好奇心旺盛なおばさんのワクワク日記

勉学優先のセン業主婦!
遠くに見える富士山を眺めつつ、ワクワクしながら学習などにいそしむ日々を書き綴っています

蔵書印調べについて

2013-03-04 21:09:44 | 学習
蔵書印を調べるためにM大學図書館に昨日行ってきました。
事前の下調べで『中国蔵書印提要』(日本書誌学大系 93 2006年)が蔵書印の集録数が多そうだと分り、M大學にあるとわかったからです。

わざわざ行ったわけではなく、有楽町に出かける用事があったのでこの機会を逃さずにおこうと思い立ったのです。
有楽町の朝日ホールで午後1時から開催された「古代出雲文化フォーラム」を拝聴し、申し訳ないのですが1部の途中で退席し図書館に向かいました。
日曜で図書館の閉館が5時なので仕方なく中座させていただきました。

図書館に着いたのが4時ころ。入口の係りの人に、
「閉館の前にチャイムなど閉館を知らせるアナウンスがありますか?」と尋ねると
「10分前に放送があります」
とのことだったので、時計を気にせずに見られるとホッとして大急ぎで階下に。

目当ての本を探すのに手間取り、パソコンで検索し場所の確認をし直して書架に着いた時は、4時10分ころ。
本を大急ぎで探したのですが、その姿はなく・・・ 
見落としているのかと必死で探している時に目に入ったのがずらっと並んだ『中国国家図書館 古籍蔵書印選編』全10巻。

もしかして、と思って開いてみると四部分類された書名ごとに蔵書印が押された画像が載っていました。
これは中国で出版されたものだし巻数も多いので、もしかしたら捜していた本より蔵書印の集録数が多くて良いかもしれないと書名をまずメモし、凡例など読んでいる時間は無いので毛氏の印が無いかと大急ぎでページをめくりました。

有り難いことにこの本は印章の釈文が記載されています。篆書が読めなくても大丈夫です。 
椅子に腰かけてものの数分もたたないうちに館内放送が流れて来ました。

「貸し出し用のパソコンを使っている人はただちに返却してください。書庫にいる方は4時・・・分までに退去・・・。図書の貸し出しは・・・・。 コピー機の使用は・・・・・・・」
自分には関係ないかなと思いながらも、
「えっ書庫? 今いるところは書庫になるんだっけ? 何時までって言ったっけ?」

万が一閉じこめられたらと多少不安になり、ともかくカウンターに行って確認しよう、時間があれば又戻ってもいいから、と大慌てで本を書架に戻し荷物を抱えてカウンターへ。
出口のところで振り返ってドアをみると、大きく「書庫」と書いてありました。 

カウンターまで行って係りの人に聞いてみました。
「書庫の使用は何時までですか?」
「4時20分までです」 
係りの人の後ろの壁の時計を見ると、なんとなんと1分前。 
「良かった! 出てきて!」と思わず口から。
係りの女性はそれを聞いてにっこり!
まるで私のための館内放送だったような・・・ 

なんという慌ただしさ!
本を見ていた時間は実質10分ほど?
前日にホームページで閉館時間を調べたのですが、書庫の使用時間については記述が無かったような気が?

目的のものが確認できなかったので又行くしかないです。
それでもこのような本があることが分ったのだから、転んでもただ起きない! ってことで結果オーライ。
帰宅後早速この本について調べて見ると所蔵館は少なく、私が閲覧できる範囲の図書館はここ以外に国会図書館しかないことが分りました。

昨日見たのは第1巻でしたが、第10巻にはピンイン順の印文・索引・書名索引があり、印章の数は6000で原寸大とのこと。
原寸大は最高に有り難いですね。微妙にサイズが違うなあと感じるものがありますから。
さぁ~~ この次はいつ行けるか?

校正用のデータが揃ったので、明日からはしばらく作業をしなくてはいけない・・・
こういうタイミングがすごくつらいです! 
集中してやりたいことがある時に仕事が入ってしまう・・・ 
明日からに備えて今日整理できることはやってしまおう!
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毛氏蔵書印

2013-03-02 20:07:56 | 学習
先日「書聖王羲之展」に行った時に買い求めた図録の蔵書印を調べてみました。
毛氏の蔵書印に的を絞って探したのですが、やはり書だったせいか確認できたものは2つだけでした。


                大阪市立美術館蔵「行書李白仙詩巻 蘇軾筆」北宋時代・元祐八年(1093)

右側の一番下に「東呉毛/氏図書」とあります。(/は行替えを示す)
此の印は、『明清著名蔵書家・蔵書印』(北京図書館出版社 2000年発行)に載っていませんでした。
蔵書印データベースにも登録されていないようです。
この書の最初のほうに「毛氏/子晋」の蔵書印がありますが、こちらは上記の本にもデータベースにもあります。

「東呉毛/氏図書」の印が中国で使用されていないなんてことはないと思うのですが、有名な蔵書家である毛氏の蔵書印なのに落ちていることがあるのですね!

以前に書誌学の授業を受けた時には蔵書印にさほど興味は持たなかったのですが、ここにきて興味シンシンです! 
少し勉強してみようと思います。 



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神田氏発見の『周易集解』宋刊本 (一)

2013-02-27 20:45:26 | 学習
月曜にM大學に赴き、神田喜一郎氏の論文「歐洲訪書記の中からーー宋槧周易集解」(『書誌学』第八巻 昭和12年発行)を確認してきました。

幸せなことに口絵に画像がありました! 
恐らくもう実見することなど叶わないことでしょう!
画像が見られただけでもなんとも有り難いことです!! 

たった1枚の画像ですが、重要な情報が含まれています。



右側の半葉は鮮于侃の子、申之の序文の終わりの部分です。
左側の半葉には蔵書印がくっきりと残っています。 
神田氏の論文の中に、「この本には首尾ところどころに次の如き蔵書印がある。」として九つの印が記されています。
そのうちの4つが確認できたのです。

右下が「毛」、その上が「海虞毛表奏叔図書記」(海虞は毛晋の出身地・常熟の古称)
上眉(匡郭の上)が「在在處處有神物護持」。以上三つが毛氏の蔵書印です。
右下匡郭の外が、「李振宜蔵書」

『明清著名蔵書家・蔵書印』には79個の毛氏の蔵書印が記されています。
1つや2つどころじゃないです!
さすがに明末の大蔵書家だけのことはありますね。

毛晋(1599~1659)初名鳳苞、字子九。更に名晋、字子晋。明末の蔵書家兼大出版者。
親子関係を分りやすいように図にしておきました。


蔵書印について多少気にかかることがあります。
それについては次回に。
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『宋監本爾雅注』の避諱字(二)

2013-02-23 22:10:55 | 学習
『宋監本爾雅注』の欠筆となっている避諱字を調べてみました。
以下の画像は、データから切り取ったもので、小さい文字は注文で小書きになっているもの。

(1) 宋代の避諱

(2) 宋代の避諱

(3) 宋代の避諱

(4) 宋代の避諱

(5) 真宗(趙恒)の避諱

(6) 仁宗(趙禎)の避諱

(7) 神宗(趙きょく(王+頁))の避諱。『廣韻』に「又音勗」とあることから、同音による避諱とわかる。

(8) 欽宗(趙桓)の避諱

(9) 欽宗(趙桓)の避諱

(10) 高宗(趙構、南宋)の避諱。

(11) 孝宗(趙しん(慎と同じ)、南宋)の避諱

(12) 元代の避諱?


監本と言えどもやはり間違いはあるようで、「徴」が闕筆になっていないところがあり、又 (12)の「享」も本文では闕筆になっていませんでした。この注の闕筆も疑問です。

前回の画像で確認できるように後に補修されたことは確実で、加えて巻末の2丁ほどがだぶって綴じられていました。
刻工名も確認したかったのですが、入っているところがあっても残念ながらデータ上からは確認できませんでした。

確認に手間どったのが、(7)の「勗」でした。
『礼部韻略』の「淳煕重修文書式」に載ってはいるものの、手元の『歴代避諱字彙典』で「勗」を「xu」(ピンイン)や「6012」(四角号碼)で引いても載っておらず、『廣韻』を見て同音であることをようやく確認できました。

「勗」と「冒+力」が同字だということに気付けなかったために遠回りをしてしまいました。 
『康煕字典』を引いてようやく気付いたのですが、「冒+力」に、
『篇海』「勗に作るは訛(言+爲)」
とあり、『篇海』での確認はできませんでしたが「勗」を誤りとした学者がいたということですね。
『漢辞海』は異体字としています。

IMEでは「冒+力」は機種依存文字となっていて使うと文字化けしてしまいます。
時の流れということでしょか。

今回このような試みをしてみて、やはり版本調査をする時は、実見しなければいけないと痛感しました。
それに、該当する文字自体が少ないので、巻数・丁数の少ないものを選んだこと自体が間違いだったように思いました。
情報を分析する時には集める情報が多ければ多いほど良いわけですから。

勉強に手抜きは禁物ということです! 
忘れずに次に生かすようにしましょう! 
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『宋監本爾雅注』の避諱字(一)

2013-02-23 16:15:17 | 学習
暇です! 
することが無いわけじゃないのですが、校正用のデータが数点届かず、編集作業も出来ず従って纏めも出来ません。 
6月終了の予定なので急がなくてもいいのですが、そのうちに他のものが入って来ると厄介なことになるかも・・・

で、忙中閑ありということで、『宋監本爾雅注』の避諱字を調べてみました。
先日の「古事記」の講座で、思いもかけずN先生の口から「書誌学の長澤」というお名前が出ました。 
私の中では、書誌学=長澤規矩也です!
此の時たまたま先生が黒板の左側から書きはじめられ、その時長澤先生のことを思いだされたようです。

講座が終わってから再度伺って見たところ、長澤先生の講義を聞かれたことがあり、その時長澤先生は板書をされる折、縦書きにもかかわらず黒板の左側から書かれたとのこと。
席を立って板書の様子を再現してくださりながら、着物を着ておられたからでしょうかねぇ~、どういう理由からなのかほんとのところは分りませんが、とのこと。

長澤先生の授業を受けておられた、ということではなかったようです。
長澤先生は1980年に無くなっておられますから、直接お会いになったことのある人からご存命中のことを伺う機会はほぼありません! 
もっと何か伺えるかとも期待したのですが残念! 

ちょうど講座が始まる前、図書館で『書誌学』の長澤先生の論文をコピーしているところへ、N先生が入ってこられたのです。
やっぱり何かご縁があるんですねぇ~ 

神田喜一郎氏の論文を探しに行ったのですが、それを掲載する巻は残念ながら無かったのですが、『書誌学』の総目録に興味ある論文を見つけ、それでコピーしていたのです。
いずれも長澤先生のもので「帝諱闕筆に基く宋刊本鑑定に関する注意」「宋刊本刻工名表初稿」「宋刊本廣韻刻年の推定ー宋刊本刻工名表応用の一例」「元刊本刻工名表初稿」。

と、ようやくここで表題とつながりました。
避諱字は、刊本の刊行年代を推定する参考になると言いながら、結構忘れられていたりしてあれっと思うことがあります。
監本ならばいい加減なことはないだろうと思い、『宋監本爾雅注』を調べて見ることにしたのです。

下の画像がその本文の冒頭部分です。
中国の某サイトで入手したデータですが、監本だけあってさすがに綺麗な出来栄えですね。



「毛晋」の蔵書印もはっきり分かります。
先日買った「書聖王羲之」の図録の「毛氏子晋」の印と少し相違がありますが、印が1つとは限らないので今は気にしないことに! 
以下は同じ刊本の最後の方です。上の部分との違いは歴然としていますが、良くあることだそうですので今は気にかけないことに。


長文になりましたので、避諱字については次回に。

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博士課程の論文に誤字?

2013-02-19 12:11:35 | 学習
この2~3日、宋刊本について調べている。
関心を持った3つの論文のうち2つは昭和10年代に書かれたものと言うことで、所蔵している図書館は少ない。
残りの1つの論文は最近の論文だけれど、中国出版のもので閲覧可能な図書館としては、M大学にあるのみ。

ということは、3か所の図書館行脚するしかない?
行ったとしても貸し出しは無理なので、在宅でじっくり読む、というわけにはいかない。 
最後の一手と言うことで、ネットでその関係の論文が無いか探してみた。

その結果、中国の某大学の博士研究生の論文をあるサイトで入手することが出来た。
ざっと読んでみただけだが、知りたいと思っていた情報はかなり詳細に書かれていた。

ところが、誤字を1か所見つけた!
「季刊」とあるべきところが「季利」となっている。 
手書きの原稿なら見間違いと言うことはあるけれど、デジタルデータではありえない。
拡大してみても確かに「利」だ!

