イオンを出て駐車場までの間、すれ違う初老の男と顔を合わせた。たぶん、目をあわせたのだろうと思う。「じゅんちゃん?」、はて、あっ「あきちゃん?」。58年の歳月が経っているにもかかわらず、パッとわかった。
あきちゃんは尾鷲の中学校にはいかず、大阪の中学校に行った。小学卒業後会うことはなかったが、あきちゃんの母親をよくスーパーで見た。教育熱心な母親だと思っていた。あきちゃんの母親を見なくなって四年。あきちゃんと偶然会った。「互いの58年を話そう」ということになり、三日後の昼「葉っぱがシェフ」というレストランで会おう、ということになった。
3日後、「葉っぱがシェフ」に着き、まだあきちゃんが来ていないので、裏庭を見て廻っていた。中村山の裾を上手に使って、よい借景を作っている。シェフが声をかけてくれた。ぼくにはこの人もまた懐かしい。彼はあきちゃんをよく知っているらしかった。
誰それはどうしている。だれそれとだれそれとだれそれの、お母さんはわれわれ二人の母親と同い年とか、あきちゃん、よくおぼえている。「葉っぱのチーズ」「自家製の生ハム」「縄文焼き鍋」にワイン。生ハムが美味しく、特製のパンも旨かった。
話は弾み、瞬く間に時が経ってしまった。
あきちゃんのお母さんは帰り道を間違えて山の中に入ってしまい、滑落したらしい。捜索をしたが見つからず、7か月経って白骨となって発見されたという。ぼくの母も同じようなことがあった。ふらふらと、何を思ってか北浦の奥地に入ってしまい、その辺の叢に足を取られた。母の場合、運良く、人が近くを通った。それで発見されたのだった。
もうこの年頃になると人の生き死になどに驚きもせず、無情感もない。粛々と人は交替していくだけである。
また会おう、と言ってぼくは尾鷲小学校から下り、彼は泉方面に上ったのだった。
あきちゃんは尾鷲の中学校にはいかず、大阪の中学校に行った。小学卒業後会うことはなかったが、あきちゃんの母親をよくスーパーで見た。教育熱心な母親だと思っていた。あきちゃんの母親を見なくなって四年。あきちゃんと偶然会った。「互いの58年を話そう」ということになり、三日後の昼「葉っぱがシェフ」というレストランで会おう、ということになった。
3日後、「葉っぱがシェフ」に着き、まだあきちゃんが来ていないので、裏庭を見て廻っていた。中村山の裾を上手に使って、よい借景を作っている。シェフが声をかけてくれた。ぼくにはこの人もまた懐かしい。彼はあきちゃんをよく知っているらしかった。
誰それはどうしている。だれそれとだれそれとだれそれの、お母さんはわれわれ二人の母親と同い年とか、あきちゃん、よくおぼえている。「葉っぱのチーズ」「自家製の生ハム」「縄文焼き鍋」にワイン。生ハムが美味しく、特製のパンも旨かった。
話は弾み、瞬く間に時が経ってしまった。
あきちゃんのお母さんは帰り道を間違えて山の中に入ってしまい、滑落したらしい。捜索をしたが見つからず、7か月経って白骨となって発見されたという。ぼくの母も同じようなことがあった。ふらふらと、何を思ってか北浦の奥地に入ってしまい、その辺の叢に足を取られた。母の場合、運良く、人が近くを通った。それで発見されたのだった。
もうこの年頃になると人の生き死になどに驚きもせず、無情感もない。粛々と人は交替していくだけである。
また会おう、と言ってぼくは尾鷲小学校から下り、彼は泉方面に上ったのだった。