本当のことは書かれない

2010-03-11 05:14:28 | 雑感
「雲太、和二、京三」(うんた・わに・きょうさん)という言葉をご存知でしょうか。これは古くから言い習わされてきた言葉で大きな建物を順番に並べたものです。すなわち出雲太郎とは出雲大社のことですね。大和二郎は東大寺大仏殿、京都三郎は平安京大極殿です。この三つの建物が平安時代として最大の建物であり、その中でも出雲大社の本殿が一番巨大であるというものです。しかし実際の出雲大社はそう大きな建物ではありません。言い習わしが誤っていたというのでしょうか。

ところが平成12年(2000年)に出雲大社の工事中に、巨大な3本組の柱が発見されました。世紀の大発見としてマスコミで大々的に報道されました。その後の調査でここに掲げたような高さ40メートルにも及ぶ巨大な神殿があったことが分かってきています。まさに「雲太」の正しさが証明されたのです。

ではなぜ出雲大社が時の権力者の象徴である大内裏の大極殿よりも大きかったのでしょうか。これに対し独特の歴史観を持っている作家の井沢元彦さんは、「怨霊信仰」のなせるわざだと言っています。大和朝廷によって滅ぼされた大国主(おおくにぬし)の鎮魂のためであったというのです。

しかし怨霊信仰なんて歴史のどこにも出てきません。これに対し井沢さんは歴史の真実は残されないと言います。すなわち時の権力者にはばかり文書などで残すことができない。しかし当時の人にとっては「あのこと」といえば誰でも分かっていたのです。歴史を実証的に検証することはとても大切です。しかし証拠がないから事実ではないとすることもあやまちです。歴史のひだに隠された真実を見通す確かな目が必要です。

昨年秋に出雲大社を訪れあらためて「雲太、和二、京三」を思い出しました。

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