25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

マスコミに注意する

2019年05月07日 | 社会・経済・政治
 歴史的には天皇は推古天皇(女性天皇)までしかたどれないそうだ。その前は大王であり、その前になると伝承・神話の世界となる。
 皇室はこのままでいくと悠仁様が天皇となり、その奥方である皇后が男の子を生まない限り、存続が難しくなる。そうなればなんらかの方策を考えるつもりなのだろうが、「男系」「女系」に拘る人たちがいて、そういう日本会議や事務方の日本青年協議会たちが安倍政権を支えているから、あまり賢いとはいいがたい安倍首相は成長の家原理主義者のいいなりになっているように思える。成長の家はエコロジーの宗教団体として創始者であった谷口雅春の考え方から脱皮していているが、この谷口雅春を信奉するものたちが現在の政治にある一定の影響力をもっているのだ。彼らは「男系」一辺倒である。生前退位などあってはならないと考える。目線を同じにして庶民と話すことにも反対する。天皇は万世一系であり、霊的権威者という存在である。「祈ること」がまず第一と考える。

 ぼくは天皇家は自らが決めればよいと考えている。確かに国が分断の様相を見せた場合、統合の象徴としての存在があった方がよいのかもしれない。それも天皇家が考え、決めればよい。天皇はロボットではないのだ。精神を持った人間なのだ。皇室を続けていくと決めれば、多くの国民はそれを支持するだろうし、皇室を廃止したいと決めれば、ショックを受ける人もいるだろが、よくよく考えてみると、それもありか、その意思を尊重しようとなるのではないか。象徴としての皇室は終わるが、女系であれ、男系であれ、遺伝者はつながっていくわけで、皇室の血が途絶えるわけではない。

 元号も不便なものだが、日本会議が元号法制定に尽力した甲斐があってか、元号ブームになっている。大宰府に、伊勢神宮に、皇居に人は押し寄せる。メディアはこれを大々的に報じるが、「男系」「女系」の歴史的事実についてはこれまでにわかっている歴史的事実を伝えない。マスコミには危ない雰囲気がある。マスコミの報道によって人は踊る。
 憲法に自衛隊と明記されれば誇りをもって活動ができるなんてのは体のよい嘘だ。確実にアメリカの戦争に巻き込まれるだけの話だ。戦争をしないようにするのは政治家の務めであり、自衛隊員も国民も戦争には絶対に参加しないのだ。