海賊ジャックは暴れ者
若くて 強くて ハンサムで
七つの海に その名をとどろかせ
どくろのマークの帆を見れば
人食いジョーズも逃げ出した
だけどジャックもやっぱり男
かわいい娘に恋をした
娘はジャックに こう言った
『海賊辞めてよ お願い』
海賊ジャックは 海を捨て
まじめにせっせと働いた
ある日カモメが田神を持ってきた
『お前がいなけりゃ寂しいぜ
すべての海の男より』
町にゃ嵐も 星空もない
おいらは町じゃ死んじまう
海賊ジャックは逆戻り
七つの海をおおあばれ
みんなジャックの船を見ると
逃げ出すけれど 好きなのさ
ホントの海の男なのさ
海賊ジャックのお話
というのは 加山雄三さんの歌♪
このレコードは我が家にあるのですが・・・・
何年前のLPでしょう??
とにかく LPレコードだし
結婚してから買った記憶がないので
もう 30年以上前のものだと思います
そして 今
海賊ジャック
と言えば
ジャック スパロー
でも・・・・
今日 お電話したのは
海賊 バルボッサ の奥様に・・・・
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そう、こんな感じの海賊
僕も海の上で会うと
バウの大砲が火を噴くぞ
と、脅され
本物の大砲の音を録音したのを轟かせ
キャビンの大砲は赤く燃え出す
こんな 子供心満載で
色々な事をよくご存知で
僕が最初にこの海賊さんと知り合った頃は
ごく普通の マルコニーカッターリグのスループ艇でした
僕が最初に声をかけたのは・・・
長男が生まれる前に 自分の船が出せずにハーバー内をフラフラしている時に
僕が作り始めた6.5メートルのヨットとよく似たラインだな~
誰の設計なんだろう?
横山晃先生の シードルフィン マヒマヒ はキャットボート(セールが一枚のヨット)だし
この船はスループリグ(よくある二枚帆)
違うのかな~
と思いながらも声をかけさせていただき話をしたのが
確か最初です
あれから もう 30年
ハーバー内の岡本造船さんで大改装
その時も ここをこうして バウスプリットを 何センチ延長し
などと 話しておられました
それまで使っていた ジブセール(前帆)をそのまま上げると
それまではワーキングジブ(切れ上がった感じの前帆)っぽかったセールも
ゼノア(レース艇などに見られる大きな前帆)ふうに見えて扱いにくい
セールの下にプリペンダー入れましょうよ
セールリカットしましょうか?
じゃ、ここに穴あけて金具をつけ
カッターリグ(前帆二枚)にしましょうよ
と、僕がこの船で始めてリグ 帆走 帆 の根本を変えましょうよ
と提案した
ラット(蛇輪=自動車のハンドル見たいなもの)もどうも使いにくい
と云うと
翌週には 僕の為にティラー(小さいヨットの蛇棒)
を出しておいてくれたりして
毎週のように海に乗り出した
風と坊主は10時から
と言う 名言も バルボッサ船長から教えていただいた
この船 このくらいの風じゃ帆走らないですね
と言って帰港すると 今日 春一番が吹いた
と聞いて二人して大笑いしたことも♪
でも、暖かくなれば自分のビショビショになって乗るディンギーに乗り
反対にこの船の出艇回数はへり・・・・
それでも 海上で見かけると追いかけ声をかけると
前述の 射程距離内に入るとセールにセール面積より大きな風穴が開くぞ
と、大砲にロケット花火を入れたり ナン連発 という花火をセットする
帆走なら絶対に僕の小さい船の方が早い♪
海賊船の右舷に行ったり左舷に行ったり
クルクル 回りこんでいた
姉夫婦がロスに転勤になる前に
思いで作り
