横浜は今日、朝から久しぶりにスッキリと晴れています
さて、昨日に引き続き
盆踊り 話を・・・・
僕がもの心つくころから
我が家の前の道路で毎年盆踊りをやっていた
僕はと言えば・・・・
踊っている人の間を友達同士で鬼ごっこをやったり
銀玉鉄砲で打ち合いながら
走り回っていた
その頃、音楽は
どうやってかけていたのだろう?
道路に 4本竹の棒を立て・・・・
その頃、その竹はどうやって立てていたのだろう?
母はその頃から? それ以前??
から 踊りをやっていて
町内の盆踊り
と言うと 先頭に立って仕切っていた
母はここ 都岡の生まれなのでこれ以外のお祭りを知らない
父は八王子の出身で
8月始めの夏祭りで 山車を引く勇壮なお祭りから
盆踊り
秋のお祭り
と、都会のお祭りを経験していた
それが 都岡の盆踊りを見て
なんと貧相な
と思ったに違いない
我が家にあったレコードプレーヤーを
近所の
ハナワ電機さんに持ち込み
アンプに繋いで デカイ スピーカーから音が出るように改造してもらってきた
当然?
翌日から我が家のレコードプレーヤーのスピーカーから音が出なくなった
その、レコード係をやっていろ!!
と、ある年から椅子に座らされ
走り回ることを許されなくなった
つまらない
と漏らしたら・・・・
翌年、八王子から太鼓を借りてきた
と言うより、強引に借りに行った
お豆腐やさんをやっていた親戚を起こすくらいの時間に八王子についた
出来立ての
お豆腐
熱々の油揚げを手で裂いて醤油を ジュ と掛け食べたあの味・・・・
美味かったな~
な、早起きはするものだろう
と、したり顔で言われた
太鼓を借りる
と言う話は電話で付いていたのらしのだが・・・・
伝統ある八王子のお祭りの太鼓
大事にしてくれよ
と、おじさんが言っていた
おじさん、独断で倉庫から持ち出してきたのかな??
と、今になって思う。
車に積んで横浜まで
盆踊りが終わってから
八王子まで返しに行った
なんと、軽やかなフットワーク
当然、町内の盆踊りで太鼓が鳴るのは初めて
となると、たたき方が分からない・・・・
そこで、父は
叩いた事があるという西山さんのおじさんを呼んで来て練習
でも、叩いたことのあるのはお祭り太鼓
盆踊りとちょっと違う
曲の中にも太鼓の音が入る
それを 姉が聞き取り・・・・
なんとなく教えてくれた
ワルツと違い・・・・
押しなべて 4拍子
どん どん どん チャカチャ
簡単なものである♪♪♪
四分音符の絵が無い・・・・・
盆踊りの代表曲
といえば
炭坑節
と思われる方も多いと思うが
アレは太鼓が狂う
二十歳の頃
戸塚の友人の親が町内の役員さんをやっていて
太鼓を叩きに来てくれ
と、頼まれた
お礼出すから
という言葉で
断った
それでも、見に来るだけ
と、その友人に誘われ行ってみた
おじさんが一人浴衣を着込んで叩いていた
そのおじさん
僕の太鼓は炭坑節に合わない
と、炭坑節が始まると僕に代わった
月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)
一度は聞いたことがあると思うので
手でタクトを振るまねをしながら歌ってみてください
最初のヨイヨイ
のところで一拍目が狂うでしょ・・・・
でも、そのまま強引にずれたことに気が付かない人は・・・・?
そのまま最後まで行けば不思議と戻るんですが・・・・
そこで、僕は ひとつだけ ドン と打って チャカチャ
と入れれば合って来る
でも、それを途中何回かやら無いと・・・・・狂う・・・
その、浴衣のおじさんには出来なかった・・・・
平らな道路の上に置かれた太鼓
その前で
太鼓を叩いていた
小学校の低学年時代・・・・
翌年は小学校で太鼓を借りてきた
その太鼓
片面が破れていて倉庫で眠っていた
それを 父が聞きつけ借りてきて
裏に 固めのボール紙を張った
何とか音は出るのだが音に弾みが無い
その翌年は 近所の神社から父が借りてきた
八王子のお祭り太鼓と違い
何種類も無い・・・・
甲高い音がする太鼓だった
毎年良くまあ、色々な伝手を伝って借りまくっていた
といっても、一年に一度のこと・・・・
太鼓を借り出して 何年後のことだろう?
