25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いいようのない事件

2019年05月27日 | テレビ
 なんともいいようがない凄惨な事件が起こった。4、50代の犯人(まだ詳しいことはわかっていない)両手に刃物を持ち、バスに乗り込もうとする小学生に襲いかかった。
 この前は交通事故で保育士さんや園児が被害にあった。こういう子供が狙われる事件が起きると社会が神経質になる。社会が分断されていくようないやな予感もする。富裕層は安全な地域を形成し、壁を設ける。そんな町つくりもあり得そうだと心配する。

 ぼくも東京に7歳の孫2人と4歳の子が家を離れて学校・幼稚園に通っているので、他人事でもないような気がするが、どうにもならんしなあ、と思うだけである。

 だいたいこの種の事件が起こると、まずテレビは中継で実況を紹介する。警察や救急車の動きなどを映し、事件の表層部分を報じる。次いで目撃者などを探しだし、同時に現場で何が起こったのか詳しく報じ始める。ついには犯人を割り出してくる。写真も出してくる。犯人はどんな人物で、日常はどんな風だったか、人に聞いたりして、報じる。
 だいたいそんなところでテレビニュースは終わる。それを引き継ぐのは雑誌である。雑誌では犯人の背景や家族、性格、人物がより詳しく描かれる。そして週刊誌報道が終わると、月刊誌の番が来る。より詳細な取材がおこなわれ、書き手の意見や興味の先もわかってくる。詳しい生い立ちも当然わかる。しかしながらここまでである。
 今日、明日はこの事件でもちきりとなる。
 

酒のバチ

2019年05月27日 | 日記
 昨日は昼にはワインを飲み、夕方にはビール、焼酎を飲み、夜にはウィスキーを飲むというあり様で、アルコールに負けた一日だった。脳細胞も何万個、何十万個と死滅したにちがいない。酒のコントロールを間違えると短命化すると思えるので、注意!注意!と思いながらも昨日のザマだ。
ちょっと愚痴になってしまうが、朝乃山の大健闘は褒めておきたい。しかしながら「くそ!」と思うのは、栃ノ心戦での審判部の在り方である。言葉で説明できないのである。「行事軍配は栃ノ心を有利とみて栃ノ心に上げましたが、物言いが付き、協議の結果、栃ノ心の足が出ており、行事差違いで朝乃山の勝ちといたします」と言いかねた。六分の協議中、テレビ画像は何度も何度もいろいろな角度からビデオを流している。

 今日、シブ5時で能町みね子が場所を振り返るので、どういう言うのだろうかと期待している。彼女はあの取り組みのあとすぐ自分のツイッタで「栃ノ心の足はでてない」と「審判何してるの」と憤慨していた。今日はNHKからたしなめられるのではないか。

 バドミントンは中国に圧倒された。白い巨塔の財前五郎は膵癌で死んだ。福山雅治の下手な笑い演技の「集団左遷」はまだまだ続くようでうんざりした。ボーッとテレビを脳を働かせることもなく昼のワインで脳がだらけ切ってしまっていた。テレビの方もだらけ切っていたというわけだ。トランプ大統領が桝席に特別の椅子を用意され、日本の首相と奥方が並んでいる。「チッ」。細君は「あんなに相撲が大好きだった昭和天皇にも同じようなことを一回だけでもしてあげればよかったのに」とまで言い出す始末。「それもちゃうだろう」とか言って、要するになんだかあの取り組みの日から不機嫌なのだ。栃ノ心が大関に復帰できたのはよかったが。

 夜、両胸郭出口のところの筋肉が痛くて、何だろうと不思議に思った。首を後傾し、息を吐きながら前に落とすようにして、最後に額に手で抵抗を与える。これを5回ほどした。すると痛みは治まった。頸椎からくる悪さだと思う。自己診断であるが、酒のバチが当たったのは確かである。