Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

印判手 ぐい呑

2021年02月18日 17時12分02秒 | 古伊万里

 ここのところ、輸出伊万里を巡って展開された壮大な東西交流の実態を紹介してきましたが、今回は、一転して、国内向け伊万里の紹介となります。

 今回紹介するものは、これまでとは正反対の、気宇極小の「印判手 ぐい呑」の紹介となります(笑)。

 この印判手は、印判手の中では、型紙摺り印判手と言われるもので、元禄頃から始められた技法のようです。

 

 

正面(仮定)

 

 

正面から約60度右に回転させた面

 

 

正面から約90度左に回転させた面

本来ならば、正面と同じような文様になるわけですが、ズレてきてしまって、

白の多い文様面が狭くなってしまっています。

いい加減な印判の押し方です(><)

もっとも、こんな所が、印判の面白さなのかもしれません(^_^)

 

 

見込み面

 

 

底面

「西村」という墨書きがあります。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田? 美濃or会津

製作年代: 江戸時代中期 明治時代

サ イ ズ : 口径;5.6cm  高さ;4.3cm  底径;2.9cm

 

 

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追記 (令和3年2月19日)

 これをインスタグラムで紹介しましたところ、そば猪口の権威でありますechizenyaheitaさん(越前屋平太さん)から、「これは、明治時代の美濃か会津あたりの印判猪口だと思います」とのコメントが寄せられました。

 私は、印判に詳しくありません(><)

 そのとおりかもしれません。

 それで、この「ぐい呑」の生産地と製作年代を変更いたします。

 echizenyaheitaさん(越前屋平太さん)、コメントをありがとうございました(^-^*)


ヨーロッパ製 古伊万里写 色絵 花束文 中皿

2021年02月17日 15時06分49秒 | その他の古陶磁

 ここのところ、ヨーロッパの「古伊万里写」や中国の「古伊万里写」の紹介を続けていますが、今回は、そのうちの7点目の紹介で、「ヨーロッパ製 古伊万里写 色絵 花束文 中皿」の紹介となります。

 なお、このシリーズも、在庫が底をついてきましたので、今回で終了とさせていただきます(~_~;)

 ところで、この中皿は、平成26年に、田舎の骨董市で見つけたものです。何故、この中皿を買ったかといいますと、先日(2021年2月11日)紹介しました、私が昭和63年にルーブル美術館近くの古美術店から買ってきた「ヨーロッパ製 古伊万里写 花文 大皿」と良く似ていたからです。(:2枚の皿は、その大きさは殆ど同じなのに、一方を「大皿」と言ってみたり、片方を「中皿」と言ってみたりとバラバラな言い方で、混乱を招いて申し訳ありません。これらを「大皿」に区分すべきか、「中皿」と区分すべきかの境目だろうと思います。両者の大きさはほぼ同じと考えてください。)

 ちなみに、昭和63年にルーブル美術館近くの古美術店から買ってきた大皿の写真を、次に、再度掲載いたします。

 

 

ヨーロッパ製 古伊万里写 花文 大皿

(昭和63年にルーブル美術館近くの古美術店で購入)

表面(口径:23.4cm)

 

 

裏面(高台径:13.4cm)

 

 

 

 また、平成26年に、田舎の骨董市で見つけた中皿というものは、次のようなものです。

 

ヨーロッパ製 古伊万里写 色絵 花束文 中皿

(平成26年に田舎の骨董市で購入)

表面(口径:22.9cm)

 

 

裏面(高台径:13.1cm)

 

 

 上の両者を見ますと、良く似ていますよね。特に、裏面が似ていると思います。そんなことで、興味を抱き、この「ヨーロッパ製 古伊万里写 色絵 花束文 中皿」を買うに至ったわけです。

 もっとも、買うには買ったんですが、買ってきて直ぐ、どうも、この中皿には違和感を覚えるようになりました(~_~;) 「この中皿には、何か工作がしてあるのではないか?」と、、、。

 それで、「この皿の化けの皮を剥がしてやるか!」と思いたち、さっそく、化けの皮剥がしの作業に取りかかりました。

 そのことにつきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中の「古伊万里日々雑感」に記したところですが、次に、それを転載いたします。

 

 

 

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*古伊万里日々雑感 化けの皮を剥がす! ( 平成26年7月25日:金) 

 

 先日の20日、骨董市で「18世紀頃に作られたと思われる、中国製とおぼしき「色絵草花文中皿」の古伊万里写し」(:これを買った平成26年7月20日の時点では、ヨーロッパ製ではなく、中国製と思っていたようです(~_~;))を買ってきたことを記したところです。そして、その当日のことについて、