と、葉山沖の菜島まで姉の子供を乗せて海水浴に連れて行ってくれたりもしました
シアトルのボブさんが遊びに来た時に
風が強く僕の船が出せずにハーバーをフラフラして
困った時の海賊船
チョットお邪魔したら・・・・
プレゼントする物が何もないから
と、アメリカ国歌を大音量で流してくれたこともありました
僕が最初に言った頃と随分リグも変わりましたが
バルボッサ船長の遊び心は不変です
オートバイも知り合った頃は
125のジェンマでした
その後フュージョンにして・・・
我が家にも遊びに来たこともありましたし
僕も海賊のアジトにお邪魔したこともありました
その頃某有名大学の図書館にお勤めで
その大学の由緒正しい時計を捨てちゃう
と言うのをもらいうけ枠の木でなにやら作ったり
そうだ画像あるかな
見つからないな~
冬のキャビンで過ごす一興にと出入り口の明り取りの窓に
ステンドグラス風の絵を描いたこともあったな~
そのバルボッサ船長に最近お会いしなくておかしいな~
確か引っ越されて 新しい名刺が・・・・
無いなあ~
で、今日こらえきれずに古い名刺の電話番号に電話をしたら
ラッキー
変わっていなかった
でも、船長は脳梗塞で倒れ入院
今はリハビリ施設に入院
とのことを奥様から伺い
もう海賊船は降りられるそうです
僕も含め 誰でも船を降りる日が来る
去年 お前がその気ならバースごとあげる
と言われたのですが 僕にはとてもそんな財力はありません
自分の5mの陸置き料がMAXです
とても 総全長 8m の海上係留 料なんて
僕の年収になっちゃいます
脳梗塞で倒れた友人は運動障害が残る
と言われつつも 元気に快復し
今も学生の時から続けているテニスをし マスターズの大会に出場し毎回上位に顔を出しています
今度は僕の船に乗りに着てください
オートバイも数年前に降り自転車
そのときは理由も聞いていたし寂しさはありませんでしたが
今回は とっても 寂しいです
今年は 寂しいことが続いていやになります
ビックリした船長のお話でした
若くて 強くて ハンサムで
七つの海に その名をとどろかせ
どくろのマークの帆を見れば
人食いジョーズも逃げ出した
だけどジャックもやっぱり男
かわいい娘に恋をした
娘はジャックに こう言った
『海賊辞めてよ お願い』
海賊ジャックは 海を捨て
まじめにせっせと働いた
ある日カモメが田神を持ってきた
『お前がいなけりゃ寂しいぜ
すべての海の男より』
町にゃ嵐も 星空もない
おいらは町じゃ死んじまう
海賊ジャックは逆戻り
七つの海をおおあばれ
みんなジャックの船を見ると
逃げ出すけれど 好きなのさ
ホントの海の男なのさ
海賊ジャックのお話
というのは 加山雄三さんの歌♪
このレコードは我が家にあるのですが・・・・
何年前のLPでしょう??
とにかく LPレコードだし
結婚してから買った記憶がないので
もう 30年以上前のものだと思います
そして 今
海賊ジャック
と言えば
ジャック スパロー
でも・・・・
今日 お電話したのは
海賊 バルボッサ の奥様に・・・・

そう、こんな感じの海賊
僕も海の上で会うと
バウの大砲が火を噴くぞ
と、脅され
本物の大砲の音を録音したのを轟かせ
キャビンの大砲は赤く燃え出す
こんな 子供心満載で
色々な事をよくご存知で
僕が最初にこの海賊さんと知り合った頃は
ごく普通の マルコニーカッターリグのスループ艇でした
僕が最初に声をかけたのは・・・
長男が生まれる前に 自分の船が出せずにハーバー内をフラフラしている時に
僕が作り始めた6.5メートルのヨットとよく似たラインだな~
誰の設計なんだろう?
