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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

村上春樹のお父さん

2019年05月12日 | 文学 思想
 78キロになってきたので、いささか驚いてダイエットを始めた。酒、食事の制限である。こもときに丁度、脊柱管狭窄症のような症状が出て、脚が突っ張り、痛くて前に進めなかった。同時に風邪をひいた。咳で肋骨を傷めた。三重苦であったが、脊柱管狭窄の方は屈伸で床に手をつけるようにするがなかなかつかないので、細君に腰を押してもらったら、手が床につくようになって、それ一発で治ってしまった。ときどき、椅子に座って腰をグイグイ曲げるときに両足首の踝のところを親指と小指で挟みんで、グイグイと圧をかけるのである。岡田さんは立ってやるようにいったのだが、自分でする場合、踝まで手が届かないので、座ってやってみたというわけだ。100回ぐらいグイグイとやる。狭窄したところが拡張するようで気持ちがよい。
 今日、また掃除草刈りとしたが、以前のように元に戻っている。
 肋骨ももう痛みがなくなり、風邪も抜けて行った。
 食欲がなかったから食事の制限もできたのだが、体調がよくなってくると、酒の量も増える。
体重は今日で74、4キロまで減っている。70キロを切るのがとりあえずの目標である。
 不思議なものだ、イヤなことはまとめてやってきた。ひとつひとつ対処していたら、一つずつ、抜けて行った。

 昨日「文藝春秋」を買った。村上春樹が自分の父親について書いた開手記を掲載されていたからだった。父と疎遠となり、20年も会わない関係だったという。父子の関係にかねてから好奇心があったので、昨晩、一気に読んだ。村上春樹のお父さんは三度召集された。ほとんど兵士が死んだような師団にいた。馬を運ぶ役割だったらしい。ひどい時代の青春だった。ぼくには崇高な精神を持ち得た当時の日本人などと、とても八木秀次(麗澤大学教授)のようには言えない。
 チフス、マラリア、餓死で死に、食糧も武器も不足で、戦略もない戦争に行かされたのである。戦争だけはやってはいけない。戦争の扉さえ作ってはいけないと思う。
 ところで、なぜ、村上春樹のお父さんは記録として、あるいは当時を振り返るエッセイとして青春時代の見、聞き、感じ、考えたことをメモにしておかなかったのだろう。歴史をつなぐとはそういうことである。なぜなのだろう。