不況、そして雇用問題を考える

2009-03-28 04:12:35 | 不況・雇用問題
朝起きたら一面の銀世界でした。桜が咲くかというこの時期の思わぬ降雪にびっくりしました。雪の中、朝一番で妻を東部湯の丸ICに送りました。妻は今日から友人と能登のあの有名な加賀屋に泊まりに行き2日間留守になります。

夕方、中央公民館で勉強会がありました。講師は私。憲法連続講座の第一回として「不況・雇用問題の本質を探る!」と題して、この10年間企業は何を考え、どのように行動したのかお話しました。資料作りのため午前中からデータ集めと資料の読み込みを行いました。現在の不況、そして派遣切りなどの雇用問題がなぜ起きたのか過去10年前にさかのぼって考えました。

バブルが崩壊してからの10年間を「失われた10年」と言います。この間景気は低迷し、不良債権問題が噴出。それが金融危機まで発展し、日本を代表するような金融機関や証券会社、大企業が次々と破綻して行きました。そんな中でこの経済危機をどのようにして脱却するのかが大きな課題でした。当時3つの過剰、すなわち負債・在庫・雇用の過剰の克服が課題でした。バブルで積みあがった借金、不良在庫、そして人あまりを解消しないと一歩も前に進めませんでした。

長野県の場合、この時期は長野オリンピックを目の前にして、新幹線や高速道路など巨額の公共工事が行われ小バブルに踊った時期でした。当時関東通産局で、東京都ほか甲信越・首都圏の十県の金融機関やシンクタンクの情報交換会がありました。その場で「長野県はいいね」という羨望の声を良く聞きました。しかし、その後長野県でも小バブルがはじけて深刻な不況に見舞われ、土木建設業界は深刻な経営危機に陥りました。

そして派遣労働という働き方が提案され、成果主義人事制度が導入されました。そこで言われたのは「一人ひとりのライフサイクルに合わせた多様な働き方を認めよう」「頑張った人が報われる制度にしよう」ということでした。そうした中で派遣や請負などといった非正規雇用が導入され、定期昇給が見直され賃上げが抑制されました。こうして今日の派遣切りにつながる下地ができて行きました。労働者のニーズに応えるかのようなポーズをとりつつ、いつでも調整できる体制をつくりあげ労働分配率の引き下げを進めてきました。

こうして雇用の過剰を徐々に克服し企業は成長軌道に戻って来ました。反対側に不安定雇用と低賃金という雇用構造を内包したまま。今回の景気回復を辿ってみればわかりますが、GDPの6割近いウェイトを占める個人消費はほとんど増えていません。今回の景気を牽引したのは輸出でした。アメリカ頼み、輸出頼みの景気回復はアメリカがくしゃみをすれば日本は一気に肺炎にかかるという虚弱体質を抱えることになりました。

こうした中でいま求められているのは自らの足で立つ自立的景気回復です。輸出主導ではなく個人消費の拡大に軸足を置いた内需主導の景気回復です。たとえば農業(N)・福祉(H)・環境(K)の3つの分野が有望市場として注目されています。こうしたNHKを大きく進めていく施策が必要だと感じています。

この10年間、成長軌道に戻るために様々な取り組みをしてきました。その時々ではそれが必要欠くべからざる選択であったと思います。しかしそれが本当に日本の未来を考えた場合、正しい選択であったのかあらためて考え直す時期に来ているのだと思います。

一時期「自己責任」という言葉があらゆる場面で使われました。お互いにその責任を追及するようなとげとげしい風潮がありました。それもそんなに前ではありません。しかしいまは「癒し」がテーマになっています。お互いに支えあうこと、認め合うこと、励ましあうことが必要です。これまではなりふり構わず働かなかったら生きてこれませんでした。しかしその結果私たちは幸せになったかと問われれば「?!」と思わざるをえません。そうした矛盾が一気に噴出したのが、この間の派遣切りであり派遣村だったと思います。

私たち自身、そして私自身どうであったのかあらためて振り返ってみたいと思います。


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