自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★台湾ダム着工100年 「八田與一」考える座像の秘話

2021年05月11日 | ⇒ドキュメント回廊

   「八田與一」という名前を知っている人は台湾と金沢以外、ほとんどいないだろう。「はった・よいち」と読む。その八田與一の名前がNHKの全国ニュース(5月8日付)で流れた。以下、ニュースを紹介する。

   日本統治時代の台湾で、日本人技師、八田與一が建設に尽力した「烏山頭(うさんとう)ダム」の着工100年を祝う式典が8日、現地で行われ、蔡英文総統などが出席した。台湾南部の台南にある烏山頭ダムは、1920年に建設が始まり、工事を指導した、石川県金沢出身の八田技師は最大の功労者として台湾でも高く評価されている。八田技師の命日にあたる8日、ダム着工100年を祝う式典がダム近くの公園で行われ、蔡英文総統をはじめ首相に当たる行政院長や閣僚などの要人が出席した。式典では蔡総統が「ダムと灌漑施設の水は100年流れ続けている。台湾と日本の友情も双方の努力によって続いていくことだろう」と、功績をたたえた(NHKニュースWeb版を引用)。

   烏山頭ダムは10年の歳月をかけて1930年に完成したものの、日本国内では1923年に関東大震災があり、ダム建設のリ-ダーだった八田にとっては予算的にも想像を絶する難工事だった。5月8日が命日というのは、ダム建設後、軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査のため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。その日が1942年の5月8日だった。終戦直後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺する。

   当時としてはアジア最大級のダムで、同時に造られた灌漑施設によって周辺の地域は台湾の主要な穀倉地帯となり、現在も農業だけでなく工業用水や生活用水として利用されている。戦後も台湾の人たちに八田は高く評価され、台湾の民主化を成し遂げ、哲人政治家としても知られる元総統、李登輝氏(2020年7月死去)が2004年12月に金沢に来て、八田與一に関する展示と胸像がある「金沢ふるさと偉人館」を訪ねている。

   八田の功績は戦後日本と台湾の友好の絆をも育んだが、台湾の独立派と中国と台湾の統一派によるつばぜり合いが過熱する政治情勢では、政争のシンボルになることもある。2017年4月、烏山頭ダムの記念公園にある銅像(座像)の首が切断され、中台統一派の元台北市議が逮捕された。日本より中国との交流を優先せよというメッセージだ。同じ年の2月には新北市の大学キャンパスにあった蒋介石の立像の一部が切断され、独立派の学生たちが逮捕された。大陸からやってきた本省人が台湾の独立を妨げている、との主張だ。同4月にも台北市の蒋介石の座像の首切断事件があった。

   八田の座像はすぐさま修復され、同年5月7日に座像修復の除幕式、そして8日には金沢市から関係者を招いて慰霊祭が行われた。座像は、八田が考え事をしている時によくとっていたポーズとされる。農業発展のダムの先駆者と妻の後追いの悲話、日本と台湾の友好の絆、独立派と統一派による政争のシンボル。「いま八田は何思うのか」。意味深なポーズではある。

(※写真は、台湾・烏山頭ダムを見渡す記念公園に設置されている八田與一の座像=台北ナビ公式ホームページより)

⇒11日(火)午後・金沢の天気  はれ時々くもり

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