近所で公共事業工事が行われ
今と違い間伐材で色々な足場を組んでいた
その、工事のおじさんに父が頼み込んで
やぐらを作ってもらった
たいそうなものだった
父は 東京都下
そのおじさんたちは 田舎で盛大な盆踊りを経験しているようだ
階段を上がって広めの回れる舞台
そこからはしごを上って二階の屋根くらいの高さに
太鼓の台をしつらえてくれた
眺めは良いし
最高♪
でも、どう頑張っても太鼓と
3人がよい所・・・・
そこに そのおじさん達がかわるがわるやってきて
太鼓の叩き方を教えてくれた
8分音符 16分音符が乱れるような打ち方
これを手取り教えてくれた
面白さを感じたのはその頃からで
翌年からは 僕と同じ小学生に僕が教えるようになった
だから僕の同輩・後輩・そして先輩
で、やりたがっていた人は皆叩ける
東京五輪音頭
というのもあったな
これは、逆周りに踊る・・・・
でも、太鼓を叩いている僕らにとってそんなことはまったく関係ない
その後、やぐらは毎年町内の人たちで作るようになった
中学に入って
バレーボール部の合宿が学校であり
丁度、町内の盆踊りと日程が被ったので
僕は出られない
だけど、皆叩けるから
といっていたのに
二日目に父が迎えに来た
やっぱりお前がいないとダメだ
と、伊勢崎町の手前・・・我が家から10km以上あるのに
練習が終わる6時頃 迎えに来た
そして、夜 送ってくれた
バレー部もその頃朝早起きして
プールで泳がされたりしていたから
つらかった・・・・
そんなことを毎年やって盛り上がり・・・・
この盆踊りが終わると
夏休みも終わりに近づき・・・・
夏休みの宿題に追われる毎日が待っていたっけ
僕が高校生になる頃かな
町内で太鼓を買った
僕は後輩に道を譲り?
ほとんど叩かなくなった
それでも母が
やっぱりお前が叩かないと踊りにくい
と、引っ張り出された
その頃は僕の教えた後輩が
何十人といた・・・・・
さて、昨日に引き続き
盆踊り 話を・・・・
僕がもの心つくころから
我が家の前の道路で毎年盆踊りをやっていた
僕はと言えば・・・・
踊っている人の間を友達同士で鬼ごっこをやったり
銀玉鉄砲で打ち合いながら
走り回っていた
その頃、音楽は
どうやってかけていたのだろう?
道路に 4本竹の棒を立て・・・・
その頃、その竹はどうやって立てていたのだろう?
母はその頃から? それ以前??
から 踊りをやっていて
町内の盆踊り
と言うと 先頭に立って仕切っていた
母はここ 都岡の生まれなのでこれ以外のお祭りを知らない
父は八王子の出身で
8月始めの夏祭りで 山車を引く勇壮なお祭りから
盆踊り
秋のお祭り
と、都会のお祭りを経験していた
それが 都岡の盆踊りを見て
なんと貧相な
と思ったに違いない
我が家にあったレコードプレーヤーを
近所の
ハナワ電機さんに持ち込み
アンプに繋いで デカイ スピーカーから音が出るように改造してもらってきた
当然?
翌日から我が家のレコードプレーヤーのスピーカーから音が出なくなった
その、レコード係をやっていろ!!
と、ある年から椅子に座らされ
走り回ることを許されなくなった
つまらない
と漏らしたら・・・・
翌年、八王子から太鼓を借りてきた
と言うより、強引に借りに行った
お豆腐やさんをやっていた親戚を起こすくらいの時間に八王子についた
出来立ての
お豆腐
熱々の油揚げを手で裂いて醤油を ジュ と掛け食べたあの味・・・・
美味かったな~
な、早起きはするものだろう
と、したり顔で言われた
太鼓を借りる
と言う話は電話で付いていたのらしのだが・・・・
伝統ある八王子のお祭りの太鼓
大事にしてくれよ
と、おじさんが言っていた
おじさん、独断で倉庫から持ち出してきたのかな??
