2年前の今頃、出張先の近くにあるイチョウ林を訪れる機会がありました。
ぶどう農家の方が、亡くなった奥様への思いを込めて農園跡地に約80本のイチョウを植樹したものが立派な樹林になっており、初冬には葉は金色に染まり、敷地一面が黄色い落葉のじゅうたんに覆われます。ふだん見慣れた街路樹の銀杏とは違い、黄金色に輝く樹林は荘厳で、異世界にまぎれこんだような、不思議な気持ちにさせられました。
そのことは、当時のブログに記しており、拙著『ほかならぬあのひと』にも記したところです。イチョウは約2億年前の中生代ジュラ紀に栄えたにもかかわらず、170万年前の氷河期に恐竜とともに姿を消し、生きた化石とも言われる壮大な歴史を抱えています。この歴史をまとめた『イチョウ 奇跡の2億年史』(P.クレイン著 矢野真千子訳 河出書房)の存在を知りませんでしたが、今秋文庫化されたものを書店で見つけました。
本書によると、イチョウの歴史を化石から辿る研究は極めて困難で、沢山の化石のうちどれが同種で、どれが進化の同系統のものなのかを特定するのは、試行錯誤の連続だったようです。化石の研究によると、2億年前に出現したイチョウは、6500万年の間、北半球のほぼ全域に存在し、一億年前頃から減退していきます。そして数百万年前に絶滅の危機にあった種は中国南西部でかろうじて生き延びます。遺伝的多様性が大きい集団が少ない集団の母集団だという仮説に立ってDNA 解析でイチョウの祖先を辿ると、天目山と四川盆地南の谷間あたりの2箇所に絞られてきます。
中国南西部で生き延び、人の手で栽培されて繁殖したイチョウは、それではいつ頃日本にきたのでしょう。色々な文献や中国との交易記録などからみて、おそらく14世紀頃だろうと著者は推測します。源実朝を暗殺した公暁がイチョウの木の陰に隠れて待ち伏せしていたという話は、『吾妻鏡』にも『愚管抄』にも記載されておらず、後世の脚色だろうというのです。
日本に根付いたイチョウは、やがて長崎出島にオランダから派遣されたエンゲルベルト・ケンペルによって“ginkgo”(ギンコー)としてヨーロッパに紹介されます。「銀杏」の音読みのローマ字表記“ginkyo”のスペルミスではないかと言われることについても、著者は疑問を投げかけます。日本語の読み方と文字表記の法則性を詳しく調べていたケンペルがミスを犯したと考えるより、むしろ彼の出身地ドイツ北部の「ヤ、ユ、ヨ」表記に従って、聞こえた通りに表記したと考える方が自然ではないかと。
いずれにせよ、数百万年前に一度消えてしまったイチョウは、出島でのヨーロッパ人との接触を期に人の手で次々に移されて、たった百年という短い時間で全世界で復活します。
著者の並々ならぬ「イチョウ愛」を感じるとともに、絶滅しかけた種が人間の手で復活する本書の物語は、とりわけ今という時代に大きな希望を抱かせてくれます。
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