25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

陽気な継承

2019年05月01日 | 社会・経済・政治
 人というのはこれほどまでに感応しやすく、夢遊病者のように皇居に出かけ、平成から令和の元号変更時にも、人々は渋谷にくりだし、酒を飲み、騒ぐ。宵越しで踊る人もいる。令和の朝になれば太宰府天満宮には人がいっぱいで、伊勢神宮もいっぱいである。郵便局では記念スタンプ、神社や寺では御朱印状、メディアが作り出した人間の光景をメディアが伝えている。
 基本的には人は自分の行動には理性の部分と感情の部分があり、今日は伊勢まで来たのは「感情が過ぎたかな?」一歩引いてみることも必要である。客観視ができていなけれならない。ただ単なる空気のなかでふわついている行動には自己の決定があるはずだ。

 皇室典範の問題がある。特に皇位継承の問題である。感応が少々は思考というふうに傾いてほしい。
 神話の神武天皇までたどれる男系でると強固に言い立てるその根拠とは何か。それは目には見えない一筋の共同幻想である。人類の先端が追い詰めようとしている観念。これをバラバラにし、出口を見つける。

 昭和天皇の戦争責任が多くの人の口にのぼっていたが逝去なされると、もう天皇の戦争責任はおわれなくなった。しかし、日本との関係が戦争問題や領土問題でぎくしゃくするならば、天皇にが代表となって、中国や韓国を訪問してくれればよい。本来政府の外交の仕事であるのに、天皇の一言である。政治行為だと反発するものがいそうである。こういう人は国内にいて、なんでも反対で、目線を同じようにして話をするしたとしても反対なのだから、それに平成天皇皇后陛下は、この種の反対者には平成の中期以降は敢然とご自分たちの意志で「祈り」「平和」「寄り添い」を組み込んで象徴という概念に定着させた。新天皇はキリッとし、言うべきことは言いそうである。
 元号交代、天皇交代の陽気な騒ぎはいつまで続くのだろう。