自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「自然に触れ、命と向き合う」河合雅雄氏の言葉

2021年05月16日 | ⇒メディア時評

   ニホンザルなどの霊長類の研究で多大な功績を残した河合雅雄氏(京都大学名誉教授)が今月14日に亡くなられた。97歳だった。もう16年も前になるが、河合氏を金沢大学に招き、シンポジウムの基調講演をいただいた。80歳を過ぎておられたが、かくしゃくとした姿、語り口調だったことを覚えている。故人をしのんで、ネットで掲載した講演の主旨を再録する。

   2005年12月17日に開催したシンポジウムは朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森 ~里山を『いま』に生かす~」(主催:金沢大学、龍谷大学、朝日新聞社)。基調講演のテーマは「森あそびのすすめ」。

                  ◇

   森林文化の盛んなヨーロッパを訪ねると驚く。森のかなり奥まで道があり、深い森の中をおばあさんが1人で歩いていたり、お年寄りが孫を連れて歩いていたりする。人々は命あるものとの交流を楽しんでいる。特にドイツ人は森が好きで、月曜の朝には「どこの森に行って来たの」というあいさつになるくらいだ。

   文化資源として森を利用するということが、日本では欠けている。文化とは、芸術だけではない。いろいろな「あそび」も文化だ。私はよく「森あそびのすすめ」と言っている。内容は、英語の頭文字で言うと「CSRE」。つまり、Cはカルチャー(文化)、Sはスポーツ、Rはレクリエーション、Eはエデュケーション(教育)だ。

   川あそびなら、わかるだろう。日本人は世界でも傑出した川あそびの文化をつくってきた。私も子どものころ、夏になると、朝から晩まで川に入り浸っていた。今は「川は危険だ」ということで、子どもはプールに行く。だが、プールは泳ぐだけ。川では泳ぐことはごく一部。そこにはカワセミが飛び、いろいろな魚や水生昆虫が住み、石の裏には生物の卵や幼虫がいる。子どもはあそびの天才で、自発的なあそびを展開する。同じように森という自然を舞台に、森あそびを考えていいと思う。

   子どもの理科離れがいわれる。もっと怖いのは自然離れだ。人格形成にかかわる問題だ。子どもを取り巻く環境は人工化してしまっている。個室を与えられ、そこにはマンガがあり、電子ゲームがあり、テレビがある。人間との対話も携帯電話でないとコミュニケーションできない。

   自然に触れ、命あるものと向き合って対話し、心の潤いを得る。もっとも子どもは自然の中で残虐なこともやる。私もトンボの尾をちぎって棒を突き刺して飛ばしたこともある。だが、いつか自分でふと気づく。「かわいそうやな、こんなアホなことやめよう」と。行為を通じて自分の中の残虐性に気づく。自然とのかかわりの中で、命の尊さを知る。

   子どもは本当は自然が好き。ただ、知らないだけだ。大人が取り上げたのではないか。大人が子どもに自然を返してあげる努力が必要だ。

                 ◇

   パネル討論では、会場から「石川にはクマ問題がある。クマと人との共存はあり得るか」という質問があった。河合氏は「あり得るが、簡単ではない。原因の一つが里山問題。クマは奥山にいて、人と動物が共有する里山がバリアになっていた。でも、里山に人がいなくなり、動物のものになった。動物がおいしい農産物の味を一度覚えたら、戻すのは簡単ではない。保護管理に専門家があたらなければならない」と。また、司会者からの「里山をもっと楽しく、みんなのものにする提言を」とのふりに、河合氏は「新しい、多様な里山を作ってはどうか。例えばモミジの山、小鳥が集まる山、昆虫の森など。オオムラサキが飛んできたら、子どもたちは大感激するはずだ」と答えて会場をなごませた。

(※写真は、2005年11月2日、シンポジウムの事前打ち合わせに兵庫県篠山市=現・丹波篠山市=の自宅を訪ねた折、河合氏は和装で出迎え)

⇒16日(日)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする