25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本軍の兵士2

2019年05月18日 | 社会・経済・政治
 ある軍医の推計であるが、日中・アジア太平洋戦争での戦死者は310万人。そのうち戦闘による戦死は約33%。次は戦病死、これは栄養失調による餓死、栄養失調によるマラリア、赤痢や他の菌への抵抗力のなさによる死。神経をやられ拒食症になる死、など、戦病死が一番多いらしい。
 さらに水没死。とくに船が減ってきて、速度の遅い船の中ですし詰め状態となり、熱中症を起こして死ぬ以外に、攻撃を受けて海に放り出されて死ぬ。自分が生きたいために、人の足を引っ張る、海上に浮かぶ板きれを必死で奪うというようなことがあったらしい。この水没死数は36万人である。次は自殺。もうこの部隊にいたら生きられない。捕虜となってはいけないという戦陣訓もあった。次は「処置」という名の「殺人」。こいつは助からない、部隊を乱す、それで「処置」。

 崇高な精神もクソもあったものではない。陸軍、海軍大学校、他の大学で習ったことなど何の意味もない。平気で速度のでない船を必死こいてつくる。遅い輸送船だから潜水艦の格好の的となる。これも水没死であるが、肛門から爆発による空気が入り、腸が破裂するという苦悶の死だ。

 自衛隊が海外に派遣されてから派遣隊員の自殺の多さが話題になったことがあった。激しい戦いのある中に行ったのではない。安全だといわれる地域に行ったのである。しかし緊張感、恐怖はあったのだろう。

 間接的に空爆でボンボンと撃っているうちはいいが、地上戦となれば、兵士は死と隣り合わせになる。自衛隊は集団的自衛権に抵抗してほしい。国民が反対しなければならないのだけれど、多くの国民は理解しようとしない。自衛隊員のことは考えていない。集団的自衛権を決めた人達は戦争には行かない人達だ。

 なんと愚かな戦争への扉を作ったことだろう。日本は戦争を放棄しているのだ。これが一番重たい価値なのだ。なんとしても安保法制を元に戻さなければならない。アメリカの言いなりになっていてはいけない。