 

 でも、この中国製の古伊万里写し、なんか違和感を感じたんです!
 表面がカセた感じになってるんですが、ちょっとカセ過ぎという感じでしたから(~_~;)
 家に帰ってから、ゴシゴシとスポンジで洗っていましたら、かなり汚れが落ち、カセた感じも少なくなってきたんですが、2ヶ所ほど、ソゲが出現してきました(><)
 ソゲ疵を補修し、その疵痕を隠すために、何かの処置をしたんですね!
 そこで、更にゴシゴシと洗っていましたら、全体に透明ニスのようなものを塗ってあることがわかりました(><)
 一部、ニスの下から、元の地肌が見えてきましたが、今は、水の中に浸してありますので、全貌は見えません。
 無疵に見せるために小細工を弄したんでしょうけれど、疵は疵として、本当の姿を見せるべきでしょうね。
 幸い、それほどの高値で買ってはいませんので、ショックは受けていませんが、疵を直し、その疵をニスのようなものを塗布して隠し、無疵にみせかけ、しかも表面をカセさせて古く見せて売ろうという売り方に悪意を感じ、ちょっと腹が立ちますね(><)
 今日売っていた業者さんは、多分、そのような事情を知らないで売っていたのでしょうから、今日の業者さんを責めることは出来ませんが、最初に、そのような工作をした者に腹が立ちました。
 今は水の中ですが、数日後、全体を覆っているニスのようなものが剥れると、どのような姿が出現するのか、楽しみです(*^。^*)

 

と、記したところです。 

 ところで、実物の写真は、次のようなもので、かなりカセはあるものの、しっかりと時代を感じさせます。
 しかし、上に記しましたように、これは、古伊万里ではなく、釉薬の色、高台から見える土の感じ、高台の削り方などから判断して、18世紀頃に作られた中国製の古伊万里写しかな、と思いました。又は、18世紀頃にヨーロッパで作られた古伊万里写しかな、と思いました(~_~;)

口径:22.9cm  高台径:13.1cm
口縁の上部をカッターナイフで少し削ってみましたら、ソゲのようなものが出現しました。
 

 その裏面は次のようなものです。

口縁の上部に白く見える部分は、当初、欠けた部分を補修するために埋められた補修部材かと思いました。
夜だったために良く見えなかったせいもありますが、それが地肌だったんですね(@_@;)
全面的に塗料で塗り埋められていたんです!
すっかり騙されました!
見事な補修です! 

 

 買ってきた当日の作業はそれまでにして、水の中に浸けました。

 

<作業2日目>

 翌日は、所用があり、剥離作業に取り掛かれませんでしたが、翌々日、さっそく、カッターナイフの尖端を使って慎重に塗料剥がしにとりかかりました。

 ところが、補修作業が実に丁寧に、上手にされていて、しっかりしており、なかなか刃がたたず、化けの皮を剥がす作業がはかどりません(><)

 こんなにしっかり、上手に補修しているんだけれど、いったい何のためにこれほどまでに念入りに補修をしたのかと、興味が湧いてきます(^O^)

 多分、割れたので、それを接着し、その割れた部分を隠すためにしたのだろう、との予測をたててみましたが、果たして、それだけのために、こんなに大掛かりに補修するのだろうかと、ますます興味が湧いてきます(^O^)

 だって、そんなに大きなお皿ではないし(口径22.9cm)、かなりの使用擦れがあり、保存状態も悪く、真ん中の花の赤色も相当に擦れています。無疵だとしても、それほどの値段ではないはずで、こんな念入りな補修作業をしたのでは、補修代の方が高く付きそうだからです(~_~;)
 名品にならば、これだけの補修代を掛けてもペイするかもしれませんが、、、、、?

 それはともかく、なかなか刃がたたないんですが、裏面で、少し剥がし易い所を見つけましたので、そこを攻めていきましたが、ニューはまだ顔を出しません(><)


 

 それならばと、今度は表面の剥がし易い所から攻めたてます。
 遂に、ニューが現れてきました!

右上に遂にニューが出現!
  

 ニューが出現しましたが、その代り、その左側の花の赤やその下の青の一部、それと中帯部に描かれた赤の一部が消えてしまいました(><)

 ここまで剥がすまでに、相当の時間がかかりました(><)
 疲れてもきましたので、作業中断です。
 また水の中へ!

