25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いつの日か

2019年05月09日 | 社会・経済・政治
 なんだか肌寒い日が続いている。1995年の阪神淡路大震災が起こったあと、オウム真理教の一連の事件が起こった。1997年には神戸で酒鬼薔薇聖斗の児童殺傷事件が起こり、14歳の少年Aが逮捕された。ぼくは会社をダメにし、再起する決意をしようとしていた。あえて平成の時代という括りで言えば、政府の経済政策は自然衰退産業に延命もための資金をつぎ込み、借金を増やさせ、銀行は自由化によって揺らぎ、政府の新規事業策にも両者で大きな乖離があった。債権回収会社が外国からもやってきたのはこの頃である。
 インターネットの普及が一気に進み、資本主義社会では市場原理主義が進み、イスラム原理主義者たちによるテロ事件がアメリカを襲った。
 東日本大震災が起こった。この災害には原子力発電所が破壊されるという歴史上にない大惨事となった。終末処理法がわからないまま原発を作っていたことも世間に明るみとなった。放射能汚染水を貯めたタンクはどこまで広がるのだろう。やがて海に放出するしかなくなるか、放射能そのものを無化してしまう技術ができるのを待つか。熊本でも大地震が起きた。東北、熊本で仮設住宅に暮らす人の数も減らないうちにオリンピックがきてしまう。決まってしまったことにいまさら水を差すな、という言霊崇拝を根にもつ多くの保守論者は、未だに公共工事が経済力に貢献すると思い込んでいる。小泉純一郎首相の時で、この公共工事至上主義は終わったかに見えたが、安部政権で見事に復活した。
 スマートフォン、タブレットの登場で人間の姿勢が変わることになった。これからの人間はストレートネックで悩むことになる。頭痛が持病となるのである。一方で、遠いところでも無料でテレビ電話もできる。静止画も動画も瞬時に送ることができる。メール交換ができる。通信販売ができる。地図が簡単に検索できる。便利この上ないこの道具は通信インフラが背負っている。5Gとなればますます便利になる。これらのことは30年もしない間に起こったことだ、

 その技術の変化に比べてホモ・サピエンスが岐れかかっているように見える。あいも変わらず宗教戦争(これは国家間の戦争も同じである)があり、宗教テロがあり、民族間対立が未だにある。人間の進歩と科学の進歩とは歩調を合わせていないように思える。強固な共同幻想がホモ・サピエンスを滅ぼすのである。観念を替えないとホモ・サピエンスは滅ぶのである。
 ホモ・サピエンスはいつの日か宗教を捨てることがあるのだろうか。
 ブロックチェーン、仮想通貨、AI、Iot、ロボティクスはホモ・サピエンスが手にするものなのだろうか。観念の有り様が変わった時、一部の人間に新しい名前がつくのかもしれない。ホモ・○○○と。