横山晃先生の シードルフィン マヒマヒ はキャットボート(セールが一枚のヨット)だし
この船はスループリグ(よくある二枚帆)
違うのかな~
と思いながらも声をかけさせていただき話をしたのが
確か最初です
あれから もう 30年
ハーバー内の岡本造船さんで大改装
その時も ここをこうして バウスプリットを 何センチ延長し
などと 話しておられました
それまで使っていた ジブセール(前帆)をそのまま上げると
それまではワーキングジブ(切れ上がった感じの前帆)っぽかったセールも
ゼノア(レース艇などに見られる大きな前帆)ふうに見えて扱いにくい
セールの下にプリペンダー入れましょうよ
セールリカットしましょうか?
じゃ、ここに穴あけて金具をつけ
カッターリグ(前帆二枚)にしましょうよ
と、僕がこの船で始めてリグ 帆走 帆 の根本を変えましょうよ
と提案した
ラット(蛇輪=自動車のハンドル見たいなもの)もどうも使いにくい
と云うと
翌週には 僕の為にティラー(小さいヨットの蛇棒)
を出しておいてくれたりして
毎週のように海に乗り出した
風と坊主は10時から
と言う 名言も バルボッサ船長から教えていただいた
この船 このくらいの風じゃ帆走らないですね
と言って帰港すると 今日 春一番が吹いた
と聞いて二人して大笑いしたことも♪
でも、暖かくなれば自分のビショビショになって乗るディンギーに乗り
反対にこの船の出艇回数はへり・・・・
それでも 海上で見かけると追いかけ声をかけると
前述の 射程距離内に入るとセールにセール面積より大きな風穴が開くぞ
と、大砲にロケット花火を入れたり ナン連発 という花火をセットする
帆走なら絶対に僕の小さい船の方が早い♪
海賊船の右舷に行ったり左舷に行ったり
クルクル 回りこんでいた
姉夫婦がロスに転勤になる前に
思いで作り
と、葉山沖の菜島まで姉の子供を乗せて海水浴に連れて行ってくれたりもしました
シアトルのボブさんが遊びに来た時に
風が強く僕の船が出せずにハーバーをフラフラして
困った時の海賊船
チョットお邪魔したら・・・・
プレゼントする物が何もないから
と、アメリカ国歌を大音量で流してくれたこともありました
僕が最初に言った頃と随分リグも変わりましたが
バルボッサ船長の遊び心は不変です
オートバイも知り合った頃は
125のジェンマでした
その後フュージョンにして・・・
我が家にも遊びに来たこともありましたし
僕も海賊のアジトにお邪魔したこともありました
その頃某有名大学の図書館にお勤めで
その大学の由緒正しい時計を捨てちゃう
と言うのをもらいうけ枠の木でなにやら作ったり
そうだ画像あるかな
見つからないな~
冬のキャビンで過ごす一興にと出入り口の明り取りの窓に
ステンドグラス風の絵を描いたこともあったな~
そのバルボッサ船長に最近お会いしなくておかしいな~
確か引っ越されて 新しい名刺が・・・・
無いなあ~
で、今日こらえきれずに古い名刺の電話番号に電話をしたら
ラッキー
変わっていなかった
でも、船長は脳梗塞で倒れ入院
今はリハビリ施設に入院
とのことを奥様から伺い
もう海賊船は降りられるそうです
僕も含め 誰でも船を降りる日が来る
去年 お前がその気ならバースごとあげる
と言われたのですが 僕にはとてもそんな財力はありません
自分の5mの陸置き料がMAXです
とても 総全長 8m の海上係留 料なんて
僕の年収になっちゃいます
脳梗塞で倒れた友人は運動障害が残る
と言われつつも 元気に快復し
今も学生の時から続けているテニスをし マスターズの大会に出場し毎回上位に顔を出しています
今度は僕の船に乗りに着てください
オートバイも数年前に降り自転車
そのときは理由も聞いていたし寂しさはありませんでしたが
今回は とっても 寂しいです
今年は 寂しいことが続いていやになります
ビックリした船長のお話でした
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