 

<作業3日目>

 次の日も、合間をみて剥離作業に取り掛かります。

 前日に引き続いて、ニューのあとを追いかけます。


 

 ニューを追いかけていきましたら、中帯部に描かれた赤が更に随分と消えてしまいました(><)

 ニューを隠すにあたり、ニューの周辺部をサンドペーパーのようなもので根気よく削り、その上に塗料を塗り、その塗料の上に、サンドペーパーのようなもので削り取られてしまった赤などの色を補充し、更に、その上にパラフィン液を塗ってカセた色に仕上げていることがわかりました。

 また、更に、ニューを追いかけます。
 驚いたことに、今度は、消えていた赤が出現です!
 また、次の写真には写っていませんが、消えていた染付の一部も出現してきました(@_@;)

 というところで、どうやら、この補修は、割れを隠すためになされたものであることを知り、その日の作業を終りにしました。
 また、水の中へ!

 

<作業4日目>

 水の威力は凄いです!
 ほんのちょっとした隙間から水が浸み込み、塗料が剥がれ易くなりました(*^。^*)
 俄然、作業がはかどります。
 当初、なかなか刃がたたず、この分では10日くらいかかるだろうと思いましたが、間もなく終わりそうです(*^。^*)

 遂に、表面の剥離作業が終わりました。

 予想どおり、割れを隠すために補修を施したことがわかりました(*^。^*)


 

 表面の剥離作業が終わったところで、その日の作業は終了としました。
 裏面に、それ以外の大きな隠れた疵が存在しないことを祈りながら、、、、、。

 

<作業5日目>

 いよいよ、裏面の剥離作業の開始です! 

 俄然、剥がし易くなりました。
 カッターナイフの尖端を入れると、パリパリと、剥れていきます(*^。^*)

左上にあるのは、薄皮のように剥れたもの。
 

 剥がれ落ちた塗料部分から、高台の畳付き部分の黒っぽい汚れまで再現されていたことがわかります。
 実に補修の芸が細かいですね!


 

 また、高台の内側まで、塗料が塗られていたことがわかります。
 これでは、高台削りの技法も判らなくしていますね。


 

 高台周りも塗料が塗られ、土の本当の色が判らず、高台削りの技法の特徴もわからず、これでは、伊万里とは見えず、中国製かヨーロッパ製と間違えるはずですね(><)

 やっと、裏面の全貌が見えました。
 やはり、裏面からみても、割れを隠すための補修だったことがわかりました(*^。^*)


 

 

 

<作業を終えて>

 結局、このお皿の真の姿は次のようなものであったことがわかりました。

表面
最初、中央部には何が描かれていたのか、よくわかりませんでした。
剥離作業の結果、これまで隠れいた色が出現し、花束文が描かれていたことがわかりました。
 
裏面
 

 以上が、この皿の全貌で、古伊万里色絵花束文中皿(染付に赤と金彩を施したもの。金彩はほとんど剥げ落ちています)であることがわかりました。

 しかし、上でも記しましたが、このような、名品でもなく、ヨーロッパの貴族に日常使われていたようなごくありふれた古伊万里に、何故このように立派な補修をしたのかの疑問が起こります(~_~;)

 それについたは、先日の20日に、このお皿について、ちょっと取り上げた際、或る方から、

 

 古伊万里の消費地は欧州だったし、イギリスには美術品の修復課程を学ぶ王立の学校があるそうです。
 実用本位では無く、見た目の復元を目的としているようで、案外、教材などに使用されたものが流出したとも考えられます。  

 

との趣旨のコメントが寄せられました。 

 このコメントに接し、「なるほど~」と納得した次第です。
 世の中には博識な方がいらっしゃるな~と感心しました(*^。^*)

 

 

: この記事の終り頃になって、何時の間にか、この中皿を本歌の古伊万里としています(__;)  この中皿を、本歌の古伊万里と見るか、ヨーロッパ写しと見るか、はたまた、中国写しと見るかは、現実にはなかなか難しいことを白状いたします(><)

 

 

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*古伊万里日々雑感 続・化けの皮を剥がす!  (平成26年7月26日:土)

 昨日、「化けの皮を剥がす!」という記事をアップしましたら、多くの貴重なコメントが寄せられました(*^。^*)

 それで、せっかくいただいた貴重なコメントですので、その貴重なご意見を記録に残す目的も含め、昨日の記事とは別項目にしてまとめてみました。

 

