25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

何があろうと

2019年05月06日 | 文学 思想
1999年の最初のブログを校正している。すでに二十年前のことだ。こまめに「ぼくのバリ日記」として書いている。文を読めば読めばだいたい思いだす。
 バリ島だけが日本から遠く離れるために、自己慰安ができる場所でもあった。縁あって、自分の意志で1999年からバリ島を仕事場に選んだ。歴史でいうところのアジア的段階が色濃く残り、村落共同体は強固の存在し、警察さえも手がだあせないほどの村の法と政府による近代法が二重にあり、村落共同体の遵法精神の方が高いのではないかと思えるほど、村落は強かった。欧米の文明がちょっとづつ入ってきていた。ぼくが初めてバリ島に家族と一緒に行ったのは一九八九年だったと思うが、そのころにバリ島にはテレビはほとんどなかった。旅行会社の車はあったが、個人用の乗用車はほとんど見なかった。
 政府のバリ島近代化策はリゾート策であった。空港を整備し、サヌール、ヌサドゥアにホテルを誘致し、それにバリ島の絵画や舞踊、音楽、マリンスポーツが合体した。台風の来ないこの島は年中観光客が来れる。いつのまにか世界でも有名なリゾート地となった。
 まだ当時の人々は西洋医学よりもバリアンという呪術師を頼みにしていた。
2016年まで二ヶ月一度バリ島に通った。それまでの日々のキオクハ薄まっていくばかりだが、このようなブログが残っていると、ありありと思い出すことができる。文に書いたことなどわずかなだんぺんであるが、ぼくのこころの指向性がよくわかる。2つの爆弾テロ事件がまたぼくの人生を分断したと当時は思ったが、この楽天性と自信が変わらない限り運命も変わることはあるまいと今は考えている。