貴景勝の休場で、面白味は減ったが、栃ノ心と朝乃山が全勝で踏ん張っている。それに炎鵬の勝ちかたに凄さを感じて4時からの大相撲はまだ今のところしらけることなく観戦している。
ダイエットが効を奏しているのだろう。74キロとなった。あと4、5キロを2、3か月かけて減らしたい。今日は病院で血圧を測ってもらった。上が120、下が70だった。この前は130と80だった。これは降圧剤を飲んでの話であるが、それでも10減っている。「先生、体重が4キロほど減ったせいでしょうか」「そうやろな」「薬をやめるというわけにはいかんのやろか」 もうちょっと体重落として、様子をみよか」と言う。
ようし、夜の食事制限を続けようと思い、やはり何にもまして酒量を抑えなければならない。男と女お寿命の違いは「酒」にあるのではないかと思っているくらいだから、酒には注意しなければならない。
まだまだ鬱陶しいことが続く。歯周病である。これはどうにもならない。歯周病を予防するものは売っていても治すものは売っていない。時間の問題で歯がぐらついてくる。歯医者さんが「歯の大改革計画表」でも作ってくれて、これでいきましょう、などと言ってくれる歯医者さんであればいいが、ぼくが知る限り、言葉少なめな先生が多い。
1970年に大阪でフランス映画「小さな悪の華」を見た。記憶に鮮やかな良い映画だった。二人の思春期の女子がカトリックをからかい、大人をからかう。宗教にも縛られず、家族からも縛られない。悪に身を捧げる少女二人の話である。ネットでDVDが出ていることを知って、購入した。それを昨日見た。スペシャルがあって、当時の主人公をした女性が50年経って、インタビューに答えていた。若かった監督もすっかり年をとり、老人であった。
この映画は地元フランスで上映禁止となり、お蔵入りするところだったが、8か月後、イギリスの会社が買い、次いでドイツの会社が買う、ということで、日本でもどこかの会社が買ったのだろう。どういう経緯になっているのか知らないが、再びこの映画は姿を消し、50年経ってDVDで出てきたのである。
大人の汚さ、狡さ、信仰者の嘘、嘲笑うかのように狂おしく小さな悪を働いて嬉々とする。
1968年に制作したと当時30そこそこの監督は言っていた。自分の思春期の頃が反映されていると言っていたから、映画の舞台は1950年くらいではないか。その頃のフランスの地方はカトリック社会だったのだ。この50年で自由を希求した少女たちに支持が増えたのだろう。最後に舞台で「ボードレール」の詩を力強く朗読した。羊のようにおとなしいカトリック信者たちで親である観客はその詩の素晴らしさみ拍手喝采、興奮したのだった。自分達が批判されているとも分からず、ボードレールの言葉には感じるのである。それが大衆だ、と監督は言っているようである。
ダイエットが効を奏しているのだろう。74キロとなった。あと4、5キロを2、3か月かけて減らしたい。今日は病院で血圧を測ってもらった。上が120、下が70だった。この前は130と80だった。これは降圧剤を飲んでの話であるが、それでも10減っている。「先生、体重が4キロほど減ったせいでしょうか」「そうやろな」「薬をやめるというわけにはいかんのやろか」 もうちょっと体重落として、様子をみよか」と言う。
ようし、夜の食事制限を続けようと思い、やはり何にもまして酒量を抑えなければならない。男と女お寿命の違いは「酒」にあるのではないかと思っているくらいだから、酒には注意しなければならない。
まだまだ鬱陶しいことが続く。歯周病である。これはどうにもならない。歯周病を予防するものは売っていても治すものは売っていない。時間の問題で歯がぐらついてくる。歯医者さんが「歯の大改革計画表」でも作ってくれて、これでいきましょう、などと言ってくれる歯医者さんであればいいが、ぼくが知る限り、言葉少なめな先生が多い。
1970年に大阪でフランス映画「小さな悪の華」を見た。記憶に鮮やかな良い映画だった。二人の思春期の女子がカトリックをからかい、大人をからかう。宗教にも縛られず、家族からも縛られない。悪に身を捧げる少女二人の話である。ネットでDVDが出ていることを知って、購入した。それを昨日見た。スペシャルがあって、当時の主人公をした女性が50年経って、インタビューに答えていた。若かった監督もすっかり年をとり、老人であった。
この映画は地元フランスで上映禁止となり、お蔵入りするところだったが、8か月後、イギリスの会社が買い、次いでドイツの会社が買う、ということで、日本でもどこかの会社が買ったのだろう。どういう経緯になっているのか知らないが、再びこの映画は姿を消し、50年経ってDVDで出てきたのである。
大人の汚さ、狡さ、信仰者の嘘、嘲笑うかのように狂おしく小さな悪を働いて嬉々とする。
1968年に制作したと当時30そこそこの監督は言っていた。自分の思春期の頃が反映されていると言っていたから、映画の舞台は1950年くらいではないか。その頃のフランスの地方はカトリック社会だったのだ。この50年で自由を希求した少女たちに支持が増えたのだろう。最後に舞台で「ボードレール」の詩を力強く朗読した。羊のようにおとなしいカトリック信者たちで親である観客はその詩の素晴らしさみ拍手喝采、興奮したのだった。自分達が批判されているとも分からず、ボードレールの言葉には感じるのである。それが大衆だ、と監督は言っているようである。