どうしてこんなミスが起こり得るのだろう?
ピンインで入力すれば、「刊」はkan、「利」はli。
「刊」と「利」の入力の際の変換ミスはありえない。

あるとしたら、手書きの原稿を見ながら入力した別人が、原稿の文字を見間違えた、というケースだろう。
博士号取得のために書かれた論文であるなら誤字などあってはいけないはず!
と、いうことは、この論文に書かれている内容を参考にするのは注意を要する!ということになる?

それらしく見せかけて論文を公開することは今の時代は誰にでも可能なこと。 
早い話、此のブログだって素人の小母さんが自分の考えを発信しているんだから 

ネットではたくさんの情報を得ることはできるが、やはりその中から信頼のできるものとそうではないものと見分けられるようにならなければ!
寒いけれど図書館行脚するしかないか?! 
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「古代日本語の音韻で万葉集を読む」について

2013-01-23 14:04:48 | 学習
先日の講座「古代日本語の音韻で万葉集を読む」(講師:首都大学東京 浅川哲也先生)で使用された資料の大きな項目のみ参考までに記します。

1.『万葉集』の古代日本語は、現代日本語からどれくらい離れているのか
2.万葉集の表記
3.「柿本人麻呂歌集」の表記法二種と一字一音式表記
4.万葉仮名と歴史的仮名遣いの関係
5.上代語の発音の推定
6.上代特殊仮名遣い
7.「五十音図」とそのIPA(国際音声字母)
8.上代特殊仮名遣いの推定発音 -- 服部四郎の六母音説に依拠してーー
9.万葉仮名の音韻の復元の試み
10.古典を現代日本語で音読するということの意味

以下の画像は資料の一部です。
古代日本語の音韻はIPAで表記されています。




先生は、ネイティブではありませんが、とお断りの上で(1)~~(5)の万葉歌を復元した上代語で発音してくださいました。

なかなか耳に心地よい音でした。唐詩の中古音を聞いた時とは全く印象が違っていました。
唐詩の中古音は男性的、万葉歌の音は女性的と感じるほどです。

と、言ってもそんなに多くの唐詩や万葉歌の音声を聞いているわけではないのですが。 
(1)の「笹の葉は」の「小竹」は、当時の音を復元してみて初めて「風に吹かれて鳴る音」を表現しているのだとわかるとのことでした。
他の万葉歌も復元してみると面白いことが分るかもしれませんね。 


先生の説の詳細をお知りになりたい方は、著書『知らなかった! 日本語の歴史』(東京書籍 税別定価 1600円)をご覧ください!
当日会場では部数限定で2割引きで提供して戴き、サインも戴きました。 

以下におおまかな目次を挙げておきます。

はじめに
第1章 日本語とは何か
  日本語はどこから来たのかー『万葉集』を朝鮮語で読むことはできない
第2章 万葉仮名
第3章 古代日本語の音韻
第4章 日本語の仮名遣い
第5章 日本語と漢字
第6章 現代語の問題点
第7章 日本語の未来
おわりに

浅川先生は国語学がご専門とのこと、来年の講座にもお越しいただけるだろうと楽しみにしています。 
それまでに上代特殊仮名遣いをしっかり暗記して忘れないようにしよう!
「きひみ けへめ こそとのよろも」とその濁音「ぎびげべごぞど」 
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受講納め!

2012-12-19 23:16:55 | 学習
本日、今年最後の講座受講終了!
5・6月と各1回、家庭の都合で欠席しましたが、それ以外はしっかり受講出来ました。

今日は古事記の講座だったのですが、いつものゆったりとしたペース!
進んだのは、文庫本の1頁と4行。 

先生がいつもより大きなメガネを掛けていらっしゃると思ったら、なんとメガネタイプのルーペでした。
先生はかなりの御高齢なので今日のような寒い日は体調を悪くされないかとハラハラです。
一生懸命教えてくださるのですから、こちらもしっかり勉強しなくては申し訳ないです!

今年の4月から新規受講者が増えたこともあってか、以前に説明されたことも改めて説明してくださることが多々あります。
以前はさぼりがちだった私にとっては聞き逃していることもあり、とても有り難いことです。
今日は「帝紀」に書かれている内容についての説明がありました。
いまさらながら、なるほど!と。 

先生はご自分の学説のみならず、このような学説もあります、こう言う学者もいます、定説はこうです、など詳細にわたって教えてくださるのでとても勉強になります。
いつもながら、さすが!と頷くのみです。

今日は久しぶりに、先生の「・・・と言うじゃありませんか!」が出ました。 

毎度のことながら、テキストに目を通すこともせずに講座に臨んでいるので、次回からは少しは予習をしなければ、と思います。
ノートも毎回整理しておかなければ!