 先ず、話しの突端は、これと良く似たお皿を今年の3月11日に古伊万里日々雑感の「フランス旅行」という項目の中で紹介したことです。

25年前にフランスで買ったお皿(表)(口径:23.4cm)
 
25年前にフランスで買ったお皿(裏)(高台径:13.4cm)

 このお皿は、私が、25年ほど前(:平成26年の時点から計算して)、フランスに行った際、ルーブル美術館の近くの立派な古美術店で「古伊万里」として買ってきたものです。
 しかし、その後、自分としては、18世紀のヨーロッパ写しの「古伊万里」ではないかと思うようになり、がっかりしました。
 もっとも、今では、18世紀のヨーロッパ写しの「古伊万里」の方が貴重であり、本物の「古伊万里」よりは価値が高いかもしれませんね(~_~;)

 そんなことで、今年の3月11日の「フランス旅行」の中では、そのお皿を、18世紀のヨーロッパ写しの「古伊万里」として紹介したところです。

 ところが、それに対して、或る方から、そのお皿は中国・清朝の古伊万里写しではないだろうかとのコメントをいただいたところです。
 私も、不勉強で、その後も、その辺をよく調べていませんでしたので、自信がなく、「そう言われればそうかもしれないな~」と思ったところです(-_-;)

 そんなこともあって、先日の20日に、骨董市でこれに似たお皿に遭遇したとき、「18世紀に中国で作られた古伊万里写しかな!」と思うようになっていたわけですね(~_~;)

先日の20日に骨董市で買ってきたお皿(表)(口径:22.9cm)
 
先日の20日に骨董市で買ってきたお皿(裏)(高台径:13.1cm)
 

 両方のお皿は良く似ていますよね!


 ただ、3月の時点で、この種のお皿は「中国・清朝の古伊万里写しではないだろうか」とのコメントをいただいていたので、これは、18世紀の中国写しの「古伊万里」なのかな~と思うようになっていたところですが、その後、やはり、これは、18世紀のヨーロッパ写しの「古伊万里」ではないのかな~とも思うようにもなっていて、迷ってもいました。

 ところが、剥離作業をしていましたら、膜で覆われてカセていたのが、剥離するに従い、綺麗で鮮やかな地肌と文様が浮き上がってきましたし、特に、高台の剥離作業をしていましたら、高台の削り方や土の色が古伊万里のように見えてきましたので、やっぱり、本物の古伊万里だったのかな~と思うようになってきたんです。

 

高台内の補修跡
 

 

 それで、昨日は、最終的には、このお皿は、古伊万里であろうということにしてアップしたわけです。

 まったく定見がなく、「ああ言われれば、そう。 こうと言われれば、そう」という有様です(><)

 今の所、これを中国製というコメントはないんですが、私の、最終的な結論の「古伊万里」という見解に賛同してくれる方も現れました。

 でも、結局は、ヨーロッパ製の古伊万里写しとする見解の方が多く、中でも、ヨーロッパに実際に行き、18世紀のヨーロッパ製の古伊万里写しを多く実見してきた方のコメントには説得力を感じました(*^。^*)

 やはり、私が、長年思ってきたように、この手のお皿は、18世紀のヨーロッパ製の古伊万里写しなのかもしれませんね(~_~;)

 これから、更に解明されますことを期待したいと思います(*^。^*)

 

 次に、昨日の記事の写真とダブりますが、先日の20日に買ってきて、補修を剥離させた後のお皿をアップします。

 こうして見ますと、両者は、実に、良く似ていますよね! 

先日の20日に骨董市で買ってきたお皿(表)(剥離作業後のもの)
 
先日の20日に骨董市で買ってきたお皿(裏)(剥離作業後のもの)

 

 

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 以上に見てきましたように、このお皿を、本歌の古伊万里と見るのか、ヨーロッパ写しと見るのか、はたまた、中国写しと見るのかは、現実には難しいものがあります。

 最終的にはヨーロッパ写しと結論付けていますが、これも謝っているかもわかりません(><)

 まだまだ、勉強の足りなさ、修行の足りなさを痛感しております(~_~;)


ヨーロッパ製 柿右衛門写 色絵 花鳥文 小皿

2021年02月15日 15時24分05秒 | その他の古陶磁

 ここのところ、ヨーロッパの「古伊万里写」や中国の「古伊万里写」の紹介を続けていますが、今回は、そのうちの6点目の紹介で、前回同様、ドイツのマイセン窯で作られた小皿の紹介となります。

