思うんだよ。
彼等は市場に敏感で、お客の要求などをいち早く察知し、それを「陶工」(職人)に伝えて作らせたのではないかと思うんだよね。
彼等は、また、マーケッティングにも優れていたし、優秀なデザイナーでもあったのではないかと思うんだよね。
サクラ:その辺は、いまのところはっきりしておりませんね。
主人:そうなんだ。チラチラは書かれているが、本格的に書かれているものは見ないな。「美」とはあまり関係がないから、本格的に取り組む者がいないのかな。その辺を整理してもらえると、誰が古伊万里の「美」の面での中心人物だったのかがわかるんだけどな~。もっとも、私の勉強不足で、もう既にそのようなものがちゃんと整理されているのかもしれないけれど・・・・・。
サクラ:そうですね。でも、それは地味な作業になりますね。それに、そのような作業をしてみようなどと思うお方も少ないのではないでしょうか。だって、ご主人様くらいかもしれませんよ、そんなことに関心を寄せられる方は。作業の割には報われないことになりますもの。
主人:そうかな~。
それにね、実際の生産工程の現場でだって、たった一人の人間がすべてを行っていたわけではないと思うんだよね。ヨーロッパなんかそうだろう。例えば、ミケランジェロなんか、いわば「ミケランジェロ工房」みたいなのを作って、そこの親方みたいな感じで作業しているだろう。日本だって同じだと思うんだよね。たった一人の人間の能力には限りがあるもの。
これからは、そういう視点からも光が当てられるべきだと思うんだよ。「工芸」の場合は、ちょっと、「絵画」の場合なんかとは違うと思うんだよね。
サクラ:いや~、今日は我らが「親方様」は大いに論じますね~~。だいぶ、お花見のお酒が利いてきたのでしょうか?
主人:そうかもしれないな。どうだサクラ、この際、「サクラ」になって、その辺の検討をリードしては!
追記:最近、「余白の美 酒井田柿右衛門」という本が出ました(14代酒井田柿右衛門著 集英社 2004年11月22日第1刷発行 798円)。
この本の中に、柿右衛門窯「工房」のことが書かれています。
実際に生産に携わっている方が書いたものですので、大変に参考になります。
いろんな技術を持つ職人の存在、それらを集約していく者の存在等が書かれています。このようなことは、今まで、あまり書かれていなかったのではないでしょうか。
上記の「古伊万里との対話(サクラ文の小皿)」を書いた後に、偶然、この本を読みました。タイムリーにも、上記の主人の抱いているような疑問に相当程度答えている部分があることを発見しました。