さぁ~~ 明日からは家事中心です!
まずは年賀状作成からですね! 
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「古代日本語の音韻で万葉集を読む」

2012-12-13 11:35:14 | 学習
標題の講演が年明け早々にあることがわかった。
これは万難を排して行かなくては・・・・
と思ったのだけれど、この講座に出ると3日間続けて出かけることになってしまう。
まして寒い最中でもあり、これは何ともしんどい! 

10数年前に中国語を習い始めたころ、古代の日本人が耳にした中国語とはどういうものであったのか、とても知りたかった。
それで人を介して、ある著名な先生に『漢詩の世界』(石川忠久著 大修館書店発行)を教えて戴いた。
これには別売りのカセットテープ2本があり、その中に数編の漢詩が中古音で再現されていた。

漢詩の押韻の響き、これは当時の発音でなければ味わえないものだと思って買い、何度も繰り返し聞いた記憶はある。
中古音の中国語は現代中国語とはまるで違って、耳に心地よい感じのものでは無く、その当時の押韻を実感できなかったような気がする。 

今取り出してみたら、定価がなんと4230円。
こんな高いものを買っていたんだぁ~~~~
オリジナルのテープは何処にあるのか? 探さなくちゃ! 
テープが劣化しないうちにデジタル化しておこう!

古代日本語を聴くことが出来る機会はこれが最初で最後になるかもしれない。
頑張って行こう! 
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「双声畳韻」で思い出した!

2012-11-09 15:20:26 | 学習

此の前の記事「双声畳韻について」を書き終え投稿して、はたと思い出した。
概論の授業で学期末のレポート(「反切法について」)を書いた時のこと。

そういえば、『廣韻』の「双声畳韻法」を参照しながら、図を書いたっけ!と。



レポートに、「上字と帰字とは双声の、下字と帰字とは畳韻・同声調の関係にある。」と書き図まで添付しながら、此の時は「通音」の説明表現と結び付けることまでは行かなかったんだ!



今更ながら残念 ・・・ 

 

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双声・畳韻について

2012-11-09 13:54:04 | 学習

先日、「きん(囗の中に禾)」について調べていた折、『古文字詁林』に書かれていた以下の文章に疑問を持った。

京以畳韻借爲倉。

「京」と「倉」が畳韻なので、(前文で京と書いてある)「京」は「倉」の仮借字である、と言っているのだと思う。
上の文に続けて、以下のようにあるので。
故廣雅曰。京。倉也。

分らなかったのは、「京と倉が畳韻」ということ。
今までに得た知識からすると、「通音」もしくは「音が近い」ことによって、と説明されるところだと思う。

以前に受けた「中国語概論」の授業で、王力の『漢語史稿』の「語法の発展」をテキストにして学んだことがあり、その時「双声畳韻」について説明を受けた。

双声とは、漢字2字の熟語において、「参差」のように各字の声母が同じであること。
畳韻とは、「窈窕」のように同じ韻字を2字重ねること。

というように、双声畳韻の説明をする時には殆ど熟語で説明がなされている。
故に、熟語で、声母・韻母が同じ時の説明に「双声・畳韻」という術語を使って説明するものだと思っていた。

それで、熟語として用いられていないのに「京と倉が畳韻」としてあることを不審に思った。
それでいろいろ調べてみたところ、『中国訓詁学』(山東大学出版社)「第9章 釈詞」に「以双声字相通法」・「以畳韻字相通法」として説明が挙げられていた。

やはり、仮借の説明として「音通・近音」だけではなく、「双声」「畳韻」又「双声畳韻」が使われているのである。

今日、別の調べ物をしていて、『中国古典読法通論』(原著王力)を見ていたところ、目から鱗の文章を見つけた。
というか、日本語だったから分りやすかったというか・・・ 
「古音通仮」について書いてあるもので、

假借字が現れるのは、次のような原則に基づく。すなわち語音が同じか、また近似していなければならないということである。時には假借字と本字とが双声畳韻であるだけでよいこともあるが、(以下省略)