 前回、ヨーロッパの「古伊万里写」とか中国の「古伊万里写」の物を勉強するためには、どうしても、ドイツのマイセン窯で作られた物を収集して勉強しなければならないことを書いたところです。

 ところが、なにせ、古いマイセンのものは、本歌の古伊万里よりも数が少なく、また、値段も高いものですから、なかなか手に入りません(><)

 前回紹介しました「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」は、平成2年に東京で見つけたものですが、ちょっと、年代が若く、教材とするには適当ではありませんでした(~_~;)

 今回紹介します「ヨーロッパ製 柿右衛門写 色絵 花鳥文 小皿」は、偶然にも、平成13年に、或る地方都市の市民会館内で行われていた小規模な古美術品展示即売会で出会ったものです。

 物との出会いというものは、何処で巡り会うか分かりませんね! また、「骨董は足」という言葉にも納得です(^-^*)

 その「ヨーロッパ製 柿右衛門写 色絵 花鳥文 小皿」というものは、次のようなものです。まだマイセン窯の窯印も入っていないもので、マイセンの初期の頃のものと思われ、柿右衛門様式を一生懸命に写していたことが伺えます。それは、また、前回紹介しました、

 

「1680~90年代にピークを迎えた柿右衛門様式は、1700年の声を聞いた前後になると、作風展開が停滞するようになる。峠を越えたのである。1710年ごろになり、ドイツのザクセン選帝侯であり、神聖ローマ帝国ポーランド王を兼ねたアウグスト強王は、柿右衛門様式を愛するあまり、マイセン窯の陶工ヨハン・ベットガー(1682~1719)に命じて、白磁の創始に成功する。この余勢を駆って、1720年前後には、手本とも見紛うほどの素晴らしい柿右衛門様式の色絵磁器の倣製品をつくりあげたのである。その出来ばえはまことに見事であったから、名声はヨーロッパの諸国に広まり、柿右衛門様式は各地の窯で写されることになった。」(「世界をときめかした伊万里焼」(矢部良明著 角川書店 平成12年初版発行)P.84 )

 

という文章を彷彿とさせますし、ヨーロッパの「古伊万里写」を学ぶ教材に相応しいものと思われます。

 

 

表面

 

 

見込み面の拡大

 本歌の柿右衛門様式の場合は、花は、普通、梅、椿、牡丹、菊等が描かれますが、これは何の花なのか分かりません。洋風の花に置き換えているのでしょうか? そんなところから、これが柿右衛門写しであることが分かります。

 

 

裏面

 

 高台内には、窯印がありません。前回、

「マイセンは、当初は、ライバルもなく、窯印もありませんでしたが、マイセンの名声がヨーロッパの諸国に広まり、マイセンに続けとばかりにヨーロッパの各地の窯が台頭してきますと、作品に窯印を入れて、そのオリジナル性を主張するようになります。」

と書きましたように、窯印がないということは、この作品が、マイセンの初期のものであることを示していると言えるか思います。

 

 

生 産  地 : ドイツ・マイセン

製作年代: 18世紀前半

サ イ ズ : 口径;15.7cm  高さ;2.3cm  底径;9.4cm


ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿

2021年02月14日 18時37分38秒 | その他の古陶磁

 ここのところ、古伊万里の勉強のためにこれまでに集めてきたヨーロッパの「古伊万里写」や中国の「古伊万里写」の紹介を続けていますが、今回は、そのうちの5点目の、ドイツのマイセン窯で作られた「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」の紹介となります。

 ヨーロッパの「古伊万里写」とか中国の「古伊万里写」の物を勉強するとなると、どうしても、ドイツのマイセン窯で作られた物を収集して勉強しなければなりません(~_~;)

 ところが、これ、本歌の古伊万里よりも数が少なく、また、値段も高いんです(><)

 本歌の古伊万里よりも少なく、値段的にも高い物を買ってきて古伊万里の勉強をするというのは、本来は、本末転倒というものですね(><)

 それはともかく、古伊万里の勉強のために、何故、マイセン窯で作られたものを学ぶ必要があるかといいますと、次のような事情があるからです。

 

「1680~90年代にピークを迎えた柿右衛門様式は、1700年の声を聞いた前後になると、作風展開が停滞するようになる。峠を越えたのである。1710年ごろになり、ドイツのザクセン選帝侯であり、神聖ローマ帝国ポーランド王を兼ねたアウグスト強王は、柿右衛門様式を愛するあまり、マイセン窯の陶工ヨハン・ベットガー(1682~1719)に命じて、白磁の創始に成功する。この余勢を駆って、1720年前後には、手本とも見紛うほどの素晴らしい柿右衛門様式の色絵磁器の倣製品をつくりあげたのである。その出来ばえはまことに見事であったから、名声はヨーロッパの諸国に広まり、柿右衛門様式は各地の窯で写されることになった。」(「世界をときめかした伊万里焼」(矢部良明著 角川書店 平成12年初版発行)P.84 )