と、今になって思う。
車に積んで横浜まで
盆踊りが終わってから
八王子まで返しに行った
なんと、軽やかなフットワーク
当然、町内の盆踊りで太鼓が鳴るのは初めて
となると、たたき方が分からない・・・・
そこで、父は
叩いた事があるという西山さんのおじさんを呼んで来て練習
でも、叩いたことのあるのはお祭り太鼓
盆踊りとちょっと違う
曲の中にも太鼓の音が入る
それを 姉が聞き取り・・・・
なんとなく教えてくれた
ワルツと違い・・・・
押しなべて 4拍子
どん どん どん チャカチャ
簡単なものである♪♪♪
四分音符の絵が無い・・・・・
盆踊りの代表曲
といえば
炭坑節
と思われる方も多いと思うが
アレは太鼓が狂う
二十歳の頃
戸塚の友人の親が町内の役員さんをやっていて
太鼓を叩きに来てくれ
と、頼まれた
お礼出すから
という言葉で
断った
それでも、見に来るだけ
と、その友人に誘われ行ってみた
おじさんが一人浴衣を着込んで叩いていた
そのおじさん
僕の太鼓は炭坑節に合わない
と、炭坑節が始まると僕に代わった
月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)
一度は聞いたことがあると思うので
手でタクトを振るまねをしながら歌ってみてください
最初のヨイヨイ
のところで一拍目が狂うでしょ・・・・
でも、そのまま強引にずれたことに気が付かない人は・・・・?
そのまま最後まで行けば不思議と戻るんですが・・・・
そこで、僕は ひとつだけ ドン と打って チャカチャ
と入れれば合って来る
でも、それを途中何回かやら無いと・・・・・狂う・・・
その、浴衣のおじさんには出来なかった・・・・
平らな道路の上に置かれた太鼓
その前で
太鼓を叩いていた
小学校の低学年時代・・・・
翌年は小学校で太鼓を借りてきた
その太鼓
片面が破れていて倉庫で眠っていた
それを 父が聞きつけ借りてきて
裏に 固めのボール紙を張った
何とか音は出るのだが音に弾みが無い
その翌年は 近所の神社から父が借りてきた
八王子のお祭り太鼓と違い
何種類も無い・・・・
甲高い音がする太鼓だった
毎年良くまあ、色々な伝手を伝って借りまくっていた
といっても、一年に一度のこと・・・・
太鼓を借り出して 何年後のことだろう?
近所で公共事業工事が行われ
今と違い間伐材で色々な足場を組んでいた
その、工事のおじさんに父が頼み込んで
やぐらを作ってもらった
たいそうなものだった
父は 東京都下
そのおじさんたちは 田舎で盛大な盆踊りを経験しているようだ
階段を上がって広めの回れる舞台
そこからはしごを上って二階の屋根くらいの高さに
太鼓の台をしつらえてくれた
眺めは良いし
最高♪
でも、どう頑張っても太鼓と
3人がよい所・・・・
そこに そのおじさん達がかわるがわるやってきて
太鼓の叩き方を教えてくれた
8分音符 16分音符が乱れるような打ち方
これを手取り教えてくれた
面白さを感じたのはその頃からで
翌年からは 僕と同じ小学生に僕が教えるようになった
だから僕の同輩・後輩・そして先輩
で、やりたがっていた人は皆叩ける
東京五輪音頭
というのもあったな
これは、逆周りに踊る・・・・
でも、太鼓を叩いている僕らにとってそんなことはまったく関係ない
その後、やぐらは毎年町内の人たちで作るようになった
中学に入って
バレーボール部の合宿が学校であり
丁度、町内の盆踊りと日程が被ったので
僕は出られない
だけど、皆叩けるから
といっていたのに
二日目に父が迎えに来た
やっぱりお前がいないとダメだ
と、伊勢崎町の手前・・・我が家から10km以上あるのに
練習が終わる6時頃 迎えに来た
そして、夜 送ってくれた
バレー部もその頃朝早起きして
プールで泳がされたりしていたから
つらかった・・・・
そんなことを毎年やって盛り上がり・・・・
この盆踊りが終わると
夏休みも終わりに近づき・・・・
夏休みの宿題に追われる毎日が待っていたっけ
僕が高校生になる頃かな
町内で太鼓を買った
僕は後輩に道を譲り?
ほとんど叩かなくなった
それでも母が
やっぱりお前が叩かないと踊りにくい
と、引っ張り出された
その頃は僕の教えた後輩が
何十人といた・・・・・