こどもの日の今日、娘のひとりはバイトに出かけ、もうひとりは早々と街に買い物に出かけました。
酢を飲んだような気持ちとは、こういうことを言うのでしょうか。
引っ越す前の家は、道を挟んだ向い側が神社でした。神社の後ろは小さな古墳跡が三基連なる小山で、鎮守の森は小山と繋がっています。夜中にフクロウの声が聞こえるような深甚の森です。下草はきれいに刈り取られているので、葉の落ちた季節には木漏れ日がぽつぽつと模様を描いているのが、子供部屋のある二階の窓からよく見えました。
娘たちがまだ幼稚園ぐらいのとき、古墳跡の裏山に散歩に出かけて、その陽だまりのところに石を積んで、四基目の古墳だと言って遊んだのをよく覚えています。
娘たちが少し大きくなってから、そのことを話すと彼女たちも、あの時は楽しかったと言って笑っていました。
子どものときの記憶は、ほとんど無くなってしまいますが、それは知らぬ間に織物のように形を成し、わたしたちのかけがえのない一部になるのでしょう。
茨木のり子の詩にも、そのことを書いたものがあります。
こどもたち(茨木のり子『詩集 対話』)
こどもたちの視るものはいつも断片
それだけではなんの意味もなさない断片
たとえ視られても
おとなたちは安心している
なんにもわかりはしないさ あれだけじゃ
しかし
それら一つ一つとの出会いは
すばらしく新鮮なので
こどもたちは永く記憶にとどめている
よろこびであったもの 驚いたもの
神秘なもの 醜いものなどを
青春が嵐のようにどっと襲ってくると
こどもたちはなぎ倒されながら
ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる
かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる
娘たちのゴブラン織が、彩り豊かなものであることを、親としては祈るのですが、そんな感傷めいた気持ちを吹き飛ばすような一喝が、その後に続きます。これが、さすがに茨木のり子なのだと思います。
その時に
父や母 教師や祖国などが
海蛇や毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔の
イメージで ちいさくかたどられるとしたら
それはやはり哀しいことではないのか
軍国少女だった自分との決別を、茨木はいろいろな形で表現していて、ここでも戦争時代の思い出が影を落としています。この詩で鋭く指摘されているのは、大人たちの責任です。
大人たちの判断のひとつひとつが、子どもたちのゴブラン織の模様となって残る。そういう覚悟で、どっしりと大人たちはものを考え、行動しているだろうか。あまりにも分かりやすい正解を、性急に求めてはいないか。そのことが、茨木の詩から、そして子どもの目から問われているように思います。