「假借字と本字とが双声畳韻」とはっきり書いてあるじゃありませんか! ってN先生の口真似! 
これですっきり!
今までのもやもやが一挙に解決 

ことの発端は、今使っているテキストにあった「きん」の1字。
此の文字の説明を聞き落とし、調べ始めたことによる。

後日先生に再度教えて戴いたが、本来は「こめぐら」を意味する字であるが、文章では「豊かなものを与えてくれる草むら」の意味で使われているということであった。

やはり疑問を持ったことはとことん調べてみるものです!
そうすれば必ず答えが得られる 
そしてそれが知識をどんどん広げてくれる 
好奇心旺盛の賜物です

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『竹取物語』その3

2012-10-24 20:29:25 | 学習

『説郛』についての説明が『漢和大辞典』(学研)に有りました。
どうやらこの『説郛』は、抄録ということで「呉録」も一部分の記載だけのようです。 

漢籍データベースで「呉録」を検索し、収めているという以下の三種の漢籍を見てみました。
『説郛』には100巻本・120巻本がありますが、どちらの本にもやはり契沖が引用している部分はなく、『玉函山房輯佚書続編三種』の補編にもありませんでした。

現在講座で使われているテキストの材料は『太平御覧』から採った、と先生から伺っていたのを思い出しテキストデータで検索をかけてみました。

契沖が「火ねすみのかはきぬは〈呉録云・・・〉」と言っている部分の「火鼠」で検索をかけて見ると、見事にビンゴ
以下のようにあり、契沖の『河社』に引用されていた文章とほぼ一致します。
『河社』で曰が云、績が精になっているだけです。

卷八百二十

○火浣布

《呉録》曰:日南北景県有火鼠,取毛爲布,焼之而績,名火浣布。

但、『日本国見在書目録』(891年ころ成る)に『呉録』の記載はなく、『太平御覧』が間接的に集録したのではないかとされる『修文殿御覧』は記載されています。

成立は、『呉録』は晋代、『竹取物語』は900年ごろ、『修文殿御覧』』は北斉(550~557)の頃、『太平御覧』は984年。
『竹取』の作者が『呉録』を見たかどうか?
契沖が見たのは『修文殿御覧』か『太平御覧』の可能性もあり得るわけで・・・
 
となると、『河社』で〈呉録云・・・〉の部分が朱書きになっているらしいが、なぜ朱書きなのか気になります。

河契沖書き入れ本『竹取物語』を見てみたい! 
『修文殿御覧』に該当部分が集録されているかどうかの確認は難しいかも・・・・

なんだか頭の中の情報を少し整理する必要があるようで・・・ 

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契沖と荷田春満

2012-10-19 14:52:35 | 学習
國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館で「創立130周年記念特別展示 国学の始祖 荷田春満資料展」が10月27日(土)~11月10日(土)まで開催されます。

昨年同所で開かれた企画展で戴いた資料に、「『国学』の始祖は、契沖なのか荷田春満であるかが従来から議論されています。」と書かれていました。

今回の此の企画の紹介では、国学の始祖は荷田春満と書かれています。
國學院としての見解ははっきりしているのですね。

以下のものは、昨年企画展で戴いた資料の一部です。


        



        


        


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契沖が『竹取物語』のルーツとするもの

2012-10-19 10:38:21 | 学習
月曜に出かけたついでに図書館によって『河社(かわやしろ)』を確認してきました。
契沖が『竹取物語』について書いているのは3頁位だけなのですが、参照した書籍は仏典・漢籍・記紀など多岐に亘っています。

現在は出典などを調べる時には、パソコンを使って豊富に提供されているデータベースを利用して比較的楽に引用箇所の確認ができる、ということもありますが、自分の知識だけに頼っていた昔は大変なことだったと思います。

契沖が『竹取物語』の材料になっていると挙げているものは、『寶樓閣経』『後漢書西南夷伝』『史記・趙世家』「智度論」『西域記』「呉録」『捜神記』『史記・三代世表』で、『古事記』『日本書紀・神代紀』にも触れています。

