詩人の吉野弘は、自宅のある狭山市北入曽の自然を愛し『北入曽』という詩集を出しています。その中に「茶の花おぼえがき」という小文が収められていて、北入曽で茶畑を営む「若旦那」との会話が印象的です。
茶畑には豊富な肥料が施され、これによって美味しい茶葉が育つのですが、この栄養状態のいい茶の木には花がほとんど咲かないといいます。良い環境に自足してしまって、花を咲かせるなどという面倒くさいことは忘れてしまうのです。これは茶園経営にとってはむしろ好都合なことで、花が咲くにまかせておくと、茶木の栄養を大量に消費するため、葉に回るべき栄養が減ってしまうからです。
そのうえ、花が咲いて種ができて、それを育てるような栽培法では、せっかく交配で作った新種の品質を一定に保つことができません。そこで茶園は「取り木」と言って、挿し木とほぼ同じ原理の繁殖法で、クローンを増やすのだそうです。
以下、詩人と「若旦那」との会話のくだりを引用します。
「随分、人間本位な木に作り変えられているわけです」若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養成長という状態に置かれている」とつけ加えてくれました。
外からの間断ない栄養攻め、その苦渋が、内部でいつのまにか安息とうたた寝に変わっているような、けだるい成長--そんな状態を私は、栄養成長という言葉に感じました。
で、私は聞きました。
「花を咲かせて種子をつくる、そういう、普通の成長は、何と言うのですか?」
「成熟成長、と言っています」
成熟が、死ぬことであったとは!
(「茶の花おぼえがき」『花と木のうた』所収 青土社 34-35頁)
「栄養成長」を強いられる茶木と自分自身の生とを、多くの人が重ねあわせて考えるのではないでしょうか。避けられない死、あるいは自らの個体としての限界を、何としてでも乗り超えてやろう。そういう命懸けの営みが、花を咲かせることだとしても、それは常に遠くに追いやられています。けだるい成長に慣れてしまって、間断ない栄養攻めが苦渋であった記憶は、意識の底に沈んでいるのです。
この小文は、次のように続きます。
その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那から聞いた話に、こういうのがありました。
--長い間、肥料を吸収しつづけた茶の木が老化して、もはや吸収力をも失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。
花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか。
(前掲書 36頁)
一斉に咲いた、この老木の花をどう見るのか。
「あだ花」と本来なら呼ばれるであろうこの花が、どうしようもなく哀しく美しいものに映るのは、命懸けで生に向き合いたいという、われわれの思いに響くからだと思うのです。