 

 つまり、マイセンは、ヨーロッパ最古の磁器窯であり、また、ヨーロッパ最大の窯だったからです。そして、マイセンから、ヨーロッパ全土に古伊万里写しが波及していったとも言えるからです。ですから、ヨーロッパの「古伊万里写」を学ぶには、マイセンで焼かれた物を教材として学ぶのが早道だからです。

 ただ、今回紹介します「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」は、マイセンの初期の頃に作られたものではありません(><) かなり後になって作られたものであることが分かります(~_~;) したがって、良い教材とは言えないかもしれません(~_~;)

 マイセンは、当初は、ライバルもなく、窯印もありませんでしたが、マイセンの名声がヨーロッパの諸国に広まり、マイセンに続けとばかりにヨーロッパの各地の窯が台頭してきますと、作品に窯印を入れて、そのオリジナル性を主張するようになります。

 その窯印にもいろいろとあり、また、時代とともに変貌を遂げていますが、その代表的なものは、双剣マークでしょう。双剣マークの形から、作られた年代のおおよそが分かるようです。

 この「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」の双剣マークから、この小皿は、1825~1850年頃に作られたものであることが分かるようです。

 その「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」というものは、次のようなものですが、その写真からも分かりますように、ここでは、既に、もう、柿右衛門写し、古伊万里写しというものではなくなっているように感じます。古伊万里をすっかり吸収し、「マイセン様式」とも言える新たな独自なものに変貌しているように思います。

 

 

表面

右側斜め下の傷(3時から6時にかけての傷)は、2011年の東日本大震災で被災した時に出来たものです(~_~;) 大・小の2片に割れたものを、私が接着剤で貼り付けました。

 

 

裏面

 

 

高台内に描かれた「双剣マーク」の拡大

双剣マークの中でも最もいい加減な描き方のマークの一つで、「偽物?」と思われるようなマークですが、1825~1850年頃に多く描かれているようです。

 

 

生 産  地: ドイツ・マイセン

製作年代: 1825~1850年頃

サ  イズ : 口径;11.4×10.6cm  高さ;2.5cm  底径;5.6cm 


ヨーロッパ製 古伊万里写 染錦 家と樹木文 中皿

2021年02月13日 18時20分31秒 | その他の古陶磁

 ここのところ、古伊万里の勉強のためにこれまでに集めたヨーロッパの「古伊万里写」や中国の「古伊万里写」の紹介を続けていますが、今回は、そのうちの4点目の紹介で、「ヨーロッパ製 古伊万里写 染錦 家と樹木文 中皿」の紹介です。

 これは、前回紹介しました「中国製 古伊万里写 染錦 楼閣樹木文 中皿」とともに、平成元年に、同じ場所の東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」会場から買ってきたものです。古いことなもので記憶が定かではありませんが、多分、売っていた業者さんは異なっていたと思います。

 業者さんは、これをロンドンで仕入れてきたということですが、これが作られたのは日本ではなく、日本で作られた古伊万里をヨーロッパで写したものでしょう。

 針金を使って壁掛けになるように工作を加えていて、外観から見ますと、あたかも、東洋から招来されたものを洋風に使用していたかのような印象を与えますが、皿に描かれた文様の調子、高台作り、素地などから判断して、これはヨーロッパ製の古伊万里写しであろうと思います。

 

 

表面

文様の調子が、なんとなくヨーロッパ風です。

 

 

見込み面の拡大

 

 

 

縁文様(1)

このような文様が外周に4箇所描かれています。

 

 

縁文様(2)

縁文様(1)とは少し異なりますが、このような文様が外周に4箇所描かれています。

 

 

裏面

針金を使って壁掛けになるように工作を加えています。

 

 

針金工作部分の拡大(1)

高台作り、素地などが古伊万里とは異なるように思われます。

 

 

針金工作部分の拡大(2)

高台作り、素地などが古伊万里とは異なるように思われます。

 

 

生 産  地: ヨーロッパ

製作年代: 18世紀

サ イ  ズ: 口径;22.7cm  高さ;2.7cm  底径;13.3cm