秋のお茶会が近づくにつれ、週末の稽古も本番を想定するようになりました。
今年は日本庭園に面した広間での薄茶点前を、ほかの社中と合同で担当するため、本番直前になるまで、道具の全てが揃わない状態で稽古をしなければなりません。
いずれも家元書付の名品が揃うということで、他の社中持ち寄りの道具に巡り会うことは、茶会近くになるまで叶わないのです。
本番の茶碗が手元に無い状態では、茶碗の深さ、形状が分からないので、茶碗に注ぐべき湯の適量を把握することが難しくなります。そこで、茶碗に注ぎ終えた見た目で適量を確認するのではなく、注ぎ終えて柄杓に残る湯の残量から適量を計る、という基礎に立ち戻ることになります。
お茶の点前では、茶釜からお湯を柄杓で汲んで茶碗に注ぐとき、一杓を掬って半杓を使い、残り半杓のお湯を茶釜に戻すという所作を行います。この「半杓の水」を残す行為に、改めて向き合うことになります。
「これから使う量」ではなく「使わずに元に戻す量」に着目するのです。
永平寺の開祖、道元禅師は毎朝仏前に供える水を、大仏川で汲んでいました。このとき最後に杓に汲んだ水の半杓の量を、大仏川に返すことを常としていたのだそうです。元の流れに返す半杓の水が、やがて万人の汲むべき水のひとしずくになると考えたからでしょうか。永平寺の正門の向かって右側の石碑には、73世熊沢泰禅禅師の筆跡で、「杓底一残水」、左側の石碑には「汲流千億人」の文字が刻まれています。柄杓の底に残ったわずかな水を、多くの人が汲むことになる、という意味です。
「陰徳を積めば、万人に恵みが及ぶ」とも解されますが、ここは「元に戻す」行為そのものに注目した方が、より道元の意図に沿うのではないかと考えます。「半杓の水を戻す世界」として、つまり貪る対象ではなく与える対象として、道元はこの世界を毎朝とらえ直していたと思うのです。
利休が道元禅師の教えを受けて、半杓の水を戻す所作を定めたのかどうかは不明です。しかし、一度汲んだ水を半杓元に戻すことで、次客、三客がこれを分かち合うことになるという、象徴的な意味合いを込めたことは想像がつきます。道元禅師の「半杓の水」に立ち返るならば、それは遠く将来に向けての「贈り物」に他ならないと思います。将来の未知のメンバーというものを勘定に入れて社会に向き合う、新たな立ち位置と言い換えることもできます。