私は仲間に生かされている

2009-10-18 00:59:44 | 雑感
17日は妻は高校の同級会で上田にお出かけです。私も妻も団塊の世代です。しかし私は同級会や同窓会に出たのは1回のみ。小・中・高と同級会とはほとんど無縁。毎年同級会や同窓会がある妻の学校生活をうらやましく思うときもあります。

しかしその反動からか大学では濃厚な学生生活を送らせていただきました。今年1月には先輩や同窓生や後輩、そしてゼミで大変お世話になった先生までおいでいただき、励ます会を開催していただきました。ありがたいことだと思っています。久しぶりに懐かしい顔に会うと、学生時代の思い出が走馬灯のようによみがえってきます。

私が大学を受験したのは1969年です。ちょうど大学紛争が激しく東京大学の受験が中止になった年です。東大の歴史の中でも新入生がいないということは初めてと聞いています。だから出身大学はと聞かれると「東大の試験がなかったからね」と言うことにしています。東大とはまったく無縁な大学に入学したので関係はないのですが・・・。

大学時代の友人とは以前は友達の結婚式などで顔を合わすことも多かったのですが、最近は訃報で集まることが多くなりました。この3月にも後輩の追悼の会があり出席してきました。年をとったということでしょうか・・・。

大学を卒業し会社に入り、そこで多くの方々とお知り合いになりました。しかしあくまでも仕事の仲間としてのお付き合いであり、より深く交流するということはありませんでした。しかしそんな中でも特別なお付き合いがあります。その一つに熊谷での仲間がいます。銀行という仕事がら転勤は日常茶飯事、まして同僚はある意味ではライバルです。そんな中で八十二銀行熊谷支店に転勤になりました。私にとって初めての県外支店勤務、たかが田舎の銀行など誰も知りません。激烈な金融機関同士の競争を勝ち抜くには八十二銀行という看板など何の役にも立ちません。自分自身を売り込む以外方法はありませんでした。

熊谷支店時代の5年間で私にとって多くのものを学ぶことができました。その後、出向したコンピュータ会社や長野経済研究所で同じような経験を味わうことができました。そんなことを思うにつけ、自分は仲間の中で生かされていると感じています。

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