『河社』を見た時点で、「ふ~~~ん そうだったんだ!」で終わっておけばいいものを、やはりここまで行ったらこれらの引書についても原本の確認をしなくては!と。 

それで頑張っているのですが、なかなか思うように作業が進みません。
『寶樓閣経』というのは、先日書いた『廣大寶樓閣善住祕密陀羅尼經』の序品のことだと思います。
『史記・三代世表』は、とりあえず新釈漢文大系で確認しました。
『後漢書』『史記』『西域記』『捜神記』などは確認しやすいと思うのですが、問題は「呉録」です。

ちょうど今のテキストで「呉録」が取り上げられていたので、昨日原本について先生に伺ったところ、京大の漢籍目録にでていますとのことだったので、帰宅後早速京大の漢籍データベースで調べてみました。
先生は出版物をご覧になっているとのこと、誠に申し訳ないですが私は手抜きしてネットで! 

『説郛』(一百二十きゅう)なるものに収まっていることを知りそれにあたったのですが、「呉録」には契沖が引用している文章が見当たりません。これは参った!  

探し方が悪かったのか?
「呉録」に異本があるのか? 
それとも契沖の勘違いで、別の本のことなのか?

これは契沖に関する研究書を読んだ方が早いかな?
と考えて、今ググってみたところ、やはり有りました。 
笠間書院から、大井田晴彦『竹取物語 現代語訳対照・索引付』が11月上旬に出版されるようです。
来月では有りませんか! 
なんというタイミングでしょうか! 

笠間書院の出版案内の記事に、付録(仏典・漢籍・伝承・物語など参考資料)と有りますので、知りたい情報が載っている可能性があります。
これは出版が待ち遠しいです! 

それまでの間に自力で確認できる範囲で確認しておこう! 


むむ~~~~???
笠間書院からは出版案内が届いているはず。
もしかして此の本の出版を読み落としていたか? 
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「竹取物語」「もも太郎伝説」のルーツ?その2

2012-10-08 00:17:16 | 学習
以前に書いたことがあったような気がしていたのですが、ちょうど1年前に《「竹取物語」「もも太郎伝説」のルーツ?》と題してやはり書いていました。

テキストを書き写す作業をしていたところ、記憶にある文章に出会ったのです。
先生が引用されているのは、『太平御覧』に引用されている『華陽国志』です。

有竹王者、興於遁水。有一女、浣於水浜、有三節大竹、流入女足間。推之不去,聞有児声。持帰、破竹得男。長養有武才、遂雄夷狄、氏竹爲姓。所破竹、於野成林。今王祠竹林、是也。


以下のものは、『華陽国志校補図注』のものです。




竹の中から出てきたのは男の子で、その竹は竹やぶの中に生えていたのではなく流れてきたという設定の違いは有りますが、『竹取物語』や「もも太郎伝説」を思い起こすのに充分なものと思われます。

契仲は随筆『河社』で、仏典『廣大寶樓閣善住祕密陀羅尼經』の序品が『竹取物語』の種本ではないか、と指摘しているそうです。

以下は『廣大寶樓閣善住祕密陀羅尼經』の序品の一部分です。
「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」のデータを利用させていただいています。
長すぎて読みづらいので、途中で改行しています。

一切諸佛當來現前安慰其人。
睡眠覺悟行住坐臥常得安樂或於夢中見百千萬世界刹土諸佛如來并諸菩薩前後圍繞。
此陀羅尼有如是等無量無邊不可思議力。時彼仙人得法歡喜欣慶踊躍。
於其住處如新醍醐消沒於地即於沒處而生三竹。
七寶爲根金莖葉竿。梢枝之上皆有眞珠。香潔殊勝常有光明。
往來見者靡不欣悦。生滿十月便自裂破。一一竹内各生一童子。
顏貌端正色相成就。時三童子亦既生已。各於竹下結加趺坐。


3本の竹からそれぞれ3人の男の子が生まれた、と書かれているようですね。


『華陽国志校補図注』によると、『華陽国志』の成立は348年のようですが、該当部分が書かれている「南中志」はそれよりも早く333年ころには書かれていたようです。
仏典『廣大寶樓閣善住祕密陀羅尼經』は唐の菩提流志が漢訳したもの。

『竹取物語』が書かれたとされるのは、866~909年の間のようですから、種本としてはどちらも充分に可能性はありますね。
となると、どのような論が展開されているのか是非とも契仲の随筆『河社』を読んでみなくては! 


こんな事に興味を持つなんて・・・
我ながら???  

明日は孫の運動会だった!
もう寝なくては! 
コメント
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