犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

復活の日

2020-03-28 21:22:06 | 日記

小松左京の『復活の日』には、新型ウイルスのパンデミックで滅亡の縁に立たされる人類の姿が描かれています。1964年つまり(前の)東京オリンピックの年に書かれた小説の描写には、「いま」に重なるものがいくつもあります。ほんの数か月前まで通勤ラッシュで混み合っていたホームに人がまばらになり、咳込む人がいれば乗客は身を固くして遠ざかる。感染拡大の新聞記事は社会面の片隅から、社会面トップへ、そして国際面へと格上げされる。医療機関に詰めかける患者たちは、弱い者を先に受診させるほど秩序正しく振る舞うにもかかわらず、現場は次第に疲弊して崩壊してゆく。国内外で起きていることが、そのまま、この半世紀以上前に書かれた小説に描かれています。さて、小説は南極大陸にウイルスに侵されずに残った1万人ほどの人類が、タイトルのように「復活」をするまでの物語なのですが、人類が南極大陸という避難所に身を寄せて種として生き残る点に注目したいと思います。というのも、種の絶滅の危機にあたって、生き延びるための「避難所」のようなものが想定されているからです。

数億年前のジュラ紀に恐竜とともに栄えた銀杏の木は、氷河期の到来によって、事実上絶滅しました。中国の一部に残った1種類が10世紀ごろ発見されて、人間の手で全世界に移植され「復活」を遂げます。銀杏の遺伝構造と動的歴史シミュレーション分析によると、中国大陸には「東部」「南部」「西南部」の3か所に遺伝子の「避難所」のような場所があって、異常気象とともにこの地域に種は収縮し、気候が良くなると他の地域に拡散するという保存システムのようなものがあったらしい、というのです。(中国・人民網日本語版 http://japanese.china.org.cn/life/2019-10/08/content_75279641.htm)銀杏はそのうちのほんの1か所にようやく命脈を保っていたものが、今日まで生き延びることができたということです。

さて、なぜこのようなことに触れるのかというと、絶滅に備えて人類が避難所を見出すべきなどという途方もないことを言いたいからではありません。新型コロナウイルスの発生源とも言われる「武漢」が、銀杏の遺伝子の避難所のところで述べた3か所のひとつ「西南部」に近接しているからです。

写真家・生物研究家の青山潤三さんは、中国奥地をフィールドに様々な生物を撮影、調査した経験に照らして、新型コロナウイルスが発生したのは、この地域の生物多様性、遺伝子の宝庫とも言われる特殊性に由来するのではないかと推察しています。(「そもそもなぜ中国・武漢は新型コロナの発生地になったのか」2020.3.22 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71266
武漢の位置する、河北省西北部はジャイアントパンダの野生東北限や、トキの現存する唯一の野生地にも近接しており、さらに武漢の西南方一帯は、稲作の起源地とも言われています。まさに生物の多様性をささえる「遺伝子のプール」のような場所です。青山さんは、今年の1月16日、中国当局が新型コロナウイルスの「人-人感染」を認めた日に湖北省の長江流域の三峡ダム建設によって世界最大の淡水魚類「ハシナガチョウザメ」の絶滅が認定されたのは、象徴的な出来事だと語っています。

ウイルスは容易に変種を生み出しうるものですが、今回のような人類に敵対的な新種は、遺伝子のプールに蓄積されていた種の「復活」と考えるのも、ありえない話ではないと思います。青山さんが語るように、新型コロナウイルスがなぜいま出現したのか、それが現代社会とどのようにつながっているかを考えることがなければ、自然から人類へ向けた警告を見逃すことになってしまうのではないか、そう思います。

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